バリ島駐在記「日本語によるガイドブック」

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バリの夕日

 バリに赴任したとき、驚いたことの一つに、ガイドがゲスト(観光客)に説明するときのガイドブックが一冊もなく、そのうえ、一つの儀式について、ガイドにその生い立ちと意味について尋ねると、それぞれのガイドがそれぞれ勝手な説を口にし、統一感が欠落していたことだ。

 たぶん、生まれたときから、各家庭で儀式(公式なもの、私的なもの、併せて一年に60回前後ある)が存在し、親からその意味について説明されることもなく、また子共も質問することもなく育ってしまい、それぞれの儀式について深刻に考えてみる執着心も必要もなかったのであろう。

 ガイドの募集、選考、教育を担当した私は、実態について納得できないものを感じたし、ゲストに対しても礼を失していると思量、独自に日本語によるガイドブックを作製することを提言したものの、作製が完了するまで相当の苦労が伴い、時間もとられた。

 まず、日本に一時帰国したときにバリ関係の書籍を漁って買い集めて読破、続いて、一つ一つの儀式、その他ガイドブックのテーマについて、120人のガイドのなかから最も信頼がおけ、優秀でもあるガイド5人を選び、一人一人から意見聴取し、さらに、会社のスタッフにも確認、それでも納得のいかないテーマについては、土地の僧侶のところまで出かけて、尋ねまわった。また、現地のバリ語で書かれた儀式についての文献や資料はスタッフに翻訳してもらい、理解を深めると同時に確実なものとするよう努力した。観光地としてすでに名をなしている場所へは面倒がらずに、直接出向き、現場をチェックして、頭にインプットした。

 こうして、60件以上のテーマのもとに、それぞれゲストを対象に説明すべき内容を日本語で(といっても平仮名を主体とし)作製した。現地のガイドはほとんどローマ字で書かれたものしか読めないレベルだったから、私は講師として、彼らに平仮名と片仮名を覚えることを強制した。それは、ローマ字で書かれた文章が、かれらには理解できても、日本人には非常に読みにくいという事情があることとあわせ、ローマ字で書けば、他の企業で働くガイドにも利用されてしまい、著作権を保護する目的もあった。そして、できあがったガイドブックをガイド全員に一冊ずつ渡し、テーマごとに暗記することを要請、暗記したテーマの数が増えれば、ガイドとしてのランクを上げるというルールをつくった。

 最近になって、バリ支店からメールが入り、「あなたが作製したガイドブックは10年が過ぎた現在、バリの大学の日本語学科はもとより、バリ島に存在する日本語を教えるスクールすべてが教材として使っています。平仮名を主体に書いたブックも他の日本人によってローマ字に直されているとの報告だった。そのうえ、バリ島で行なわれたインドネシア人による日本語スピーチコンテストでは、他社のガイドがテーマの一つとして私が書いた「田舎に住むバリ人の生活」を暗記、優勝トロフィーをさらったとの話ももたらされた。

 バリ島に貢献したのだと自負するには、気恥ずかしい思いもなくはない。

 (上の写真はバリの夕日)


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