てんてん/山口謡司著 (その2)

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「てんてん」 山口謡司著

書評「その2」

*平安時代に入って、優美さ、浄化を求める風潮が一層強くなり、時代の経過とともに和歌が主流としての位置を占めるようになった。西暦900年頃のこと。

*空海が入唐したとき、仏教の原点サンスクリット語で「マントラ」という言葉があり、これを魏晋の時代に「呪」とか「明呪」と訳されたというが、このときから、日本に「呪い」という言葉が入ってきたのだろうか。

*万葉集の編纂目的には地方の方言調査があった。つまり、万葉集には全国各地から作品の応募を受けつけた。

*「反鼻」と書いて「ヘビ、ヘンビ、ヘンヒ」と読んだのは中国語の発音をかな文字で表記したから。

*「カタツムリ」のことを京都では「ナメクジ」。言葉は同心円的に分派して、ツブリ、マイマイ、カタツムリ、デデムシ、デンデンムシ。

*「連濁」という言葉がある。たとえば、「たけ」と「さお」をつなげると、「たけざお」と一字が濁音となる。「神」と「棚」で「神棚(かみだな)」、「島」と「島」で、「島島(しまじま)」といった具合。

*日本語では擬態語を幾つでもつくることが可能だが、後日になって理解不能になる言葉もある。たとえば、「花がババと散る」という昔の擬態語は「花がはらはらと散る」という意味だった。

*濁点との親しみは、江戸期に入って、長崎から入ってきた外来語からも窺うことができる。ポルトガル語なら、タバコ、パン、テンプラなど、オランダ語なら、ギヤマン、コップ、ゴム、ズック、ブリキ、ポンプ、ランドセル。

*日本語の標準語は武家によってつくられはしたが、江戸弁が中心ではなかった。江戸には、全国から大名が参勤交代でやってきたから、江戸には全国からの武家が存在した。かれらの口から発せられる言葉の取捨選択を通し、集大成されたと考えたほうが妥当。

 (本書に「現代の日本人はグヮーという発音ができなくなっている」とあるが、沖縄の国際通りに隣接して存在する市場のことを現地では「マチグヮー」と発音している。私が真似したら、「違うからやめておきなさい」といわれた。かつて、「画帖」は「グヮチョウ」と読んでいたし、「学校」だって、もちろん旧漢字の時代だが、「グヮッコウ」と読まされた時代がある。

 私自身が言葉に関心が強いため、この種の書籍はなにをおいても手に入れたいほうで、本書にも出遭えたことを喜んでいる。


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2 Responses to “てんてん/山口謡司著 (その2)”

  1. 新田 より:

    私の父は明治末に大分に生まれ育ちました。
    「運動会」の会を「くゎい」と発音していました。
    笑う私達子供に「昔の人は皆そう発音した。」と言う父に「そんなら”開会式”は”くゎいくゎいしき”な。」とからかったものです。
    でも、それは「かいくゎいしき」と発音をしていたように思います。

  2. hustler より:

    新田さん、コメントありがとう。
    そう言われて思い出すのは、長崎の元機動隊隊長も沖縄生まれの義理のオヤジも「先生」のことを「せんせい」と発音できずに、「しぇんしぇ」と発音していました。こういった癖はおそらく現在でも続いているのでしょう。
    息子は沖縄生まれなので、「グヮー」と楽に発音してみせます。
    福岡の「トットッとー」も面白いし、私は好きです。

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