ひとたびはポプラに臥す(第四巻)/宮本輝著

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「ひとたびはポプラに臥す」第四巻  宮本輝著
2002年4月15日  講談社より文庫化初版  ¥629+税

 表紙はクチャ川。素裸の少年らが水遊びに興じている光景だが、これが全景の半分であることが、新たな章の始まりとともに判り、私は平和で一切の屈託と縁のない景色に見惚れ、しばらくは目を離せず、心を奪われてしまった。中国にもこのような安穏を絵に描いたような土地があるとは。

 「西安を出発し、ここクチャまで、天水、蘭州、武威、酒泉、敦煌、ハミ、トルファン、コルラを経てきたが、よくここまで無事に、病気もせずに辿り着けたものだ」と作者は溜息を漏らす。

 (その通りだと、私も思う。私がシルクロードを旅したときは、旅程と旅客との関係もあり、ウィグル、ウルムチ、トルファン、ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠を一つの旅とし、敦煌、黄河故城、交唱故城などを別の旅としたから、それに比べ、作者一行のツアーは長期にわたるだけでなく、訪問先そのものがおそろしく多い)。

 「クチャに美人が多いのは遠い昔からギリシャ、ペルシャ、カザフスタンなど、ありとあらゆる民族が混血し、だれもが自分の祖先がどの民族の血を受けたのか判らなくなっているだろうが、そのことが同時に彼ら、彼女らの誇りと矜持を支えているのかも知れない」

クチャ美人
 (クチャの少女)

 作者は「クチャは天山南路のどのオアシスよりも豊かで、人心にも余裕があり、土塀に囲まれた農家の庭には実をつけたアンズの木が茂り、花が咲き、玄関にはたくさんの花をつけた植木鉢がおいてある」のを目にし、村落の農家を見たくなる。

 ガイドの交渉が成功し、一軒の農家に案内されたが、「老人がアンズの実をちぎって同行者に分けてくれたものの、旅が始まって以来、ほとんどが病的な潔癖症と化してしまった私たちは口に入れることをためらった。果実に付着している水や埃がまた激しい下痢を誘発するのではないかと惧れてしまう。この農家を辞すとき、お礼として差し出したタバコもお金も老人は受け取ろうとはしなかった」。クチャの人間の矜持が窺えるエピソードといっていいだろう。

 夜、小学校の講堂に似た部屋に民族歌舞団の踊りを見るために招かれたが、その折り、トイレから帰ってきた息子が「ここのトイレの状態を表現する日本語を知らん。出かかったもんが全部ひっこんだ」との文句を耳に、作者は「糞尿に関する考え方が、日本人と中国人とではあまりにかけはなれていることを、あらためて納得した」と言う。(排泄と言わずに、糞尿という言葉を選んだ点にこの作者の真骨頂を感じた)。

 (西域でなくとも、中国人は男女ともに互いに見える場所で、すわりこみつつ平然と排泄をするが、おそらくは人口の多さと排泄行為とが当たり前すぎて、そこに「恥ずかしい」という感情が抜け落ちてしまったのではないかと私は想像している。トイレが酷い状態だという点では、ロシアも負けていない)。

 「ここで披露された音楽はジプシー音楽に近く、ジプシーの先祖がインド人であるという説に深く結びついていることを立証しているように思われた」。歌舞団の一人はフラメンコのメロディーで踊ってみせた。

 「ウィグル自治区が中国政府にとって重要なのは、油田や鉱物資源のほか、イスラム勢力の浸透を阻止する場所としてであろう」

 「中国ほど他民族の侵略にさらされ続けた国はない。往古には匈奴、鮮卑、突厥に、ウィグル族に、やがてはチンギス・ハーンに。清朝時代に入ると、フランス、イギリス、ポルトガル、オランダなどの西欧による介入、1800年代にはイギリスによって阿片が持ち込まれ、戦争が起こり、惨敗した結果、香港の割譲を強いられ、1854年にはロシア軍にカムチャッカを含む黒竜江省を占領され、3年後にはイギリスとフランス軍によって広州が陥落、いわゆる租界の構築につながっていく」。

 租界とは外国人が中国において行政権と警察権を駆使する権利を持つこと。かつて、上海には日本を含め、各国の租界地があった。

 「ポルトガルはマカオを割譲させ、1895年には日清戦争に敗れ、台湾が日本による割譲の憂き目に遭い、清朝は滅亡」。

 「中国は往古から戦乱に次ぐ戦乱の歴史だった。中国のなかでは一つの国が興っても、それは他の国に滅ぼされ、その国もまた別の勢力に倒される。紀元前5世紀前後、中国には一千を越える諸侯の国が存在したと伝えられている」。

