ケダモノダモノ/伊東乾著

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「ケダモノダモノ」  伊東乾(1965年生/東京大学院情報学准教授)著
副題:調教と傷心のアメリカ
2007年10月31日 集英社より単行本初版  ¥1600+税

 

 本書を入手した動機は、「ケダモノダモノ」というタイトルの異様さ。

 著者は大学の教授でありながら、ミュージシャンであり、作家でもあるという、マルチな生き方をしているという異色の人物。

 本書は作者の大学時代の友人が地下鉄サリン事件の実行犯の一人であるという事実を念頭に置きながら、アメリカで起こった9・11のテロ以降のアメリカ社会の実情を視察、観察するため、軍事基地、兵器展示館、反戦デモ、軍事演習、射撃訓練、役所、戦争体験のある兵士、兵士の日常生活などに触れ、取材しつつ、最後にマンハッタンのグラウンドゼロを訪れて考えたこと、感じたことをまとめた一書。

 以下に、本書のなかから私の目に止まった部分だけを記すが、「  」以外は私の個人的な意見。

 「TV業界のほとんどは、TVは面白ければいいんであって、テレビの内容を真に受けるほうがどうかしていると本気で思っている。霊感番組のほうがはるかに詐術性が高いし、社会に流す害毒も大きい。そういう実態にTVやマスコミ業界は全く鈍感。視聴率さえとれば、内容はなんでもいい、それが日本式の『表現の自由』の実態」

 この言葉は私が常々思っていることと一致している。

 「本来のメディアのあり方は、Fairness & Accuracy in Reporting」(報道における公平と確実)であり、報道の番人であるべき」 当然だ。

 「アメリカ国民の大半がイラク戦争を支持した。ブッシュをはじめとするネオの連中が都合のよいストーリーを嘘の情報で粉飾して世論を操作。9・11で逆上していた人々はあっけなくそれに躍らさせた。メディアは総がかりで戦争へのマインドコントロールに終始した」

 逆上したブッシュに同調したのがイギリス、ロシア(チェチェンを抱えていた経緯がある)、ドイツ、日本など。

 「9・11を口実に火蓋がきられたアフガンへの空爆、イラク戦争、それがいかに茶番かは、日本の視聴者はすでに大半が知っている。大量殺人兵器などは一切なかった。そもそも、9・11だって本当は誰がどのように引き起こしたのか、真相は未だに闇のなか」

 最近になって、処刑されたフセインが、処刑前の自白で、「なぜ大量殺人兵器がないのに査察を拒否したのか」との問いに、「イランに舐められたくなかったからだ」と答えたことが報道されている。「まさかアメリカが即座に宣戦布告するとは思わなかった」とも。

 「アメリカ国民はFOXによる放映を、これまでにない真実の報道だと信じていたが、視聴者は例外なくFOXによる放映に誘導されていた。フセインの銅像が倒されているとき、現地人はアメリカは帰れと口々に言っていたが、その音声は消され、アメリカ人アナウンサーのナレーションをかぶせて、状況の事実をゆがめていた」

 私のネヴァダ州に住む友人もFOXが放映する画像はアフガンのときより、内容はずっと克明で迫力があり、はるかに真実に迫っていると評価していた。

 「アメリカの戦争テーマパークには、アメリカが戦ってきた戦争は正義の戦争だと明示されている。自由と民主主義の守護者としてのアメリカ、世界の解放軍にして、あらゆる悪の魔手から地球を守るアメリカ人の自己肯定には、むしろ自己陶酔に近いものが感じられる」

 「戦時ニュースの映画は常に自軍の賛美に終始する。西部劇のインディアン殺しの描写と変わるところはない。こういうストーリーで、アメリカは子供が小さい頃からマインドコントロールし、仕込んでいく」

 「新兵を含め、普通の神経をもつ人間には、人間相手に銃の引き金を引くことはできない。だから、訓練では人間の形をしたマトを日常的に撃つことで心理的抵抗感を希薄にする。動くものがあれば、反射的に銃を撃つことを体が覚えるまで訓練は続く。だから、イラクで子供を撃ってしまった兵士が、以来PTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥ってしまう。PTSDを抱える帰還兵はかなりの数に昇っている」

 「アメリカ人はイルカやクジラや森林生態系は大切にするが、人間に対しては残酷な空爆を辞さない」

 「アメリカでは軍隊そのものの善悪以前に、すでに存在しており、そのことに疑問を感ずるアメリカ人はいない。一方、アメリカの指導で平和憲法を持った日本では軍備というもの、それ自体へのアレルギーが現在でも非常に強い」 アメリカのGDPの大きな部分を軍需産業が占めているし、そこで生計を得ている労働者も多い。

 「フランス革命時、幾多の命を断頭台に送ったロべスピエールこそが『テロリズム』という言葉の生みの親。そのフランスで、2007年、シラクによって死刑が廃止された。このアピールに反応したのはEU諸国だけで、日本のニュースはほとんど話題にせず、アメリカは全くの音なしの構え」

 死刑を廃止するなどはとんでもないと私は思っている。

 「兵隊とは思考を停止する職業。これとグル(麻原)の言葉を一切疑わずに地下鉄でサリンを撒いた実行犯とに、どういう違いがあるだろうか」

 作者の言葉からは、サリン事件の実行犯である友人へのかばいだてが感じられる。アメリカ兵が国の指示に従って戦場で殺人行為をするのと、麻原の部下が平和な市民生活のなかで麻原の指示に従って殺人行為をすることとは、いずれも無辜の市民が巻き添えを食ったという事実は同じでも、根本的に問われる内容がまったく違う。

 「黒人奴隷は南北戦争によって解放されたが、農業の大規模化、機械化で職を失い、そうしたタイミングで軍人として働く道が設けられ、血を流しつつ市民としての権利も得たが、総じて単純な図式ではない」

 「生物としての人類が進化の過程で経験してきた、あらゆるケダモノの残骸が人間ひとりひとりの体のなかに埋まっている。感情の赴くまま行動すれば、人は簡単に動物のレベルに落ちる。人間は猿とは違い、巨大な面積の大脳新皮質を発達させながら、アニマル的な情動から始まって還元されるだけでは、ケダモノの段階に甘んじざるを得ない」

 この部分が本書のエキスであり、アピールである。

 「人の心に恐怖が発動すると、大脳新皮質の血流が低下し、人間ならではの理性が麻痺してしまう。そんなとき、人間はアニマルの脳まで低下する。あらゆる人間は内側にケダモノを飼っている以上、生理的に仕方がない。人間が理性をフルに生かすためには、智慧のすべてを上回るほどに強い情動、つまりケダモノの自分からケダモノを超えた自分へ意思と確信をもってジャンプしなければならない。それがホモサピエンスという動物が宿命的に持つ生理的縛りなのだ」

 読了して感じたのは、ケダモノ的な情動が最も深く根を張っているのが作者ではないかということ、そして、作者の発する言葉は激しく煽情的であること。とはいいつつも、人間の業(ごう)、煩悩、我執を否定するものではない。人類という生物は所詮は自らの滅亡に向かってまっしぐらに生きる生物ではなかろうか。人間から欲を排除することができない以上。

 さいごに、本書から得た知見が僅かではなかったことは、ここに記しておく。そして、できることなら、本書を英訳してアメリカで出版して欲しい。


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