バリ島駐在記「友人がゴルフから帰宅した夜に焼死」

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ジャワのゴルフ場

 バリ島で一年に一度、最も重要な「ニュピ」と呼ばれる日があり、ヒンドゥー教徒しか関係のない日ではあるが、インドネシア全体の祝日にもなっている。

 バリに居住する限り、その日は一歩も外に出歩いてはいけないというルールがあり、「静寂の日」とも、「島の隅々まで清める日」とも言われている。バリには公の儀式、個人、家族の儀式あわせて、トータル60くらいの儀式があるので、どの企業でも店舗でも、従業員はジャワ人とバリ人とを混在させ、儀式のある日にスタッフが皆無という状態を避けている。

 あらゆる儀式は太陰暦が使われるから、あらかじめいつが該当する日にあたるかは、新しい年を迎えて初めてわかるのだが、ニュピに選ばれる日の夜は必ず「新月」があたるように決められるのもルール。当然ながら、当日の夜は月は姿を現さず、真っ暗で、だからこそ「島の隅々まで清められ、静寂の日というにふさわしい」とは僧侶の言葉だ。

 バリに赴任した初年度の二ュピの日、バリのリゾートにある某ホテルのGM(ジェネラル・マネジャー)に招待され、ホテルで一日を過ごしたものの、一歩も外に出られないということがどのくらい退屈なことか骨身にしみて理解した。

 そこで、翌年は知己を誘い、隣のロンボック島に行って過ごしたが、三年目は、ヌサドアリゾートにあるホテルのGMのA氏と、個人経営の旅行業を営むH氏を同行、ニュピ前日にデンパサールからスラバヤに飛び、スラバヤからは現地のオペレーターに頼んで車を出してもらい、ゴルフ場が持つ宿泊施設に逗留、二日間をゴルフ三昧に充てた。

 スラバヤに到着し、バリに帰るまでの二日間に、二度不思議なことにぶつかった。一つは、スラバヤからゴルフ場に向かう道の途中にあって、かつて食事した経験もあるレストランが火事に遭い、黒い焼け跡を曝していた光景、もう一つはスラバヤの新しいホテルをオペレーターの要望で見学中、ロビーで黒づくめの葬儀参列者に出遭ったことだ。

 バリに帰った翌朝、オフィスに赴くと、いつもは必ず私より先に出勤しているはずのセクレタリー(秘書)の姿がなく、スタッフの一人が「あの娘(こ)、どうしたんでしょうね」と言ったとたん、駆け込んできて、「いつも通っているサヌールの裏道で火事があったらしくて、警官がバリケードしていて通過できなかったんです。それで、仕方なくバイパスを通って、出勤しました」と説明した。

「サヌールの裏道って、あの旅行業を営むHさんのオフィスのある道だな」

 私が眉をひそめて、そう訊くと、

「そうです。警官がロープを張っていたのも、あのあたりでした」

 と、セクレタリーは応ずる。

サヌールの地図
(サヌールの地図。真ん中の太いのがバイパス、その右の海岸に近い道路が裏道/HotelTravel.comより借用)

 それから5分も経っていなかったが、ヌサドアの別のホテルで日本人客に対応しているJ君から電話が入り、

 「驚かないでくださいよ。Hさんのオフィスが昨夜火事になって、Hさんも、あの会社の日本人オーナーも焼け死んだんです」。

 衝撃が胸に走った。昨夜まで一緒にいた人が死んだなどという経験は私にとって初めてのことだ。共に死んだといわれたオーナーは日本女性で、私自身かつて紹介され、知己でもある。オフィスの裏側が居住空間であることもかねて知っていた。

 「オーナーって、あの中年の日本人女性だよな」

 「そうです。わたし今朝現場に行って警官と話をしたんですが、Hさんの体なんか、ほとんど炭化状態だったようです。あの人、お酒が好きだから、夕べはかなり呑んでいたんでしょうね。だから、火災に気づかなかった」

 「ふーん」

 「警官がいうには、この火事には不審な点があるので、スラバヤから火事を専門に捜査する特殊隊員が来るそうです」

 しばらくして、ゴルフを一緒したA氏からも電話が入り、「これは知らないって顔のできない事件ですよね。火葬するんでしょうが、遺族の方も日本から来るでしょうし、火葬が終わったら、遺族の方と一緒に、私のホテルの一隅を使って、僧侶にも来てもらい、葬儀の真似事でもしないと、われわれも気がすみませんよね」とアイディアを口にする。むろん、私に異論はない。

