もの食う人びと/辺見庸著

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「もの食う人びと」 辺見庸(1944年生/共同通信社勤務を経、1996年から執筆活動)著
1994年 共同通信社より単行本
1997年6月 角川書店より文庫化初版 ¥686+税

 

 「度肝を抜かれた」というより、「心を揺さぶられた」と言ったほうが正鵠を得ているだろうか。書く対象は広い分野に及んでいる。

 作者はジャーナリストであり、事象をマクロで見、ものを書くという業務に従事していたが、そのことに物足りないものを感じ、ミクロで見、その視点に立って、あるがまま、五感が捉えたままをルポしようとの思いに駆られ、「食べる」という点にテーマを絞って、旅に出たという。

 冒頭に「飽食に慣れた日本人の未来に『飢餓』という不吉なしっぺ返しの気配を感じつつ、かつ曖昧な影を背負いつつ、1992年末から94年の春まで、『食の旅』に出た」とある。

 目的地は治安の悪い危険地帯ばかり、同行する通訳者はいただろうが、文字通り、体を張って、現場で、渦中の坩堝で見聞したものをありのまま、一切の虚飾を避けて書いた内容だけに、読み手の心を打たずにはおかない。

 以上が書評、以下は記憶に残った部分。

 旅の目的地は本書が上梓された1994年以前に訪れたわけだから、現在の状況とは異なっている可能性も充分にあり得る。

1.ミャンマーの軍事政権に追われたイスラム教徒、26万人が着の身着のまま、バングラデシュの貧民が暮らす土地に逃げ込んでいる。(退避という点では隣国タイにも同じ避難者が移住している)。

 首都のダッカでさえ、170万人がスラム街に暮らす国、土地の人間が平気で食う残飯には舌が恐怖におびえ、硬直し、胃袋もこわばった。

 初めは、土地の貧民らもミャンマーからの難民に同情的で、優しく接してくれていたが、外国から難民らへの支援物資が届きはじめると、土地の貧民らの目つきに変化が起こり、僅かな食料の多寡をめぐり争いに発展。

 イスラム教徒は男尊女卑だから、男はただ存在するだけ、何もせず、食い、眠り、セックスをし、子をつくるだけで、子供だけは増え続ける。女たちは、乳飲み子を目の端で捉えながら、一日中働いて、文句などは言わない。

2.太平洋戦争時、フィリピンのミンダナオ島の山奥に入った日本兵は現地人38人を連行し、殺し、鍋に入れて食った。後日、連合軍司令部はその事実を知って仰天したが、日本ではほとんど知られていない。

3.猫のペットフードの多くはタイでつくられ、日本に輸出されている。そのフードが日本で売られている値段より、工場でペットフードをつくっている女性らのほうが安いものを食っている。

 タイのバンコックに、ロイヤル・ドラゴンというレストランがあり、世界一の規模で、職員が1200人、客の収容能力は5000人で、同時に食事が可能。経営は華僑。(バンコックには日本のレストランもチェーン展開している)。

4.ヴェトナムの北部にあるハノイと南部にあるホーチミン(現地人は今でもサイゴンと呼ぶ)を結ぶ鉄道はチェコ製。現地人はハノイからサイゴンに出稼ぎに出るという実態があり、ハノイが首都なのに「サイゴンに上る」と表現する。(ヴェトナム戦争では、北が南に勝利したのに。おそらくハノイは政治を司る都市で、中国でいえば北京にあたり、ホーチミン(サイゴン)は上海にあたり、国民はサイゴンに仕事を求めて訪れるのではないか)。

5.ドイツのネオナチの青年は旧東ドイツ出身者に多く、ほとんどの場合、旧西ドイツが雇用したトルコ人を迫害する。ネオナチの活動家は1万5千人、同調者5万人、陰湿で卑劣だとの評判。ネオナチの本当の黒幕は口を謹んでいるが、腹のなかで笑っている誰か。

 (移民のトルコ人が職を得ているのに比べ、新たに東から加わったドイツ人に仕事がないというケースが発生しているからであろう。東ドイツ人はたった10人しか雇用者がいない小企業に雇ってもらっても、労働組合を結成するなどするため、西ドイツ人は頭が痛いと嘆息していると仄聞する)。

6.クロアチアが独立するとき、セルビア人の攻撃をかなり受けたらしく、トゥーラニ村では100人ほどが殺された。イスラム教徒も飢えれば豚肉(ドイツの食料支援)も口にする。なぜかは判らないが、イスラム教の男の妻は20歳年下が多い。

 クロアチアのアドリア海沿いにはイワシ漁業が盛ん。現地の猟師は骨ごと、肝(きも)ごと、パンにはさんでバリバリ食ってしまう。

 旧ユーゴスラビアの首都、ベオグラードで会った教会の聖職者が「小林一茶の句が好きだ」と言い、「露の世は、露の世ながら、さりながら」と具体的に句を口にした。

7.ソマリアの空港に降り立ったとき、アメリカの兵士が迷彩服を着、機関銃座についていた。

 後日、諸外国から食料援助が入って200万人の飢餓寸前の人を救ったというが、食料は安売りのドッグフードより質の悪いものだった。ソマリアには米軍のほか、イタリア軍、ドイツ軍、フランス軍が参加していた。ソマリアはかつてイタリアの保護領だった。

