バリ島駐在記「続・通貨ルピアの暴落」

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スハルト政権凋落後にできた10万ルピア札

 1998年、ジャカルタで火の手が上がったスハルト政権打倒のデモが日に日に勢いを強め、軍隊の出動を促しても収拾のつかない事態に陥り、前政権を担ったスカルノを軍事クーデターで倒し、アメリカの後押しを受けつつ、長期政権を樹立したスハルト大統領もついに矛を収めるときがやってきた。

 「ジャカルタは火の海」という報道が日本でもなされたが、投石、店舗襲撃、強盗、強姦などが、とくにスハルトが経済を任せた華僑に対してなされ、ベンツなど外国の高級車に乗っているとフロントを石で叩き壊されたりもした。

 それまで1ドルに対し2,500ルピアだったレートが、翌年の春には16,000ルピアにまで暴落、私は持っていたドルを使い、安くなったルピアを買いあさり、ルピアを銀行預金に入れた。スハルト政権が倒れる寸前まで継続していた建設ラッシュがルピア需要を喚起し、1か月に1割という、信じられない高い利子がつけられていて、それがスハルト打倒とは関係なく継続していた。

 おかげで、給料がドル建てでもらっていたこともあり、当時クタという地域に在るホテルに居住していた私には毎月の家賃がフリーと同様という幸運が訪れた。

 そして、ルピアが1ドルに対し7、000ルピアまで戻したところで、預金していたルピアをすべてドルに両替し、その為替差益だけで3か月分のサラリーに匹敵するほど儲かった。

 (以上はすでにブログに記した)。

 しかし、もっと儲けたのは私が所属していた支店で、観光上のオペレーションを行うための業者との契約、とくに運送会社との契約はドル建てだったのを、ルピアが暴落を開始したとたんに、私は1ドル3,500ルピアの換算(当時の換算率)にベースしてルピア建てで契約のやり直しをしたため、支店は未曾有の利益に恵まれた。

 むろん、数ヵ月後には、物価が総体的に騰貴しはじめ、実効換算率による更改を認めざるを得なくなりはしたが、該当する数ヶ月間の利益は半端なものではなかった。とはいえ、この俊敏な契約更改の功に対し、社はその価値が解っていなかったらしく、私に対し感謝の言葉一つなかった。 

 企業は所詮、「利益をあげてなんぼ」の世界である。どこの大学を出ているとか、立派な日本語の懸案書や稟議書や商業文が書けるとか、そんなものに価値を置く愚昧な経営者を上司に迎えている社員の立場は微妙というしかない。文書が通信のためならば、簡潔明瞭で、できるだけ読み手の時間をとらない文書こそが良い文書であって、形容詞、副詞、助詞の使い方の巧拙などは問題外である。とはいえ、こうした官僚体質が私が働いていた企業の根っこにはあった。

 (上の写真はスハルト政権凋落後にできた10万ルピア札)


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