ぼくはこんな本を読んできた/立花隆著

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ぼくはこんな本を読んできた

「ぼくはこんな本を読んできた」 立花隆(1940年生)著

この作家から啓蒙されることがしばしばあり、今では私にとって、無視できない作家の一人となっている。そういう人物がどういう本をどのように読んできたかに強い関心を惹かれた。

小学生の低学年頃の読書内容については私自身のそれと大した差はないが、中学生、高校生、大学生と年齢が上昇するにつれ、相違が顕著になってくるだけでなく、その量が半端でないことに驚嘆した。むろん、当時、私が読んだ本をこの著者も読んではいるが、私の小学生の頃に読んだ本の大半は少年少女文学全集と講談本だった。

ことに、著者がジャーナリズムの世界に入ってから読んだ書籍は、専門家への取材という観点からも、事前に該当する分野に関して膨大な量の読書を速読した上で、取材に挑むという姿勢を貫いたことが察せられ、ために取材も記事も低次元のものにならなかったし、取材相手から低く見られることもなかったものと想像させられた。

この作者は、何冊所有している、何冊読んだといったレベルをはるかに超え、自分がつくったビル一本(地価1階、地上3階建て)で足りず、自宅にも、大学にも、出版社にも書籍が唸っている実態は、想像しただけで、著者の書物との関係、読書のあり方が推察され、ただただ開いた口がふさがらない想いを味わった。

たとえば、難しい科学的な首題を扱うときは、500冊ほどの専門書に目を通すというばかりでなく、日本語に翻訳された本は既に古く、最先端の知識を得ようとすれば、サイエンスに掲載された英語の論文を読まざるを得ない。著者の言語能力について、外国語による会話能力については知るところではないが、少なくとも、読めるという点では、英語、仏語、独語、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語、ペルシャ語に通暁している。

インタビュアーが「立花さんの読書はいわゆる読書家と違って、膨大な読書量がそのまま現実的なパワーとなっている点がすごい」と言っているが、全く同感というしかない。我々一般の読者は好きな本を好きなときに読むだけであって、何か目的があって読む場合は仕事に関係したときだけで、年がら年中、そうした状況に置かれている著者とは生きる世界が違う。

同じ読書家といっても、対象となる本には相違があり、ノンフィクションや科学書、歴史書ばかり読む人もいれば、ミステリー、サスペンス、ホラーといった小説しか読まない人もいるし、一般的な小説にだけ目を通す人もいて、それぞれに好みがある以上当然ではあるが、著者はこうした事実を「分有の危機」という。要するに、専門化され、細分化される学問が社会的にも影響し、いつのまにか、人それぞれが読む書物に偏向が生じているというのだ。

著者のいう「一般に、実用的な欲求で読書する場合と、純粋に知りたいという欲求で読書する人がいるが、実は、実用的な欲求の裏面には、歴史的にも常に純粋な欲求がベースにあり、だからこそ現在の文明を支える利器が存在するのだという考えは当たっている。

最近は、文学離れが多いが、それは面白くないからで、貧困な想像力の産物であるフィクションを面白いと思うのは感性の劣化だという。

さらに、「自然科学はいうまでもなく、本来、古典というのは人類の知が非常にプリミティブな段階にあったときに生まれた作品でしかない。現在の知の体系がどういう方向にいま発展しつつあるかということに関心を持つことこそ、現代における最も有意義な読書活動ではないか」との提言もある。

「いかなる学問も未完であるとの認識に立て。そうでないと、専門家の大先生の学識に眩惑され、翻弄されて終わってしまう」 著者は取材という仕事をもつために、読書により Input した知識を全面的に Output すべき立場にあるが、わたしたち一般は100を Input しても、5~10ほども Output できたら、それで十分だと考えたほうがいい。

本書で面白いと思った一端は:

1.ハトは2gしかない脳であるにも拘わらず、人間の描いた画を識別できるし、また、バッハとストラビンスキーの音楽を聞き分けることが出来る。ハトは人間とは異なるロジックで世界を認識しているらしい。

2.コストパフォーマンスを考えたら、宇宙産業は成立しない。宇宙への進出は、人間が己の存在を不可思議に想い、己を取り巻く自然環境を不思議に想い、自分という存在は何なのかと考えるのと同じレベルのもので、人類にとって宿命だと考えるべきだ。自然環境的な外部世界への関心は、知りたいという欲求があって、すべてのサイエンスはその延長線上にある。

私個人が不可解に感ずるのは、この作者が両親ともにクリスチャンで、その影響下で育ってきたこと、それがまた、ロジカルに思考を進める作者がときに、唐突に、宗教的な神秘主義に惹かれる神経である。私には背反するものが一人の学者の脳裡に同居しているかに思える。

本書は(1)知的好奇心のすすめ(2)私の読書論(3)私の書斎・仕事場(4)ぼくはこんな本を読んできた(5)私の読書日記と、5部に分かれていて、最後の「読書日記」だけが上下二段に分かれ、より小さい活字で50ページに及んでいるが、この部分を飛ばして読むことができなかった。この中から関心を惹かれた本で、現在でも入手できる本があれば、読んでみたいと思っている。

本ブログに以上の書評を書いた直後、「それじゃ、つまらない本ばかり読めっていうのと同然ではないか」との、低脳コメントが入ってきた。作者は作者の立ち場で読書をし、その内容を開陳したに過ぎず、「自分がこうだから、あなたもこうせよ」などとは言っていない。そのうえ、面白いと思う本も、面白いと思える能力も人によって異なる。折角コメントをくれるなら、書き手を唸らせるような、学ばせてくれるような、せめて当たり前のコメントが欲しい。


前後の記事

«  (前の記事)

(次の記事)  »

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