 「日本と中国とは同じ東洋人とはいえ、その歴史はあまりに異なっていて、国というものに対する概念も他国との向き合い方にも、根本的な差異がある。他国の悪意というものに対し、あまりに無垢であった日本が一概に中国の採る政策を否定することはできない」との作者の意見になるほおどと思わされた。

 (さらに付け加えるならば、13億を超える人口を無視しては中国についても中国人についても語ることはできないだろう。世界広しといえども、13億以上の民を統べたことのある国は中国以外には存在しないという事実。それでなくとも煩悩のカタマリである人間をまとめ、治めることが13億人を対象にするなど、たとえば日本政府には全く不可能と言うしかない。中国政府が北朝鮮をかばいだてすることにも、中国一流の過去から学んだ思考と、損得勘定が根底にある)。

 西安から出発してずっと虚しさに打ちひしがれてきた作者がクチャに至って、「体の奥のほうから活力が湧いてくるのを感じた。ゴビ灘が延々と続く地に虚しさを感ずるのではなく、荒涼と寂寥のただなかで、したたかに生き、恋をし、夫や妻や子を愛し、幸福を求め、ゴビ灘の幻想の土中に埋葬されていく人々を見ることは、それこそ自分の望むことではなかったのか」と、悟りに近い心境に達する。この著作に全力を傾け、没頭、専念した作者の思い入れが匂ってくる。

 クチャを出、アスクに向かう。「道路は昨夜の降雨でぬかるんでいるが、外気温が40度を超える熱さのなかで湯気があがり、重い荷を引くロバを喘がせる。街を出ても、オアシスは続いていた」

 「しばらく進むと、ポプラ並木は切れ、巨大な蜃気楼が出現、同時に竜巻が道の両脇に発生、南に七つ、北に五つ、大きなもので高さ20メートル、小さなもので3メートルだが、それらは常に単独で発生し、重なりあって巨大化することはなく、土地の人は『沙竜』と呼ぶ」

 村落の決して裕福ではない人々の生活を見ながら、ふと思う。「日本の子供たちは冷蔵庫にひしめいているレトルト食品を腹いっぱい食べ、テレビゲームと、残虐で卑猥なコミックを楽しみ、溺愛は幼児教育の敵だとのたまう口舌の徒たちの面談を信じる親から中途半端に大事にされ、真の人情の機微に触れず、可愛がり方も学ばず、愛し方も、喧嘩のやり方も知らずに育つ」と。

 「車が進むにつれ、風はさらに強まり、ゴビ砂漠はほとんど視界に捉えきれなくなり、砂や石が車の窓を打った。ドライバーは減速し、ヘッドライトを点灯し、用心深く、両眼を前方に凝らしている。そういうただなかを、一人の男がポケットに両手をつっこんで淡々と、かつ超然たる姿を保ちつつ歩き続けていた」。

 「村落に着いたとき、村は異様な雰囲気に包まれていた。どうやら、アスクのほうからやってきたトラックが民家に激突し、車体のほとんどを崩れた土塀に埋めている。そのトラックは民家に突っ込む前に二台のトラクターとも衝突し、大破させていた。一台のトラクターはポプラ幹のところで横転し、もう一台は排水溝のなかでくの字に折れ曲がり、さらに20メートル離れた場所に一台の自転車がただの金属のカタマリと化し、周辺に血だまりがあった。トラックの運転手はハンドルに顔を埋めて微動もせず、たったいま、この小集落で何人かが死んだことが判ったが、救急車や警察に連絡をとっている様子はなかった」

 アスクに到着する。聞けば、冬には零下30度になるという。

 「チェックインしたとき、ホテルのさびれ方に驚いたが、それが従業員の性質(たち)の悪さと無関係ではなかったことに気づいた。男女ともに人相が悪く、無愛想で、仕事ぶりは緩慢、日本人に恨みでもあるのかと思うほどの憎悪の目を注ぐ」。

 部屋のベッドも砂だらけで、掃除をしていないことも一目瞭然。ホテルのレストランで食事をする気を失い、日本から持参した缶詰やらインスタント食品やらを出して、何度目かの和食パーティを部屋でやった。

