アマゾン源流生活/高野潤著

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「アマゾン源流生活」 高野潤著
副題:熱帯雨林は楽園か魔境か。
平凡社   単行本  2006年1月初出

著者は過去30年にわたりアマゾンの源流の地域(ペルー、コロンビア、ブラジル、アルゼンチン、エクアドル)とつきあい、20回におよぶ旅はそれぞれに40日から50日を充てている。

これまでに「アンデスの貌」「インカを歩く」など多数の著作を出し、それぞれがすべてこの地域をベースとした作品である。

そういう経緯があったうえでの表題作だからかも知れないが、全体的に源流域の実態、同行者について、行動についてなど、かなり詳細な説明というか解説をしている。

が、私個人は「アマゾン源流生活」というタイトルに内容的な壮絶さと屹立したものとを求めた。 なぜかといえば、場所が場所である。 一般人が滅多なことで行けるところではない。 旅行代理店で相談しても、まともな情報は得られまい。 現実に、著者は多くのリスクを覚悟で、文字通り命を賭したシビアーな旅をしている。

第一に、森林の密度が半端ではない。そこに生息する昆虫、爬虫類、鳥類、魚類、四足動物、各々に種類も多く、同時に危険がついてまわる。

一例を挙げるなら、たかが「ハキリ蟻」ですらがテントのなかに侵入、テントの布はおろか、ビニール、蚊帳など手当たりしだいに噛み切る。 人間の素足だって皮膚を切り裂かれる。 あの、木の葉だけを巣に運ぶ、一見愛らしい蟻がである。

「野生の森は人間の安易な滞在を認めてくれない」という言葉からは日本人が忘れかけている本物の自然をあらためて教えてもらった気がする。

ページのところどころで紹介される写真は読者の理解を援けてはくれるが、どれもが大きなスケールの風景のごく一部にすぎず、しかも白黒写真だから、凝視するほどの魅力には乏しい。写真を書物に挿入することにはコストがかかるし、それがカラー写真ならなおさらだ。著者としてはこのあたりで妥協したのであろう。

知りすぎた環境を書いたことが、淡々とした筆運びとなり、結果としてあまり起伏感のない、盛り上がりに欠けた作品にしてしまった感がある。 正直にいえば、ルポという以上に、レポートを読んでいる印象だった。

本欄で採り上げた「カヌー犬・ガクの生涯」と比較してしまうのは両者に対して失礼かも知れないが、私にはカヌー犬のほうがはるかに印象が深く、船に乗った旅にしても、自然との触れ合いの点でも、内容も脳裏に深くインプットされている。

とはいえ、本書の著者は「おわりに」あたって、ようやく、本音らしい本音を以下のように漏らす。

(1)「あらゆる生命から発せられる鼓動との触れ合い」

(2)「小さな一木一草や微小な生物から大きな樹木や生き物を含めて、森や川はあふれかえる生命の集合体、すべてが生きぬくために生命を剥き出しにして、からみあいつつ一瞬一刻の呼吸をしている」

(3)「それらが発散するエネルギーが危険や不快、緊張、陶酔をともなって私を包み込む」

(4)「億年の単位で生きてきた樹木、環境適応した生物、そういうなかに包まれているときの自分の小さな命がじわじわと胸に迫る」

著者はいかにも生真面目で、漏れのないように配慮し、全体を整理整頓することには成功しているが、「小魚の骨を喉に引っ掛けた話と、ウタ(昆虫が媒体となる皮膚病)ぐらいが盛り上がりといえば盛り上がりで、読者の心をぐいぐい惹きつけるには、インパクトがやや不足している感は拭えない。

言葉を換えれば、「驚異的な体験を意図して平坦に書いている」印象すらあって、勿体ないという気がした。

書物というものは、作者がある程度エキサイトするものを胸中にしつつ書かないと、読者のサイドに印象深くは伝わらないものだ。

あるいは、タイトルからくる雰囲気に当方が期待過剰であったのかも知れない。 ただ、本書に出遭わなかったら、知りえなかった世界を教えてくれたことには感謝したい。


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