「人生の答」の出し方/柳田邦男著

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人生の答の出し方

「人生の答の出し方」 柳田邦男著  新潮文庫
2004年単行本 2006年11月文庫化初版

 同じ作者の作品としては、2005年2月に「犠牲」を書評した。自身の息子の死をみとる話を、読み手が読み継ぐことができるように、適度に、剣道でいう「間」をおきつつ、さいごまで書ききった作家魂に敬意を感じたことを記憶している。

 「人は言葉なしには生きられない。人は言葉によって生まれ変わる。言葉ほど大切なものはない」。柳田邦男が本書でしつこいほど言葉の重要性を強調している。「犠牲」を書いたときの言葉使いや書く姿勢からも、その言い分には納得がいく。

 だからこそ、傲慢にも、不遜にも映ったタイトルの本書を入手した。謙虚で節度を失わないと思われた作家が、どうしてこういう硬質で、小生意気で、何様だと思っているのかと言いたくなるようなタイトルを考えたのか、不可解の極みであり、そのことに拘泥するあまり、内容に対して思惟が降りていかず、中途半端な読書に終わってしまったことは残念だった。

 それでも、あえて、記憶に残った言葉を列記すれば、

1.時間には個人に流れている主観的な時間と、だれにでも共通して流れている客観的な時間がある。大切なのは、生命の質であって、長さではない。

2.われわれが人生の意味を問うのではなく、われわれ自身が問われた者として体験することが大切。

3.科学的に説明できないものを迷信、錯覚、幻覚、非科学的といって排除するのは現代知識人の傲慢さであり、「科学の知」という呪縛から離脱することが望まれる。

4.「国破れて山河あり」という芭蕉の言葉がある。この句について、ドナルド・キーンが、「国破れずとも、山河はいつもあり得るが、時の流れのなかで変貌、変転もあり得る」ことを芭蕉は示唆していると述べた。

(「戦乱で疲弊しても、緑濃い山も、清流も在るよ」と慰めているのだとばかり思っていたが)。

5.アメリカの思想研究者バリー・サンダースは「本が死ぬところ、暴力が生まれる。電子メディア時代における人間性の崩壊」と喝破した。

6.「病巣第一発見医師に盲従するな。サードオピニオンを求めよ。命と引き換えの状況下では紹介者の顔を潰す結果となっても気にするな」(下田治美/作家)

7.「トキ」という絶滅寸前の鳥がいる。学名は「ニッポニア、ニッポン」。

8 「衣食足りて礼節を知る」は誰にも共通する道徳規範ではない。金持ちはもっと金を欲しがり、地位の高い人はさらに高い地位を望む。

(衣食足りてるはずの政治家、企業家、官僚が悪事に手を染める例は枚挙に暇がない)。

9.ものが豊かな時代を迎え、子供の心を育てるにはどうすべきか、教育はどうあるべきか、家庭はどう対応すべきか、問題は難しい。

 本書では、少年による事件、末期癌との闘い、芭蕉の覚悟、援助交際少女、被爆者、自然災害、産業廃棄物処理、金権政治などなど、網羅している問題が多岐にわたり、そのために焦点が絞れず、総花的な内容になっている。

 むかしの子共と現在の子供との比較、物質的な豊かさが必ずしも精神的な豊かさをもたらさないという指摘は尤もだが、日本人は戦後、伝統も風習も習慣もどんどん棄てて、今日の日本を築き上げた。葬儀にしても、土葬で遺体を埋める土地があったし、沖縄では風葬だったが、マッカーサーが「火葬にしたらどうか」の一言に従い、民族にとって最も重要な部分すら、日本全国火葬にする法律をつくってしまった。そういう思い切りの良い取捨選択は戦争で初めての敗北を喫したショックがベースになっていると思われるが、アメリカのホームドラマへの憧憬からスタートした戦後日本は世界第二位の経済大国に成り上がるという大飛躍を成し遂げたものの、アメリカ的社会構造とアメリカ同様の格差社会を創造した。

 結果として、まずまずの文化的な生活が保証され、文明の利器に恵まれるようになりはしたが、一方で、核家族化が進み、少子化社会/高齢化社会が生まれ、受験戦争、塾通い、過保護、反社会性、ひきこもり、ゲームおたくなど、むかしはなかった病根を量産した。文明の利器をいったん入手し、その便利さに慣れてしまえば、さらなる利器を求めはしても、決して後戻りはできなくなる。しかも、自然災害で水道、電気などのインフラを失えば、生活はお手上げという事態が隣り合わせにある。

 また、核家族化がここまでくると、もやは大家族主義の時代には戻れず、兄弟姉妹が多く身の回りに存在することのメリットを享受することはないだろうし、老人の一人住まいも多くなり、死んでも発見したときは白骨だったという事例はさらに増加するだろう。

 私はこれを「人類の業(ごう)であり、人類の性(さが)」だと思っている。

 作者はさいごに「65歳で月に2冊の本を読めば、90歳までに600冊の本が読める。実に知的な人生ではないか」というが、65歳を過ぎた人がどんなに本を読んだところで、二三日経てば、内容など覚えてはいない。むしろ、同じ本を二度読むことを勧めたほうが実質的だと思う。昨日、栞(シオリ)を挟んだページに今日になって目を通してみても、読んだ記憶がなく、ページを前に戻して読むような事態が頻発する。それが60歳を越えた年齢に共通する記憶力の劣化現象である。

 それにしても「人生の答の出し方」というタイトルは傍若無人の感があり、他の作家がそんなタイトルの本を書いても見向きもしなかっただろうが、「柳田邦男がこのタイトルで?」と怪訝な気持ちでピックアップしたものの、残念ながら、読了後も、なお不快感が拭えなかった。


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