 (現在、ソマリアが接する紅海やアデン湾での海賊行為に世界が手を焼いているが、ソマリア沿岸の海賊拠点を直接攻撃してもよいことが国連の会議で決まった)。

8.ウガンダ(ビクトリア湖がある国)の首都、カンパラから南下、マサカという赤道にある町に、12万人の子供がエイズで親を失っている。物を与えることに気恥ずかしくなるのは恵まれた国の人間。「驚いたり、嘆いたりはだれにでもできる。たとえ、偽善でも、そんなことに悩まずに、食い物を与えてやってくれ」と言われ、これが心に響いた。

 目が見えず、痩せ衰えた13,4歳の女の子が、食べ物を与えたら、きちんと正座してお礼を言った。その女の子はおそらく長い命ではないだろうが、彼女の立ち居振る舞いを見ているうち、ここが世界の中心だと思った。

 感染している母親からの乳で感染する子も後を絶たない。エイズで死んだ人の遺体は畑に埋めて、バナナやキャッサバの肥料にする。

9.ロシアはプーチンの時代になって、大国としての矜持からか、軍事力の増強に力を入れはじめているが、作者が訪れた頃は、軍としての規律も、士気も落ち、軍人になりたくないという若者が多かったらしい。また、軍の食材を横流しして金儲けする将校クラスの人間も後を絶たない。

 (ロシアの売りはエネルギーだが、金融恐慌以来、輸出が激減している。貯めたドルも価値を下げ、軍事力の増強には手が回らなくなる可能性が否めない)。

10.ウクライナで原発事故を起こしたチェルノブイリは1991年に政府が全面閉鎖を決めたが、1993年にエネルギー不足から運転の再開が始まり、9000人の職員が馘首を免れた。爆発した部分は厚いセメントで固められ、棺と化しているが、あちこちにひび割れがあり、安全管理がおろそか。いずれ、再び、惨禍がくりかえされる可能性なしとしない。

 そういう土地に、いったんは逃げていった人々が帰ってきて住み始め、口にしてはいけないと言われるキノコや魚を平気で食べている。空き家には、ホームレスや脱走兵も住んでいて、放射能測定機が反応する土地のものをやはり食べている。

 原発で働く人々の食堂ですら、測定値は1.0マイクロシーベルト(1時間あたり)で、東京との比較でいえば、十数倍に相当。周囲の森林は枯れ果て、後日に植樹した木々のほとんどが放射能を浴びて異常な形をしている。

11.択捉(エトロフ)島に住むロシア人はフキもワラビも昆布も食べるが、それは島で入手できるからだろう。

 (食のありようは土地が提供するものに左右されるのは当然)。ただ、山に入るときは、熊との遭遇があるので、危険を避けるために、軍が放擲していった戦車に乗るらしいが、作者が行ったときは途中でカタピラーが壊れ、恐怖にかられつつ歩いて帰還した)。

12.韓国の南部に智異山という山があり、そこにチョンハクトンという小さな村がある。住人は古くからの礼を尊び、礼を守って生きている。全部で二十数戸の、かやぶきか、かわらぶきの家で、男も女もチョゴリを着用し、出会うと必ずきちんと辞儀をする。

 そこの儒教塾長にいきなり、「日本の天皇はもともとは百済から渡ったのだが、その事実を知っているか」と訊かれ、唖然とした。食事は、「主人と客なら、主人が先に箸をつけ、親と子なら、子が先に箸をつけるのが道理だ」と言われ、怪訝な面持ちでいると、「それは腐敗や毒の吟味だ」と言われた。さらに、「肉食は西洋文明の習慣、戦争と闘争を好む残忍な気質をつくる」と言い、かれらは菜食主義に徹している。

 (朝鮮半島では昔から箸は銀製のものを使っていたが、銀が毒に反応し変色するからで、むかしから毒殺が多かった史実を表している)。

 この村の住人にはジョークもユーモアもないが、陰湿な皮肉やいじめもないし、婉曲表現も間接表現もなく、常に直球勝負。

 韓国人は「キョッポ(在日韓国人)はクンソン(根性)がない」と言う。

 悲惨を極める内容の話について、上記したのはごく一部だけであり、必ずしも食べる話ばかりではないが、興味のある方は本書を入手して読んで欲しい。必ずや胸にガツンとくるだろう。

 作者は「あとがき」で、「旅人の独白と思って欲しい。何かを訴えたいわけではない」と言い、「日本人は離人症候群にかかっている」と言う。つまり、最貧国の人々との接触を好まず、TVで見ても、関係ないという心理がだれにもあり、一方、先進諸国に住む白人種に対してはコンプレックスがあるということだろう。

 さらに、「この旅のおかげで、閉じかけた毛穴が開き、感覚も活発化した。悲劇から悲劇へと渡り歩いた果てに、いま平然と生きているという自責の念が抜けない」と本音を述べている。この一文は作者の人柄を表して余りある。

 解説者は「実存は本質に先行するというフランスのテーゼを具現化したものであり、ルポルタージュの出発点」と評価。


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