バリ島駐在記「カリマンタン・フェリー事故」

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ヴォルネオ島

(上の地図はヴォルネオ島だが、黄色い部分がインドネシア領のカリマンタン、灰色部分は先月ブログに記したマレーシアの二州、灰色のなかにはブルネイ王国もある)

 過日、カリマンタンからインドネシアのフェリーがジャワかスマトラに向かっているとき、荒波の海上で沈没、500名以上の人命が失われたというニュースがあったが、「カリマンタン」はボルネオの南部の三分二を占めながら、ほとんどは密林に覆われた僻地である。ために、多くのジャワ人、スマトラ人、バリ人がここに入植し、開墾にいそしんでいて、祭り事に参加するために一年に数回の割合で帰郷するが、このたびの事故もそうした帰郷時にフェリーを利用し、事故に遭われたのだと推測される。

 また、カリマンタンのみならず、マレーシアを含むこの島には今では絶滅種として保護を受けているオラン・ウータンも生息し、私自身、マレーシアの保護地区で野生のオラン・ウータンを見た。マレー語で「オラン」は「人」を、「ウータン」は「森」を指し、「森の人」と現地では呼ばれている。

 数年前には、フィリピンのフェリーがやはり航行中に沈没し、大半が溺死したが、それも人々の目的は祭り事に参加したい一心の帰郷中の出来事だったと聞く。

 原因の一つは、定員も荷も過剰にオーバーしていたこと、二つは、万が一のケースに備えた防水ジャケットが定員分用意されていなかったこと、三つは、美しい青い海のすぐ傍らに生きながら、泳げる人がほとんどいなかったこと、四つは救命ボートが充分に用意されていなかったこと、五つは、こうした緊急時の対応策が元々いいかげんで杜撰という事実に起因している。それは発展途上国に共通する悲しい現実ではある。

 不思議なことだが、南海に住む人ほど泳げない人が多いということで、沖縄も例外ではなかった。本土復帰したあと、日本政府は率先して沖縄の学校施設に力を貸し、体育館はもとより、プールなどほとんどなかった学校にそういう施設を造り与えた。おかげで、いまの若い人で泳げない人は僅かな数になったと仄聞する。

 「泳げる」ということが、海の有無とは関係なく、背の立つプールの存在することが必須であり、「泳ぎを」教える人間の有無こそが大切な要素になるということに気づいている人は意外に少ない。

 そして、泳げることの第一はクロールでぐんぐん泳げることではなく、海を恐れずに、顔を上に向け、海面に浮いていられるかどうかである。泳ぐことには疲労が伴い、背の立たない広い海に流された場合、泳いでもがけばもがくほど死が近いことを知っておくこと、言い換えれば、身体に楽をさせて、救助を待つ姿勢が望ましい。

 また、沿岸流、沖出しの流れに乗ってしまった場合、流れに逆らわず、むしろ潮流に乗りながら、沖に出てしまい、少しずつ流れから身体を左右いずれかに逃げ、海に入ったポイントに固執せず、迂回する形で、最も近い海岸に達することだ。そして、慌てないこと、急がないこと、疲れたら背を下にして休むこと。

 人間には、水に入ると、得てして、入ったポイントに戻ろうとする心理が働き、それが死を近づけることを知っておいたほうがいい。エントリーポイントとエグジットポイントが違うことで、クレームをいう人間はいない。臨機応変とはこういう危急の場合にこそ発揮されるべき言葉である。


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