 それにしても、火事跡と葬儀用の黒服を着用した人にジャワ島で出遭ったことが思い出され、「あれがこのことを暗示していたのではあるまいか」と、普段の私らしくもなく、不思議な相似現象に、身が震えてくるのを抑えきれなかった。

 両家の遺族がバリにやって来たあと、領事館から華僑に依頼、華僑が使う火葬場を借用することの許可を得てもらった。火葬のあとは、それぞれ遺灰を収めた箱を胸に抱いた遺族を伴い、A氏が総支配人をしているホテルに向かった。

 案内された庭の一隅には檀が儲けられ、僧侶もすでに来訪していて待っていた。遺族が二つの遺灰を檀の上に置くと、僧侶のバリ語による読経(どきょう)がはじまり、着席したわれわれはみな合掌し、頭を下げた。「Hさん、どうして、こんなことになったんだ?」という声にならぬ声が私の胸のなかで響いている。

 後日、特殊警察隊員が調査した結果、「火事はガスボンベを開放し、部屋のなかにガスがかなり溜まった時点で、点火されたようだ」との談話を残し、スラバヤへ帰っていった。

 その後、私に火事のことを連絡してきた日本人のJ君が、

「実は、オーナーだった夫人の旦那さんは日本の大手企業の役員をしている方で、過日の葬儀には娘さんはいらしてましたが、旦那さんの姿はありませんでしたよね。あのオーナーの夫人と夫人の母親の二人はバリがことのほか好きで、しょっちゅうこちらに来ていたんですけど、その母親という方は実はわたしのホテルで心筋梗塞を起こし、バスルームで亡くなってます。その処理を私が任されたため、私も娘であるオーナーと親しくつきあうようになって、ホテルのレストランをよく使っていただきました。オーナーは自分の母親は大好きなバリで亡くなったんだから、幸せですよなんて言ってたんですけど、まさか自分まで死ぬとはね」

 と語った。

 さらに、「憶測なんですが」と断ったうえで、「火事はオーナーが意図的にガスボンベを開き、火を放って起こしたんじゃないかって、わたしは思っているんですけどね」と言い、続いて、「これは、無理心中ですよ」と断言までしたが、その理由は明かさなかった。

 私やA氏には、火事の原因についてはもとより、オーナーとH氏との関係を含め、知るところは少なく、「無理心中」という結論に納得する根拠が希薄に思えた。ただ、オーナーの日本家庭が崩壊状態にあったことだけは察しがついた。

 しばらくしたときである。かつてH氏の車を専門に運転していたバリ人のW君から事情を聞く機会があった。

 「Hさんはオーナーと男女関係にあっただけでなく、オーナーの娘さんともそういう関係にあったのではないかと、わたしは思っています。娘さんがバリを訪れたとき、Hさんと一緒にドライブに出かけたこともありまして、車を運転して傍にいた私には、二人が普通の関係ではないという感じがあったからです。オーナーはそのことを知っていたんじゃないでしょうか。だから、そのことを苦にして、あの日の夜、ゴルフで疲れて帰ってきたHさんにしたたかに酒を呑ませ、もしかしたら、眠り薬を入れた酒を呑ませて、寝込んでしまうのを待ってから、ガスボンベを開いて点火した、つまり決着をつけたのだと思います。すべては、Hさんが悪いんです。もともと、オーナーはご亭主ともうまくいってなくて、ほとんどはバリにいましたから、Hさんと懇(ねんご)ろになる機会はいくらでもあったでしょうし、それをオーナーも望んでいたのではないでしょうか。オーナーはHさんを愛していたんだと思います。しかし、まさか、自分の娘にまで手を出すとは思ってもみなかったので、清算するために心中をはかったと、私はみています」

 W君の話からは、「身から出た錆」「自業自得」という言葉が浮かんだし、彼の話で、すべての辻褄(つじつま)が合うような気もしたが、私の脳裡にはジャワ島からの帰途、スラバヤ空港の店舗で、H氏が「オーナーになにか土産を買っていかないと」と言いつつ品物を物色していた姿が去来していた。

 母親とも、その娘とも肉体関係をもつことを、かつては「親子丼(どんぶり)」などと称したが、オフィス開設の資金をすべて出資していたオーナーの娘に手を出す行為は、やはり、人間として許されざる行為というしかなく、Hさんに配慮が足りなかったのだと思うしかなかった。

 オフィスと居住空間を貸していたバリ人の男性が後日、私のところにやってきて、H君が使っていたゴルフ道具を「H君からのプレゼントだと思って使ってください」と言われ、形見分けしてもらった。


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