バリ島駐在記「闘鶏」続編

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闘鶏タジタジ

 一口に「闘鶏」といっても、世界には二通りのやり方がある。一つは、武器を装着せず、二尾の軍鶏(シャモ)を蹴爪(けづめ)だけ使わせて闘わせる方法、もう一つは鋭く尖(とが)ったナイフ状のものを蹴爪部分(一枚目の写真では赤いところ)に先端を後ろ向きに装着、紐でしっかり縛って、二尾に互いに死を賭して闘わせる方法である。後ろ向きに装着するのは、シャモは相手を蹴るとき、跳躍して、蹴爪で蹴るのが戦闘本能だからだ。

 日本の高知などでやる闘鶏はむかしから蹴爪で蹴りあうだけの闘鶏だが、フィリピンやバリでは刃物を蹴爪部分に装着して、どちらかが、あるいは双方が、死ぬまで闘わせる。そのナイフをバリでは「タジ」と呼び、装着するプロまでが存在する。タジの長さは国によって多少の違いはあるが、一般的には6センチから8センチほど。(二枚目の写真はタジを装着している場面)

 私が入手した三尾のシャモはアグンの手元で順調に飼育され、訓練もされて、いつでも闘いに出られる状態になったが、アグンが普段非合法を承知で村のなかで仲間を集めて行う闘鶏では、私が入手した体の大きいシャモを戦わせる相手がなかった。闘鶏でも、ボクシングのような、体重別の闘いがシステム化されていたから、大きな祭りのとき、寺院で合法的に闘鶏賭博が認められる日を待った。その日なら、近隣各地から多くの軍鶏が連れてこられるからだ。

 その日、アグンのほかに、アグンと同じ村に住む闘鶏のプロが同行、ウブドの寺院に出かけた。

 寺院で合法的に、しかもタジという鋭利なナイフを使って、シャモの死を前提として闘鶏が行われるのは、寺院への生贄(いけにえ)としての意味があり、寺院の土を血で染めても、それに対してクレームはつかない。ただ、賭博に勝った側は金額の一割を寺院に寄進するというルールはある。

 私たち三人が寺院に到着したときは、すでに数百人の人々が、といっても男ばかりだが、集まり、喧騒があたりを圧していた。

 同行のプロが私の白いシャモを籠に入れて、あちこち歩きまわったのは相手になってくれるシャモを探していたからだが、一時間は待たされた気がする。

 しばらくすると、一人の男が青いシャモを抱え、私に同行したプロと一緒に闘鶏場に姿を現した。

 私が百万ルピア(400ドル)を自分のシャモに賭け、闘鶏を差配する人間に金を渡すと、その金額に見合う金が集まるまで、男たちに声をかけていたが、かなりの時間がかかった。

 そして、一瞬、あたりが静寂に包まれると、次の瞬間、「わー」という歓声が沸き、白いシャモと青いシャモが互いに跳躍しつつ、相手を蹴りはじめた。が、そのとたん、男たちの体が揺れ、私の視界から二匹のシャモの姿が消えた。

 と、次に歓声があがったとき、男たちの体のあいだに、白い体を真っ赤に染めたシャモが目に映じ、再び視界が閉じられ、闘鶏場が一瞬静寂に包まれ、闘鶏が終了したことを暗示した。とはいえ、私にはどちらが勝って、どちらが負けたのか、まったく判らなかった。トータル15秒前後の闘いだった。

 そのとき、プロが飛ぶようにして私の傍に来ると、「残念ながら、負けました。相手も結局は死にましたけど、先に膝を折って地べたに落ちたのは私たちのシャモでしたから」と告げた。

 負けたシャモは、ルール上、勝った側が持って帰れることになっていて、バリ人のほとんどはそれを食べてしまう。いわゆる地鶏だから、肉は締まっていて、やや固いけれども、美味だとは聞いている。

 それから、二日後、アグンの奥さんが貧血で倒れ、私のシャモの一匹が視力を失い、三日後にはもう一匹が食欲不振という状態になった。

 「これは、闘鶏はもうやるなって、バリの神様が言ってるんじゃないか。あんたが飼っているシャモもだれかに引き取ってもらって、闘鶏にはもう手を出すなよ」

 闘鶏以外に趣味のないアグンに、そう言うのは酷だとは思ったが、私の決意は固かった。アグンも、しばらく沈思黙考していたが、「わかりました。わたしもやめます」と、同意した。

 以来、闘鶏の話をアグンとしたことはないし、アグンが私との約束を守っているかどうかも判らない。

 ただ、タジを利用して数十秒でけりがつく闘鶏と、タジを使わず蹴爪だけで1時間近くもかかってやらせる闘鶏と、いずれが残酷かは、予断を許さない。


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