イギリスの夫婦はなぜ手をつなぐのか/井形慶子著

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igirisunohuuhu

「イギリスの夫婦はなぜ手をつなぐのか」
井形慶子(19歳から渡英70回、イギリスをこよなく愛するジャーナリスト)著
2007年6月 新潮社より単行本初版
2009年12月1日 新潮社より文庫版初版 ¥362+税

 

 イギリスに限らず、他の欧州諸国、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドでもそうだが、肥満したおばさんと亭主が手をつないで歩く姿は日常茶飯事で、ごく当たり前の習慣だし、その姿をしばしば目にもするが、日本人一般の目には限りなく醜く映る。ひどい場合には肥満した二人が狭い道など完全に占拠してしまい、迷惑このうえない。そういう相手のどこを可愛いと思い、どこを愛(いと)しいと思い、抱きしめたくなるのか、セックスしたくなるのか、スキンシップという習慣のない日本人には不思議な思いに駆られるばかり。

 日本人には、戦後になって生活習慣、特に男女間の愛の交換姿勢にアメリカによる影響もあり、変化があるとはいえ、スキンシップが習慣化していないという点では戦前も同じであり、ほとんど一歩も進歩してはいない。

 ダブルベッドと異なり、日本式蒲団を使っては、夫婦が必ず同衾(どうきん)する習慣が希薄で、西欧人にとっては最高の「愛を確かめあう場」が日本人夫婦にはそういう場になっていない。だからこそ、世界的統計局の調査によれば、日本の夫婦はセックスの年間回数が今だに世界最低だという。

 一つには、日本女性は結婚して子ができると、自分はまず第一に母親であり、第二に妻であり、第三に女であるという西欧の女性とは全く逆の意識を持ち、夫は夫で子ができて一応家庭という名にふさわしい形ができあがると、妻に体を求めなくなる傾向がある。愛情の有無とは関係なく、同じ相手に対し性的に意欲的でいられるには限度とというものがあるような気がする。セックスはいわば快楽を追う機会であり、遊びを含むゲームでもあるのだから、それを妻に求めることに抵抗感を持つ男性もいる。そうした気持ちが妻以外の女、関係を持っても問題を起こさない女を相手にするようになる。だから、日本の夫婦間のセックスが世界最低だという統計数値も、日本の男の外での遊びまでは含まれていない。

 つまり、日本の男は妻にあんなエッチな格好をさせちゃいけない、あんなすけべったらしいことを強要してはいけない、あんな気持ちのいいことを教えちゃいけないと思っている節がある。なぜって、一度教えたら、セックスというものの本質を知ることになり、以後、それを要求するようになることを恐れるからだ。たとえば、自分の妻の足の親指を口で優しくくわえて舐めたことのある亭主が日本人に何パーセントいるだろうか?とはいえ、そんなことを毎回要求されたら、亭主は間違いなく辟易する。

 イギリスのおばさん方がいくら肥満し、デブであっても、亭主は「She is so lovely, and wonderful!」と平然として口にするという。そして、スキンシップを怠らず、心をこめて「I love you!」と言う。何年経っても、二人のベッドは愛を交換するベッドであり続ける。何十年も同じ相手とよくも飽きずにペニスが使えるものだと感心するが、それはこちらの邪推というもので、かれらにとっては余計な詮索というものだ。

 本書にも書かれているが、イギリスの夫婦はどんなに離婚の危機が訪れていても、喧嘩状態になっていても、「カップルシークレット」を外で漏らすことはないが、日本の主婦連中は寄るとさわると、亭主の悪口を口角泡を飛ばして言い合う。エチケットやマナーというものを真剣に考えたことのない民族との差というべきかも知れない。外国に住んでいる日本人はえてして最も口の軽い、おしゃべりだと評価されている。

 日本の若い女が、なにかというと、「かわいいー!」を連発する話が出てくるが、これは明らかに「低脳」であり、「語彙不足」だからであろう。日本の留学生が仲良くなったイギリスの青年に対し、「Am I cute?」(あたしってキュート?)と聞いたところ、相手が意味が判らないという表情を示したので、「Am I pretty?」(私って可愛い?)と聞きなおしたら、「What are you expecting me to react?」(あなたは私にどう反応させたいのか?)と言われ、続いて「I don’t expect you to be like a pet」(私はあなたがペットのようであるようになどとは期待していない)と返され、二人の結婚の話は消えたという。作者は言う、日本の女性が口にする「かわいいー」には「幼さが同居している」と。

 話は本筋とは離れ、日本の寿司屋がメニューなしで握っていた時代、(今でもそういう店はあるが)、イギリス人のみならず、ほとんどの外国人は仰天したというが、私も仰天した。予めプライスを記したメニューを提示しないレストランなどというものは世界中にない。たぶん、江戸時代から続く江戸っ子の粋だとか、気風のよさであるとか言い訳するだろうが、第三者の目からは貧乏人イジメ以外のなにものでもなく、「バカも休み休み言え」と言いたくなる。ここ10年ほど、まともな回転寿司が日本中に出来たおかげで、そういう昔ながらの寿司屋の多くが潰れるか閉鎖したが、「いい気味だ」し、「ざまぁみろ」と私は思っている。

 日本人は卒業式は新しい出発と考える以上に、終了と考え、出発を祝う以上に、別れを嘆き、泣くシーンが多い。日本人の結婚式も、本来人生のスタートなのに、娘が手紙などを読んだりして、ことさら泣くシーンづくりに励むが、話が逆である。

 イギリス人は夫婦間で「I rely on you」としばしば口にする。これは「自分の人生をあなたにゆだねている」という意味である。

 角川書店の元社長の姉、辺見じゅん氏は、本書「解説」で、「透徹した観察力と柔らかな感性の力によって、私たちは人生の豊かさとは何かを感受するだろう。その意味で、本書からよりよい人生への大切なキーワードを手渡されたように思った」と結んでいる。

 私個人はいつも思うことだが、結婚制度というものがいつ誰がこの世に持ち込んだのか、この制度が男女を統禦するのに最善の方法なのか、イギリス人の初婚の夫婦のうち40%が離婚するというのは、この制度そのものに本質的な間違いがあるからではないかと思うのだが・・・。


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