ん(日本語最後の謎)/山口謡司著

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「ん」 山口謡司(1963年生/大東文化大学文学部教授)著
副題:日本語最後の謎に挑む
2010年2月20日 新潮新書 初版 ¥680+税

 「ん」が謎だと言われてみると、確かに、原語となった文字など見当もつかないし、帯に書かれているように「東西線の日本橋駅でローマ字表記が「Nihombashi」と「ん」に「M」を充てているのはなぜなのか?、なぜ「N」を充てないのか?」と問われてみると、著者の問いには納得がいく。

 読んでみると、この本はめちゃくちゃ面白い。途中でやめられなくなる。

 著者は日本橋駅の駅員に上記した疑問をぶつけてみたところ、「欧米の方から『Nihonbashi』と書くのは表記の慣例として間違っていると指摘されたから」と答えたという。日本の教育ではローマ字はヘボン式だから、明らかに「N」が正しいのに、大方の白人は「N」を使われると違和感を強く感じるのはなぜか?

 それはヘボン式ローマ字はポルトガル人宣教師が置いていった方式で、その他の欧米諸国ではヘボン式にしたがわず、前後にくる文字によって「M」と「N」を使い分けるからで、ポルトガル以外の国では「Bが後に続く言葉では、『ん』に当たるのは『N』ではなく『M』でないければいけない」という方式に生まれたときから慣れ親しんできたからだという。

 だから、著者の奥さん(フランス人)から急には応えられない何かを訊かれ、著者がとっさに「んーーー」と唸るような声を出すと、拒絶されたように感じ、日本人が一般にみせる「んーーー」には不快感を覚えるという。つまりは「むーーー」なら受け容れられるのだろう。

 あえて目に止まった箇所を以下に列記する。

*古事記には「ん」はない。したがって、この書を後代につくられた偽書であるとの説があるが、それは誤り。万葉集にも日本書紀にも「ん」は出てこず、天地は「てんち」ではなく「あめつち」と読ませている。

 例:漢字の陰陽を古事記では「いんよう」と読まずに「めお」と読み、「必不善心」は漢文ならば「必ずや不善の心ならんや」と読むところを、和語では「かならず、うるわしきこころならじ」と読む。

*古代の日本人は自分たちが使っている日本語を渡来した漢字を使って表記する術を学び、平安前期には、さらに平仮名、片仮名を発明したが、これも漢字をベースにしている。

*「ん」は西暦800年頃から表記の必要性が感じられるようになり、平安時代末期に至り、例えば、1093年に明覚という天台宗の僧侶による「反音作法」という研究書に触れられている。

*空海は804年に遣唐使の一員として中国唐に渡り、唐で出遭ったインドの僧からサンスクリット語を学んだ。サンスクリット語はラテン語と同じ表音文字。

 五十音図が「あ」から始まって「ん」で終わるのは、それをベースに空海が帰国後に著した「吽字義」の「吽」が「阿吽(あうん)」に繋がっているから。

 

*空海のみならず、後に遣唐使に加わった最澄らによって伝えられた仏教は日蓮、法然の時代になると、それまでの国家鎮護という目的にだけ用いられていた宗教を庶民にまで広げるため、法談を中心とする説法を行なうように社会が変化した。

 その結果、今昔物語や、琵琶(びわ)の弾き語りによって伝えられた平家物語が言語というものを貴族の独占から庶民へと拡大させた。僧侶らの庶民を対象とした布教活動が日本語とその表記の可能性を大きく切り開く要因となった。そのため、言葉の使い方はもとより、発音の仕方、表記方法などが一層発展した。

*サンスクリット語は格を変化させたり、動詞の語尾変化があったりして、格変化や活用などを伴わない漢語とはまったく異なった言語で、どちらかといえば、日本語に似ている。日本語の文法体系を考える上で、サンスクリット語との関係を調べることには意味がある。(文法とは関係ないが、「阿漕<あこぎ>なことをするな」と日本語でいうが、この「阿漕」の語源もサンスクリット語だと仄聞する)。

*日本の古代には、濁音や半濁音とともに、「ん」は下品な音という認識があった。清少納言の「枕草子」にもそのことに触れた一節があるし、当時の和歌に使われる言葉は清音が好まれ、「ん」は避けられた。確かに、濁音を伴う言葉には印象の悪いもの、感じの悪いものを現す言葉が多い。例:餓鬼(がき)、くどい、どすぐろい、脱輪、大雑把、頭骸骨、ブス、懺悔(ざんげ)、どさまわり、爺、婆、バカなどなど。

*一般的な書物でも「ん」に当たるところには長く「む」が代用されている。

 日本では第二次世界大戦終末まで、漢文が公用の日本語に使われたが、江戸時代まで中国こそが東アジア文化の中心であったから。

*1058年、「法華経」が片仮名の「ン」を使った初のケースだが、だからといって以後これが普及したというわけではない。平仮名の「ん」の初出は1120年、「古今和歌集」。ただ、「ん」の文字と「ん」としての発音の本格化は保元物語、平治物語、平家物語など軍記ものから。

*同じ「ん」の発音も上下につく言葉によって10以上の異なる発音があることが特殊な聴覚をもつ人物によって明らかにされている。日本語ではこれを書き分けたりせず、一つに代表させているというのが真相。

*「阿吽」の「阿」は宇宙の始原を、「吽」はその終焉を表し、同時に宇宙の始まりを導くための繋ぎの役も担っているというのが空海の説だが、日本語の「ん」が清と濁を繋ぐ役を担っているのは確か。

*もし日本語に「ん」がなくなったら、我々は日本語のリズムを失い、日本語がもつ情緒とシステムを繋ぐ糸を断ち切り、日本のしっとりとして深みのある文化を根底から崩壊させることになるのではないか。

 「ん」は実は言語としての問題以上に、より根源的な日本の精神や文化を支える大きな礎石。

 (日本語に擬態語や擬声語が多いのも、日本語の特徴であり、語彙を豊かにしている源泉)。

*日本語に「ん」で始まる言葉はないが、欧州の諸言語にもなく、わずかにアフリカのチャド共和国語、チベット語、中国の方言の一つ、広東語などにはある。

*「ん」という字をつくる上でベースとなった漢字はなく、撥字(はねじ)と呼ばれてきた経緯から「レ」から発想したのではないかと推測され、片仮名の「ン」も同じく「レ」からの変化ではないかと考えられる。 

 以上は本書から僅かな例を紹介したが、内容がいかに面白いかは感じていただけるだろう。


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