バリ島駐在記「田舎のおじさんと焼き芋を食う」

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ライステラス

(写真はバリのライステラス)

 2007年1月20日に「トゥルニャン」のことを書いたが、そのとき同行したH君の郷里は北部のシンガラジャにあり、その日、私の車をH君の友人B君が運転し、H君ともども、シンガラジャに向かった。

 けっこう乱暴な運転ながら無難に到着したところは、B君の実家のある、バリ島中部の村、あと1時間でシンガラジャという位置だった。(ちなみに、デンパサールからシンガラジャまではおよそ3時間)

 B君の実家は典型的な農家で、父親が出てくるなり、「喉が渇いただろう」と言いつつ、ヤシの実にストローを刺して、三人にくれた。

 「ところで、日本はロシアと戦争して勝ったんだよな」

 父親がそう言って、頬をゆるめたが、私にとっては唐突な話である。

「どうして、そんなこと知ってるんですか?」

 バリに赴任して以来、バリ人との間に古い日本の歴史が話題に上ったことはない。

「いや、わたしはねぇ、毎日オーストラリアから流れてくるラジオ放送を聞きながら、英語の勉強をしているんだが、そのラジオ放送の時間に、たまたまそういう話が出てきて、ロシアが日本に負けた歴史を知ったんだ」

 バリの田舎にそういう人物を発見して、私は嬉しかった。この寒村で、たとえ英語がしゃべれるようになったところで、役に立つ機会は訪れないだろうとは思ったが、役に立つ立たないを度外視して、学ぶ姿勢に瞠目した。

 「ところで、メシ食っていくだろ? なににする?」

 父親の発言に、私は待ってましたとばかりに、

「芋が、それも焼き芋が食ってみたい」

 と返事をした。

「それだったら、これからうちの畑に一緒に行ってみよう。食える量だけとろうじゃないか」

 連れていかれた畑は畑という概念から遠く、よく耕された地に背丈2,3メートルの木が整然と並んで立っているだけで、私が予測した芋畑状の光景は付近を含め、まったくない。

 と、父親がいきなり、目の前の一本の木に手をかけたかと思うと、両手で力まかせに引き抜いた。見ると、根っこにあたる部分に5、6個の芋がついていて、表面の色は日本のサツマイモとそっくり。

 適当に芋の木を引き抜いて帰宅。

 「焼いて食いたいっていってたな」

 父親はそう言うなり、バリ語で奥さんを含めた女性らに指示を与えた。

 村のなかを歩きまわって帰ってくると、

「焼けてるよ。すぐ食べなさい」

 と母親が言う。

 まだほかほかと温かい芋を手に、齧(かじ)ってみると、日本のサツマイモに負けない味である。

「いや、これは、いける。美味いよ」

「じゃ、どんどん食べて」

 そう勧められるまま、私は芋を3個腹の内におさめた。

 たぶん、バリで木の下になる芋を焼いて食った外国人経験者はあまりいないだろう。しかも、日露戦争を知っている御仁の馳走で。

 芋で満腹した後、私たち三人はさらに道を下り、シンガラジャに向かった。H君の両親に挨拶をし、北部一帯をドライブして見学、見物し、その夜はロビナビーチのリゾートホテルに宿泊したが、B君の父親との出遭いは忘れられない思い出となった。


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