バリ島駐在記「風葬の村、トゥルニャン」

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バトゥール湖

 「ヒンドゥー教徒のバリ島への大量移住」(2007年1月11日)で触れたが、現バリ人が大挙して元々の本拠地であるジャワ島からバリ島に退避、移住したとき、原住民だった人々(バリアガ)が島内のトゥルニャンとトゥンガナンに分散、居住したことを説明した。

 そのうちの一つ、「トゥルニャン(Trunyan)」の特異性について記す。

 彼らは移住してきたバリ人との闘争や衝突を避けるために、人里離れた僻地、というより人が通過できるかどうかというほどの難所を通過してようやくたどりつけるという、しかも背を切り立った山にガードされ、前面はバトゥール湖(写真)という場所を選び、わずかな平坦地を使って麦、玉蜀黍を栽培、副食としては湖から獲れる魚介類に依存することで飢餓から逃れつつ暮らしてきた。

 前々から、「トゥルニャンでは風葬の現場を公開してはいるが、あそこの人間は金をせびる」「船で渡っても、帰る段になって金を出さなければ船を出さないと脅かす」という主にバックパッカーや現地のガイドによる情報があり、バリに居住する外国人はもとよりバリ人でも行ってみたいのは山々だが、恐怖が先立って行くに行けないという地域だったし、現時点でもそのイメージにそう大きな差はない。

 「トゥルニャンを訪問してみたい」という欲求の根底には、彼らが行う風葬のしきたりを知り、可能ならば現場を実見したいという怖いもの見たさがある。要するに、「人間の死体が崩れたあとに残る骸骨や骨をどのように処理し、安置しておくのか」という点に、私はもとより大方の関心の矛先があった。

 あるとき、私は部下の一人、H君を同行、キンタマー二の展望台まで車で行き、そこから坂を下って湖畔の桟橋に達し、小船に乗船、トゥルニャンを目指した。旅行業に従事する以上、「怖いから行かない」では、沽券にかかわると思ったし、ガイドを教育する立場にもあったから、どのように日本からの観光客に説明するかについても、現地を踏んでおきたかったという背景がある。

 船を操る男の顔を見て、はやくも「うっ」とくるものがあった。眉骨が一般的なモンゴロイドよりも出っ張っていて、それがこれまでに耳にしたり読んだりしたトゥルニャンのイメージとダブって、必要以上に威嚇的で険悪なものを感じさせた。明らかに、一般のバリ人の容貌ではなく、平均的バリ人より背丈も高い。

 「おい、あいつ、トゥルニャンの人間か?」

 私の問いに、同行のH君は、

 「いやぁ、あの桟橋近くに住んでいるバトゥールの人間ですよ」

 と、落ち着いている。

 「ということは、普通のバリ人ってわけ?」

 「そうともいえるし、そうでないともいえます」

 「どういう意味なんだ?」

 「むかしと違って、トゥルニャンからバトゥール村まで歩いて往復できるようになっているし、バリ人との結婚もあるって聞いてますからね」

 「じゃ、ハーフってこともあり得る?」

 「そういうことです」

 船を操っていた男はある程度沖合いに出ると、エンジンを入れ、対岸に向かってまっしぐらに走りだした。東側にバトゥール山が煙を薄く吐いている。

 およそ30分の後、湖岸西の小さな桟橋に接舷。桟橋周辺では、トゥルニャンの子共たちが泳いで遊んでいる。

 「村の代表者が迎えに出てますよ」

 H君の言葉に、桟橋を見ると、一人の肥満した中年の男が笑顔で私たちを見守っている。

 「社長があらかじめトゥルニャンの村長に社員が二人調査に行くことを連絡してくれたんです」

 H君はすましている。

 「わざわざお越しいただいてありがとうございます。まずは、村で一番大切にしている巨石の入った寺院から案内させていただきます」

 代表者はそう丁寧に言って、私たちを先導した。物腰といい、言葉遣いといい、きわめて当たり前である。

 ただ、寺院というのは、巨石を見せるわけにいかず、それが存在し、村人が集まる場所としての価値があるというだけで、見た目にしてもそれを観光の目玉にできるようなシロモノではない。