 アスクを発ち、470キロの行程でカシュガルに向かう。

 「途中、立ち寄って、村のレストランに入ると、店内をおびただしい数の蝿が飛び交っている。テーブルの上にも蝿が眩暈を感じさせるほどの数。店内には老人が一人いて、蝿叩きをもち、一匹、一匹に狙いを定めて蝿を叩くのだが、緩慢をきわめて、見る者を苛々させる。しかも、殺した蝿はテーブルの上に死骸のまま放置されている」

 (蝿を見ることすら難しいという日本のような国で暮らす人間は、例外なく免疫力の低下に見舞われているであろう。バリ島で6年を過ごしたとき、私自身、蝿叩きを使って、毎日平均2、30匹の蝿を叩き殺していた)。

 「午後、唐突に湖が現れた。ボガチ湖だった。長距離トラックの運転手が憩うところらしく、裸になり、腰まで水に漬かって、服を洗っている」。

 「幾つかの山あいの道を過ぎ、峠のようなところを越えると、はるか彼方の眼下に緑色の海が見えた。いや、それは広大なオアシス、カシュガルだった。天山山脈と崑崙山脈の二つの恵みを受ける西域南道の要衝地である」

カシュガルバザー
 (カシュガル・バザール)

カシュガル
 (カシュガルの居住地にある路地)

 「カシュガルで初めて放水車を見た。とはいえ、乾燥が激しいという点では他地域と変わらず、水は撒いても、次の瞬間には蒸発して乾いてしまう」

 街に入ると、作者が予想もしていなかったムードが立ち込めている。「怒気と諦観の底に矜持と卑下が、カシュガルの雑踏にもカシュガルの若者の目にも同居している」

 午後、ヤルカンドに向けて走りだすと、「すぐ天空に浮かぶ切り立ったような氷さながらの純白の塊を目にした。崑崙山脈の峰々だった」。最も高いところで、海抜八千メートルに近いと聞く。

雪山
 (カシュガルの雪山)

 「途中、グズルという小さな集落に入る。バザールでは熱気と喧噪と人いきれが満ちていた。バザールには漢人は一人もいないが、これまでに見たウィグル人とも違う風貌の男たちがみな腰に短剣を差し、男も女も私たちに敵意と警戒の目を注いだ。私は止められるのを振り切り、カメラマンと一緒にバザールの只中に足を向けた。すると、同行のガイドが不安な表情で二人を注視した。カメラマンが撮影を終えたとき、ともに車に戻り、即座に村を離れたが、なぜかれらが険悪な表情で我々を迎えたのか判らなかった」。

 夕方、タクラマカン砂漠の西端に位置するヤルカンドに到着したが、作者はグズルでのことを思いながら、はるか昔に、初期の作品である「蛍川」と「泥の河」がフランス語に翻訳され、出版社からの依頼でパリに出向いたときのことに思いが重なる。

タクラマカン砂漠
 (タクラマカン砂漠)

 インタビューしたいからとのことで出向いたはずが、パリに到着すると、「インタビューしてもらいに、フランス文壇の大御所の邸宅に行ってくれ」と言われ、「それは話が違う」と反発したが、出版社の社長に懇(ねんご)ろに諭され、頭を下げられもし、いやいや出向くと、サロン風のところに数人の作家や詩人が来ていて、ワインを飲みながら談笑していた。

 文壇の大御所とだという主人が、「蛍川を読んだが、とても感動した」と言ってから、「三島由紀夫の作品をどう思うか」と訊いたので、「人間、40歳を過ぎると、三島の小説にはつきあいきれない」と即答した瞬間、サロン全体の座が白けてしまった。そのとき、西洋における日本文化への認識は日本人が思っているよりもはるかに下等だということに気づいた。東洋の小さな島国の文学なんて、取るに足りないというのが彼らの本心なのだったら、そんな連中に媚びてまで、自分の小説を読んでもらわなくてけっこうだという怒りの声が胸のなかで反響していたという。三島の作品への評価が欧米で高いことには、私も違和感を強く持っている。

 民族を異にする人間が互いに尊重しあい、理解しあうことの難しさについて考えていたために、昔のフランスでのことまで思い出してしまったといったところだろう。

 この作品の良さ、面白さは、なによりも、作者の嗜好やキャラクターそのものが直にぶつけられていることで、読者により好き嫌いはあるだろうが、隠蔽のない、あけすけな率直さ、男らしさに触れるうち、胸のうちに快感が走る。

ロバ
 (ポプラ並木を走るロバ車)

 この著作を入手してかなり日が経過しているが、六巻もあることに辟易して、つい後回しになっていたことを、いま反省している。

 


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