かけがえのないもの/養老孟司著

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書評:ためいき色のブックレビュー-かけ

 

 「かけがえのないもの」  養老孟司(1937年生/解剖学の権威/東大名誉教授)

  帯広告:人間のつくったものを信用してはいけない

  2004年6月  白日社より単行本

  新潮社より2009年1月1日 文庫化初版  ¥400+税

 作者は担当する対象が人間の死体であり、ほとんど連日にわたり死体と向き合い、解剖し、いじくり回す仕事に従事している。そういう人が、数々の著作を手がけ、しかもよく読まれている。また、新語や流行語を量産する傍ら、昆虫採集が大好きだという、きわめてユニークな人柄。知識は多岐にわたり、それが著作内容にバリエーションをもたせることを可能とし、私自身、数冊を本ブログに書評しつつ、学ばせてもらっている。

 「自分の著作が自分の頭の整理だ」と堂々と発言するところは、私が「ブログは私にとって備忘録」だと言うのに対する真逆の印象がある。

 九章から構成されているばかりか、いずれかといえば口語調で、内容がときにダブったりするが、なかから私の記憶に強く残った部分に絞って以下に紹介する。文章や言葉には、私が勝手に手直しした部分があることをお断りしておく。また、(   )内は私の意見。

1.スイス、チューリッヒの工科大学の教授、マイヤールは橋梁をつくる職人だったが、あるとき人間の大腿骨の標本を見て、大腿骨の中に小さな骨の梁が特定の走り方をしていることに気づいた。つまり、橋の力学と大腿骨の力学とが同じであることに気づいたわけで、以来、最低限の資材で最大の強度を得る技法を知った。

 また、海底電線(海底ケーブル)の断面図は人間の神経線維にそっくりだと言われる。

2.脳の視覚野の神経細胞はピアノの腱の配列とほとんど同じ。視覚野の神経細胞は周波数依存性で、低いものから順に皮質が並んでいる。音のサイクルごとに、それを捉える神経細胞も異なっている。しかも、サイクルごとに反応する細胞が等距離に並んでいる。

3.目は脳の出店である。目玉の奥にある網膜と脳が視神経でつながり、視神経は神経というよりは解剖学的には脳の一部で、造形物を一定の場所をベースに予め脳で青写真を描き、デザインすることが可能なのはこのためである。大脳皮質の働きがやがて一つの造形物にとどまらず、大きなランドスケープや都市の設計までも可能にする。

 ところが、感情とか、美しさへの感動とかは新皮質だけの働きではなく、旧皮質、つまり古い皮質と呼ばれる部部に依拠している。

4.染色体は放っておけば、すべて女性になるのが、哺乳類動物。生物学的にいえば、Y染色体によって無理に男性をつくっているため、ときに、各段階で誤差が起こり、決定にミスが伴うことがある。これが「性同一障害」や「卵巣の代わりに精巣をもつ女性が生まれたりする」大きな理由。

 むかし、出産に立ち会ったのはお産婆さんで、妊婦の出産後の胎盤は香りがよく、食べられたが、最近の胎盤は臭気が強く、とても食べられないという。

 (戦後、産婆の仕事を奪ったのが医師会の申し出による法律の改正。今になって、妊婦に対応できる医師の数が足りず云々という話は、とうてい納得できない。胎盤は化粧品にも使われると聞いたことがあるが、信憑性については定かではない)。

5.現代人は言葉の世界、脳の働きのなかだけに住んでいる。脳のなかで最も上位にあるのは意識であり、意識の働きの典型が言葉。

6.都市化が男性中心の世界をつくる。なぜなら、女のほうに出産をはじめ、より多くの自然が残るから。

 (また、男性社会に対抗するために、結婚しない、結婚しても子供を生まないという女性が増えているのも、こうした目に見えない背景が影響している可能性が強い)。

7.医学的にチェックされ、尿検査、便検査、レントゲン、胃カメラ、MRI、CTスキャン、エコー、血液などの検査の結果として一覧表になった数値があるが、これは「人間身体」ではなく、「人工身体」と呼ぶにふさわしい。自然のままの人間の身体こそが「かけがえのないもの」であり、それぞれの人生がすべて異なるということ。だから、自然のままの人間の現実は人によって異なり、それぞれが「かけがえのない」歴史性をもった一回限りの身体。

 都市化が人間を人工的にしている。なぜなら、都市は自然を拒絶する空間だからだ。つまり、現今の世界では、人工的人間と本来の自然の人間の二つが並列して存在する。自然の身体をもつ人間として扱う医療行為は(Care/介護)であり、人工の身体をもつ人間を扱う医療行為は(Cure/治療)である。