 「もし、トゥルニャンまで来たいっていう観光客がいたら、トゥルニャンにもプラスになるし、ぜひ、この地の存在を日本にも宣伝してください」

 代表者は私たちを迎えてくれた理由、魂胆を披瀝した。

 「この村の人口はどのくらいですか?」

 「350人前後です」

 「なるほど。で、風葬の場所はどこですか?」

 「桟橋から、さらに船に乗って、4,5分のところです。これから、案内させますから」

 私たちは再び桟橋にもどり、小船に乗ったが、代表者は「現地のガードマンにはすでに連絡してありますので」と言っただけで、同行しなかった。

 確かに、3分と離れていないところにさらに小さな桟橋があって、そこを降りると、ガードマンらしき男が待っており、小道を案内した。歩いて20秒、「ここが風葬の場所です」といって示された前面に骸骨や大腿骨が山積みされたセメントで造った墓所があり、私は遠慮なくカメラに収め、

 「で、現在、風葬中という遺体は?」

 と、直截的に訊いた。

 「あ、それは、そこ、三箇所、竹で囲ったところがあるでしょ? 現在は、それぞれに一体ずつ入ってまして、布を上からかぶせてありますが、腐敗して、骨だけになるのを待っている状態です」

 言われた通り、布はだいぶ凹んで、肉質部分が腐って落ちた形跡が想像された。見えている脚部もほとんど骨だけになっていて、風葬が終了するまで僅かな時間であることが判る。インドネシアは一年の半分が雨季、半分が乾季である。雨季にあたれば、腐敗も早いに違いない。

 風葬の跡は沖縄でもあちこちで見た覚えがあり、手法にはそれぞれ若干の相違はあるが、概ね同じ手法によっている。違う点といえば、沖縄では、島にもよるが、ある程度、遺体が崩れてきたら、肉親が腐敗した遺体に泡盛(アルコール)をかけて臭気を消しつつ、残っている肉塊をこそげ落とす点であろうか。

 「全然、臭くないね。匂わないね」

 私の質問に、ガードマンは、

 「そこに大きな樹があるでしょ?それ、タルムニャンと申しまして、香木の一種なんです。あれがあるおかげで、腐敗の悪臭を消してくれるんです。樹木の名前はタルムニャンといいまして、この名前がこの土地のトゥルニャンという名前の由来だと聞いています」

 「なるほど」と思いつつ、私たちは桟橋に戻った。

 「実は、風葬にするのは天寿をまっとうした人だけで、殺害されたとか、夭折したとか、自殺したとか、そういうケースでは風葬にはしないで、土葬にします」

 ガードマンがそう説明した。

 私とH君とは、桟橋から小船に乗って、帰途に着いた。初めに迎えに出てくれた代表者に再度会って挨拶することもなく、船は水面を走り出した。

 「結論としてはだな、トゥルニャンは観光資源としては使えないってことだな」

 「そうでしょうね」

 H君にも異論はなかった。

 「ただ・・」

 「ただ、なんです?」

 「ただね、あのタルムニャンて木は欲しいな。あれは、たぶん、白檀なんかより珍奇な樹木じゃないか」

 H君は私の唐突な話に「確かに」と言って、笑った。

 翌日のこと、ジャカルタオフィスのチーフ(女性)がバリオフィスを訪れ、トゥルニャンの話をすると、「えぇ? ほんとに、怖くないんですか? だったら、わたしも行ってみたいです」と希望を口にする。

 私はよく慣れた、といっても、キンタマーニ観光に慣れたという意味で、トゥルニャンに慣れたという意味ではないが、そのガイドを同伴して行ってみることをお奨めした。

 帰ってきたときのチーフの報告に唖然とした。

 「とんでもないですよ。あなたが昨日体験した話とは全然違ってましてね、千円出さなければ、船は返さないって脅かされて、ついてきてくれたガイドもなにも反論できずに、仕方がないから、あたし千円払いましたよ」

 これが決定的な報告となった。以来、トゥルニャンへの観光的な誘導はまったく停止したままになったが、後々考えてみれば、トゥルニャンを去る前に村の代表者に会うべきだったと反省した。「もし観光客に来て欲しければ金をせびるようなことはするな。もし、せびったら、トゥルニャンのことはツアーのスポットとしては考えられない」と厳しく伝えるべきだった。


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