バリ島駐在記「川は生活の原点」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

水浴び

 上の写真のように、バリ島の川は、ほとんどは小川に近い。

 日常生活を送るうえで川を大切な自然の一つとして使っているのは、発展途上国に一様に見られる景色だが、私が実際に目撃した風景はバリ島の小さな村を流れる直径2メートルほどのせせらぎ、夜になればホタルが群がって美しい景色を見せる。

 その川で、バリのおばさんがサロンを腰までめくって、しゃがみこみ、おしっこをしている。傍らでは、ほかのおばさんたちが食器を洗い、衣服を洗濯している。少し離れた場所には子共が陣取って釣り竿を下げている。上流では、女の子がバケツで水を掬い、それを重そうに持って家路をたどる。飲料水として用いるまえに煮沸するのだとは聞いている。

 そのうえ、川には、火葬が行われたあと、遺体の骨と灰が完熟した椰子の実に入れられて、放流される。 本来なら、海で行われる手筈だが、川は必ず海に達しているから、川での放流も許容されている。

 さらには、水浴びも身体を洗うのも川でやる。ジャワ、スマトラ、ロンボックなどでは、堂々と裸になって、身体を洗っているが、さすがに観光による収入が増えたためか、デンパサール地区のバリ人は家屋のなかにシャワーを設け、アウトドアで身体を洗う姿は見られない。もし見られたとしたら、その家族はよほど貧しいに違いなく、大抵の場合、ジャワから転居してきたばかりで、まっとうな仕事に就いていないケースが多い。

 バリ島の隣のロンボック島に行ったときのことである。小さな川に沿って車を走らせていたとき、前方に牛を小川に入れ牛の体を洗っているおじさんがいた。そして、その脇に、材木の板で囲まれた一隅があり、車が真横に達したとき、板が数枚壊れていて、そこに5,6人の大人の女性が真っ裸でいる図を目撃した。彼女らは「キャー」という声を張り上げはしたが、車を止めて、拝見したり、いわんやカメラを向けて撮影する暇もなく、われわれの車は通過したが、目の保養にはなったし、稀有の光景に接したことを喜びもした。

 むろん、バリ島内でも、田舎に行けば、同様の景色はあり得るが、男と女とは場所を分け合い、夕日が沈む頃合に水浴びをする。身体を洗ったり、水浴びをすることを、インドネシア語では「マンディー」という言葉で一括する。

 言葉で思い出したが、過日民法のテレビ(トレビの泉)でも、「大戦の責を一人であがなった男」を紹介する産経新聞でも、「勉強する」「学ぶ」という言葉をインドネシアでは「ブラジャー」と発音するかのように言ったり書いたりしているが、実際は「ブラジャール」で、さいごの「ル」が日本語のような「ル」で止めないために誤解したのだと思われる。むしろ、指輪のことを「チンチン」(cincin)、お椀のことを「マンコッ」(mankok)という言葉のほうが現実の発音に近い。

 また、日本国内のペットショップで「ぺぺ」という店を目にしたことがあるが、マレー・インドネシア語で「ぺぺ」は女性の性器を意味する。都内に「ラキラキ」という名のおかまクラブが在るが、「ラキ」は「男性」で、二つ並べると複数になり、店にこの命名を助言したのはバリ在住の日本人男性である。

 話を「川」のことに戻すが、おそらく、現在先進国と呼ばれている国、日本を含め、かつては川を生活のベースとした時代があったはずで、その当時の川は清澄このうえなく、あらゆる種類の生物も視認できたであろう。


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