アルメニア近現代史/吉村貴之著

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書評:ためいき色のブックレビュー-アルメニア

  「アルメニア近現代史」 吉村貴之(1969年生/東京外語大アジア・アフリカ言語文化研究員)

  副題:民族、自決の果てに

  2009年10月20日  東洋書店より初版 ブックレットNo.142 ¥600+税

 アルメニアという国名、民族名は私にとって消しがたい記憶の底にある。

 トラベルビジネスに従事していた頃、アメリカの旅行社で働くアルメニア系アメリカ人に知己を得、フラットな貌ではないながら明らかにアジア人と見られる風貌と、穏やかな佇まいが印象深く、暇さえあればアルメニアという国について質問した。

 現アルメニア共和国はコーカサス山脈(現カフカース)の南にあり、黒海とカスピ海に東西を挟まれ、北にアゼルバイジャンとグルジアが存在、南にはトルコがあるという地理的条件にある。かつてアルメニア人知己から得た知識と、いま世界地図から見るロケーションから想像されるのは、戦時には強国の通過点となり、弱者の逃避点ともなっただろうこと、逆らえば迫害、殺戮、逆らわなくとも、逃亡、移住が日常化していただろうことだ。

 本書に示された歴史は私の想像を裏切らなかった。簡単に触れると;

1.紀元前9世紀に現アルメニアの地に「ウラルトゥ王国」が成立したのが起源。

2.11世紀にビザンティンに征服される。

3.14世紀にはマムルーク朝に征服される。

4.16世紀にはオスマン・トルコとペルシャとの戦争で東西分割が固定化される。

5.19世紀前半にはロシアがペルシャ領だったアルメニアを併呑。

6.1895年にはオスマン・トルコ帝国内でドイツのそそのかしにより移住していたアルメニア人の大量虐殺が行なわれる。(トルコは第一次世界大戦時、ドイツと同盟し、敗戦している)。

7.1918年、ロシア革命が起こると、コーカサス地域のアゼルバイジャン、グルジア、アルメニアがそろって分離独立。

8.1920年には革命後のソ連邦とトルコの侵攻を受け、「ソ連邦内アルメニア」の道を選ぶ。

9.1991年ソ連邦崩壊によりアルメニア共和国の独立が西欧諸国により承認される。 

10.東西冷戦後、アゼルバイジャンとの紛争がもとで、アルメニア人6千、アゼルバイジャン人3万が死亡し、両国人合わせて100万人前後が国外に移住した。

 上記以外にも、モンゴルに蹂躙され、イラン系王朝による支配を受けるなど、歴史そのものが周辺強国に翻弄され続けたことを裏づけている。

 


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