バリ島駐在記「ジャワのボロブドゥール遺跡」

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ボロブドゥール全景

 バリ島のデンパサールから、どのオペレーターもジョグジャのボロブドール遺跡を見るためのツアーをオプションで販売していて、日帰りと一泊との二者択一になっている。日本人観光客のほとんどはバリ島をベースとし、ジョグジャカルタには日帰りか、1泊ツアーのオプショナルツアーが用意されているのが一般的だが、ヨーロッパ人のツアーにはジャワ島だけで3泊するようなツアーもある。

 先般、テレビで「この遺跡は熱帯樹林に埋もれていたのをイギリス人探検家が発見した」と説明していたが、私が知る限り、一説には「1548年のムラピ山(過日も噴火のニュースが流れた)の大爆発による地震の影響で崩落、次いで火山灰や土砂に埋もれ、樹林にも覆われ、長期間、土地の人々はここを「ボロブドールの丘」と称し、遺跡らしきものは人の目には触れなかった。

 インドネシアを植民地化していたのはオランダだが、1814年イギリス人探検家の請願を受け入れ、ボロブドール発見の糸口がつけられた。「掘削することによって、遺跡が、崩落してばらばらになった石が出土し、ボルブドールの発見に繋がった」と報告された。

ボロブドゥール最上階
(ボロブドールの最上階、遠景の山はムラピ山)

 さらに、もう一説は、「ボロブドールを建立した仏教徒の土地に、ヒンドゥー教を信奉する人々が侵入したため、仏教徒みずから、ボロブドールを破壊、崩落せしめ、土砂で覆って、人の目から隠蔽した」というのもある。

 イギリス人探検家による発見の後、オランダ人は修復への意欲をみせず、もっぱら植民地からの収奪に専念したので、長らく放擲されたままにされていたが、独立後の1973年、インドネシア政府の請いを容れ、ユニセフが資金を供出、日本の大学も参加、協力して、修復を完成させた。

 スケール的には底辺の幅、奥行きともに130メートル、高さ42メートルと、カンボジアのアンコールワットに比べると、それほど大きなものではないが、石像(約1400個)に、仏教世界の物語を紡ぐために掘られた石像には見るべき価値が多い。

仏教の世界を紡ぐ数々の石像
(仏教の世界を紡ぐ数々の石像の一部)

 ジョグジャカルタのガイドのほとんどはジャワ人で、基本的にイスラム教徒である。イスラムは偶像崇拝を忌避するから、イスラム教を信奉する国には偶像などの遺跡はどこにも残っていない。そのイスラム教徒であるガイドが仏教徒が残したボルブドールのおかげで生計が得られるという事実には皮肉を感ずる。

彫刻された石像
(同じく彫刻された石像の一部)

斜め側面から見た景色
(遺跡を斜め側面から見た景色)

 この地には、仏教、ヒンドゥー教、イスラム教と、三つの宗教が角逐した歴史があり、ボロブドールとは別にヒンドゥー教が残した「チャンディ・ロロジョングラン」という遺跡が同じジャワ南部のソロに向かう途中にあるが、未だ修復は完成していず、石像や石が一面にころがっている。私自身にはここに遺された石像彫刻の絵のほうが躍動感にあふれ、生き生きとしていたという印象がある。むろん、わずかな彫刻を目にしただけなので、断定的は発言は控えておく。


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