カラシニコフ自伝/エレナ・ジョリー著

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「カラシニコフ自伝」  エレナ・ジョリー(ロシア人)著
副題:世界一有名な銃を創った男  訳者:山本和子
帯広告:50年以上ひた隠しにしてきた数奇な人生をはじめて明かす
朝日新書 2008年4月初版

 

 本書はエレナ・ジョリーというモスクワ生まれパリ在住の作家でありジャーナリストでもある女性が83歳時のミハイル・カラシニコフ自身に会い、聞き書きしたもの。

 「カラシニコフ」といえば本来は「AK47」という名称をもつ自動小銃だが、有名なというべきか、悪名高いというべきか、精度、耐久性、操作性のあまりの良さから「悪魔の銃」とも呼ばれ、社会主義時代の創作だったため特許申請をしなかった。ために、その基本原理が世界中で模倣され、友好国、西欧諸国に植民地化されている国、内乱状態の国などに輸出もされて、アメリカの支援を受けていたイスラエルでさえ、アメリカの「M16」を使わずに、「AK47」を自国生産したくらい。非合法の銃を含め、トータルで2億丁に近い数が世界中に出回っているだけでなく、アメリカの武器専門家のエドワード・エゼルは「カラシニコフは2025年、ひいてはそれを超えるまで使われるだろう」との言葉を残している。

(本書では製造された銃の数を6千万から7千万丁と推量しているが、グーグル検索によれば、2億丁が正確な数字とのこと。また、特許がないことを利用、自国生産した国は、百以上に及んでいるとは、これもグーグル検索による)。

 50年間、人物や量産工場や設計場などだけでなく、履歴までもが秘匿されてきた理由は、本人が少年時代にスターリン治世下、家族が富裕農民層というレッテルを貼られ、シベリアに強制送還されたものの、家族を置き去りにして収容所を脱走した経歴があり、それを語ることは身の破滅を招くという自己認識のほか、過去を隠しながらも世界に冠たる自動小銃を創作し、以後、量産体制に入った工場に在って品質のチェックを行ない、あわせて数々の改良に手を染めていたことなどから、国から守秘義務を課せられていたことによるという。

 カラシニコフ自身は「AK47」を「突撃銃」と称していたが、この銃の独創性は、銃身の上に取りつけられたガスシリンダー内のピストンが尾筒内でボルト(遊底)を回転させる仕組みと、水、泥、砂をかぶっても作動に変化をきたさぬように、それぞれの部品に隙間をもたせ、常に使用可能な状態にあるよう工夫されていたことにある。

 この種の武器に求められる要諦は、構造の単純性、耐久性、操作性、戦闘時の有効性、射程距離、命中精度、サイズの適切性、軽量であること、音が小さいことなどだが、本書に示される自動小銃、突撃銃、軽機関銃、カービン銃、短機関銃など名称が色々あり、それぞれどこがどう違うのか詳細な説明は省かれている。

 1950年には、AK47、軽機関銃、半自動のカービン銃の3タイプの銃器に、三者の口径を同じにした統一規格の試作品を製作することをスターリンに指示されたが、それは同じ銃弾を使え、銃の部品が使えなくなったとき、ほかのタイプの銃の部品で代用できることが、機能を一層高めることにつながるからで、いわば異なるタイプの銃器の互換性が主題だったが、これに成功、突撃銃「AK47」と軽機関銃「PPK」はほかのすべての銃に代わり、軍内で使用されることになった。

 さらには、戦車用、兵員郵送車用、重機関銃の三つの機関銃の長所をすべて合わせもつ統一機関銃の作製に至り、レーニン賞を授与される。

 1960年代には、キューバ革命とハンガリー動乱に使われ、ヴェトナム戦争で威力を発揮、植民地解放のシンボルとしての地位を確立、イラン・イラク戦争、レバノン、アンゴラ、エチオピア、カンボジアの内戦などにも使われ、世界中の至るところでカラシニコフで武装した兵士がいた。また、ソ連がアフガニスタンに進攻したときは、カラシニコフがソ連兵士に向けられもした。

 カラシニコフの口径は7・62ミリだったが、ヴェトナム戦争後、アメリカの「M16」の5.56ミリとう小口径に造りなおすよう指示があった。海外の武器メーカーがその流れに乗っていたからだが、単に銃身を細くすればいいという問題ではなく、口径の小さな弾薬を使った場合、銃身内に水分があると、銃が作動しなくなるという欠点があり、それをどう克服するかが大きな課題だったが、チームメイトの協力を得ながら、課題をクリア、新しい銃は命中度を高めただけでなく、軽量化にも成功、戦闘時における性能がさらにアップした。

 カラシニコフ自身は学歴もなく、銃の専門家としての教育も受けていず、AK47を独力で創作したわけではなく、多くの助力者(エンジニア、デザイナー、軍兵器専門家、ライバルたちのアイディア、同僚らの意見など)のほか、参考資料はもとより、兵器博物館で展示されていた世界のあらゆる銃を観察して創作したことは明示されているが、どこまでが独力によるアイディアなのかに関しては不分明。

 カラシニコフはスターリン時代にすでに最高会議の代議員に推薦され、フルシチョフ時代の12年間を除き、1988年まで議席を与えられ、共産党員ともなり、経済的にも安定していた。

 カラシニコフはスターリンが凄まじいまでの殺戮を行なった事実を知りながら、スターリンに傾倒、崇拝し、「20世紀の偉大な国家指導者であり、軍の統率者だった」と主張する。カラシニコフはソ連邦を解体させたゴルバチョフ、エリツィンの二人を憎悪したとも。

 西欧諸国のジャーナリストにより、「ロシアのしがない軍曹がワルシャワ条約機構加盟国すべての軍の装備を担当」という内容の記事が書かれたおかげで、カラシニコフという人物は守秘義務から解放され、少将、中将にまで出世し、世界的に知れ渡るきっかけとなり、それを機会に、嫌いなエリツィンからもメダルを授与された。冷戦の終焉後は、アメリカにも足を運んでいる。

 訳者は「あとがき」で、「日本のメディアを通して伝えられるロシアのイメージがいかに断片的で偏ったものであったかがわかる」と言っているが、それはカラシニコフが語った内容そのものにも言えることで、殺人の数でヒトラーや毛沢東をはるかに凌ぐスターリンを崇拝するような男がソ連邦の真の姿を知悉していたとは私には思えない。カラシニコフがスターリン時代に最も精彩を放つことができたという背景がカラシニコフをしてスターリン崇拝に導いただけのことのような気がする。

 現在、ロシアには「カラシニコフ博物館」が存在するが、彼は「人類が最後の日を迎えるまで、銃が地球上から姿を消すことはないことを私は知っている」と明言している。

 本書の最大の欠点は、カラシニコフの話が時系列を追わず、時代を前後して語るのを作中で整理されていないことと、年代がしばしばネグレクトされている点である。作者が当時の社会的背景を添え書きしていることはそうした欠点を多少とはいえ、補完することに役立ってはいるが。 


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