ひとたびはポプラに臥す(第一巻)/宮本輝著

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「ひとたびはポプラに臥す」第一巻  宮本輝著
講談社  2002年3月15日文庫化初版
¥629+税

 作者は1995年の5月に、鳩摩羅什(くまらじゅう)が1600年以上前に歩いたシルクロードの道を歩こうと、この旅に出た。

シルクロード・マップ
 (シルクロード・マップ)

 西安に入り、ここを出発点としたが、西安では秦の始皇帝が紀元前3世紀に残した兵馬傭(へいばよう)を見た。そのときの感想に、「秦の始皇帝が創らせた兵馬傭は権力者の死への恐怖を表現し、平凡な庶民の死への向き合い方より、はるかに卑屈に思える」とあるが、過去に人民を支配した権力者のほとんど悉くが壮大な墓を残している。確かに、死への恐怖心というべきか、己の権能を惜しむというべきか、いずれにせよ権力者ほど強いものがあるだろう。

兵馬傭
 (兵馬傭)

 さらに、「世界の主要な博物館を見るたびに、人間は頽廃の極致というものをすでに何千年も昔に知っていた、悟っていたのだと痛感する」との洞察には鋭さを感ずる。そして、「中国人の血のなかには頽廃の極致に対する身の処し方が眠っているのではないか」と。

 作者はこれまで欧州を含め、世界のあちこちを歩いているが、以下の感想は、業務で海外への旅の多かった私の胸にも痛く響いた。

 「違う国に一歩入るたびに、言語の違いはともかくとして、習慣、国民性、価値観などが微妙に異なってきて、その微妙な差異はいつのまにか、しつこい刺(とげ)のように心身に忍び込み、それが思いもよらない葛藤をもたらしてくる」

 作者一行はマイクロバスを利用して西安を出るのだが、二日目にして、現地のガイドを例外とし、同行者のほとんどが腹痛、下痢を起こしている。「そのためもあり、天水に至って、屋台で出されたラーメンも肉マンも臭くて食べられなかった。現地人である運転手さえもが首を振って口にしてはいけないと合図した。翌朝のホテルでの朝食さえほとんど手をつけずに出発した」という。

 「天水の居住者は誰もが痩せていて、生活の疲れが全身にこびりついている。街のなかは排水の汚臭が耐えられぬほどたちこめている」

 街の様子を見ながら、作者は山本周五郎の言葉を思い出す。「政治の虚偽による災厄を政治家が責任をとったことは一度もない。この世界は虚偽に満ち、私利私欲の海。民衆を貧しいままにしておいてはならないという法令を、お上が一度でも出したことがあるか?」

 秦嶺山脈を走っているとき、途中で工事にぶつかり、待たされたため、目的地に着くまえに暗闇となった。その折りの、「民家の30ワットの豆電球の明かりが深山の漆黒の闇のなかで途轍もない光源に変わる」という表現は身にしみて解る。マレーシア(ボルネオ島側)のタートルアイランドを訪れた折り、亀が卵を産みに砂浜に上がっているとき、亀は光を嫌うからという理由で、宿舎の周辺には街灯もなく、真っ暗だった。指定された場所に行こうとしたが、暗闇のなかで私は立ち往生、係員が懐中電灯を持って迎えにきてくれるまで私は一歩も動けなかった。ただ、作者がそのときに見た満天の星と同じ空を私も見た。

 「シルクロードを古代に踏破することは命がけのことだったはずで、それでもペルシャ世界や欧州からの往来があったという事実は欲望と覇権の道であったといえるのではないか」

 黄河を目にしたときの言葉、「鋭い光を放つ油膜が黄河の川面を覆って、乾燥した空気のなかをコールタールの強い臭いが漂っている。黄河は黄色ではなく、黒く汚れていた」。現代では、東部黄河の両脇には工場群が立ち並び、産業廃棄物や汚水を垂れ流している。渤海湾を挟んで対岸にある韓国は大変だろう。

黄河
 (上流の黄河)

 烏鞘嶺(うしょうれい)の海抜4千3百メートルの峠を越えて河西回廊に入る。

河西回廊
 (河西回廊)

 「空港でも、博物館でも、ホテルでも、中国の女性服務員の無愛想なのは病的なものすら感じた」とあるが、私がこのときの作者より18年前にシルクロードを訪れたときにも同じように感じたことを想起した。とはいえ、「かれらも相手が欧米人だと笑顔を向ける」とはガイドの話。

 (日本人よりも、欧州勢やロシアにより酷くいじめられた過去があるにも拘わらず、対白人コンプレックスは中国人も等しくもっているらしい)。

 そのうえ、何を見るにも、管理者へ賄賂を払うことが常習化していて、きわめて不快な思いをする。

 (賄賂を堂々と要求するか否かで、その国の後進性が判断できる)。

 「初めの四日間で、これまで本で読んだり、TVの映像で見たりして温めてきたものすべてが壊滅状態になった」とは、作者が知己に出した手紙だが、内容は本音であったろう。作者は「映像が伝えないもの、気温、匂い、微細な砂や埃や毒虫、これらは風土に固有の生命を与えている」と言うが、同感のほかはない。

 「麻雀の牌は合計136個あるが、仏典に記された地獄の数と同じ」とは初の知見。

 「西に向かうにつれ、漢民族が減り、ウィグル族やその他の少数民族が増えて、青い目、高い鼻とともに笑顔が見えてきた」

 「この国は何もかもが『延々』と続く。山脈も、砂漠も、荒地も、麦畑も、歴史も、権力闘争も」

 第一巻は西安からゴビ砂漠に入ったところで終わるが、作者は「小説を書くことが苦痛になり、ペンを持つ手が震えて止まらなくなることがある。そういうとき、宇宙は無限だ、ならば、この俺も無限だと思い、行き詰まりを打開する」と、シルクロードとは関係のない独白や感想が頻出し、それがこの作品の特徴で、ただの旅日記とは異なる趣きを添えている。


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