8.人間の身体は首から上と下に分けられる。上は咀嚼、言語の運動を、下は移動する運動を担う。また、言語表現が極端に肥大化したのがマスコミ。

 表現する身体、自然としての身体、そういったものを回復することが今後の課題。

9.事故に遭って、死体が他人なら大抵は顔をそむけるか近寄らないが、身内の場合なら、ためらわずに近寄るし、親族なら触れもし、声をかける。死者との関係によって、人の反応が180度異なる。

 

10.法律家は「人間は死んだらモノだから、人権はない」というが、人間は生死にかかわりなく「物体」以外のなにものでもない。

 (マスコミは死者の顔写真は逸早く入手して放映するが、害者のほうは生きている人間だから人権を尊重して放映を控えることに徹している。この手法、考え方に私は抵抗を覚える。ただ、害者や被害者の顔をTVに出す、出さないは国によって異なる)。

11.人間は本来自然から生まれた存在であって、何か目的があって設計されて造られたものではない。だからこそ、人間は「かけがえのない」存在なのだ。

 日本の文化は豊かな自然に支えられて存続してきた文化。戦後起こったことは民主化でも近代化でもなく、都市化だった。観葉植物をいくら育て、並べても、それは自然とは縁もゆかりもないもの。自然というものは、人間を人工的にはつくれないから自然なのだ。

 都市化し、自然を徹底的に排除して最も困るのは幼児ではないか。なぜなら、子供は自然そのものだから。都市化が進んだ結果、子供は大人びた子供になり、ませるのが早い。いびつで、歪んでいる。

 (都市はビルも道路もコンクリートで覆われ、その地の下にはそれまで生息していた膨大な生物、バクテリアやムシの類が死滅している。こういうことを長期にわたってやってきたことに、いずれはしっぺ返しがやってくるのではないかと、私は常々恐れている)。

 (むかし、沖縄のオバアの話に、「ビルづくりもいいが、どこかに必ず木を植え、雨水を吸える地面がもろに見える場所を確保しときなさい。でないと、人間は必ずおかしくなるよ。狂人も出るよ」といってたのを思い出す)。

 (途上国からやって来る外国人は日本に到着して最も驚嘆するのが、ハエの一匹もいないことだ、これは賞賛と受け止めていいのかどうか。単純に、日本人の衛生観念が免疫力を下げていることを暗示しているのではないかと疑心暗鬼にかられる。それが証拠に、海外旅行に出かけると、下痢に見舞われる日本人が最近とみに増えている)。

12.アジアには大きな中心が二つあって、一つが中国、もう一つがインド、このなかで仏教が残っているのはブータン、スリランカ、タイ、カンボジア、ミャンマー、ヴェトナム、チベット、日本。これで判るのは、仏教が残っているのは辺境だが、併せて自然も残っている。面白い現象というしかない。

 (中国から発した「お箸」の文化は中国以外では韓国、ヴェトナム、日本に残った)。

13.私たちの子供たちには能力もない、財産もない、地位もない、唯一もっているのは幸福とも不幸とも判らない未来である。

14.人間の創ったもので信頼の対象たり得るものはない。自然のカマキリのほうがよっぽど信頼できる。

 (飛行機やジェットコースターが事故を起こすことはあっても、カマキリが枝から落下して死ぬことはない)。

 1本の木をよく見てもらいたい。太陽は東から昇り、西に沈むが、僅かずつその軌跡をはずれていく。葉っぱの一枚一枚は互いに翳にならず、日照時間が最大になるように配列されている。

15.大正8,9年頃、後藤新平が水道の塩素消毒を始めて以来、女性の寿命は伸び続けている。

 (戦後、日本の主婦の仕事を最大に軽減したのは電気洗濯機の開発だろう。かつて、私の母親などは、子供が多かったこともあり、朝起床して半日は洗濯に追われていた)。

 上に列挙した内容は脈絡のないものもあるが、本書のなかで、著者が最も言いたかったのは、「人工の人間と自然と人間」とのテーマ。これが脳死した人体からの臓器移植に強く関係するため、解剖学者として沈黙しているわかにはいかなったのであろう。

 本書の裏表紙に、「かけがえのないもの、それは人の手のはいっていないもの、すなわち自然、子供、身体。予測のつかない、それらとの付き合い方を、日本人は知っていたはずだ。結果を予測し、何事にも評価を追い求める人生はつまらない。何が起きるかわからないからこそ、人生は面白い」との、作者の本音が記されている。

 (何が起こるかわからないから、詩も、歌も、小説も生まれ、そこに悲喜も生まれ、哀愁も漂ってくる)。


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