サラの柔らかな香車/橋本長道著

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「サラの柔らかな香車」 橋本長道著
2012年2月10日 集英社より単行本初版 ¥1200+税

 
 本書は「人間のもつ才能、特殊な能力、天才」とは?を最大の目標に将棋という日本にしか指し手はいず、精神異常のある、しかもブラジル生まれの幼女に思いを仮託し、教え方にほとんど七転八倒しながら、この幼女の天才性を掘り当てるという内容。

 帯広告にあるような「ぐいぐい引き込まれる圧倒的な描写力」は感じないし、あり得ない話をあり得る話にしてしまうのも小説だから当然で、これに意見を吐露する気はないが、同じ天才を書くうえで「将棋」の世界をもってきた魂胆に過剰な意図を感じて、楽な気分で読み進めない。フィールドが「囲碁だったら」と思った読者は私だけではないだろう。将棋の駒が漢字で書かれているのに対し、囲碁は白と黒という2つの色で碁盤を埋めていく単純なルール、これなら外国人でもルールのみならず、テクニックのアップにも早く達するだろう。日本の将棋界に外国人棋士はいないが、囲碁界にはいる。

 精神障害者が異常な記憶力を持っていたり、世界に名高いピアニストになったり、歌手になったりはあるし、本書がそういった路線上のものを狙ったものであることはわかるが、少女の異常さと将棋というフィールドのコンビネーション選択は納得できない。

 本書に書かれているが、「最後に、視力を失うと、将棋界からおっぽり出される」というのが真実だとしたら、将棋界なぞなくなればいいと私は思う。レベルの高い棋士が途中で視力を失っても、盤上の駒の位置は脳裏での想像で可能だし、だからこそプロなのだし、第三者が助ける手段だってあり得るわけで、そのあたりへの配慮が全くなく、即刻「クビ」というのだとしたら、将棋界は人間を扱う上で相撲界と同様、人道という点で相当に遅れているとしか思えない。

 書評を超えて相撲の話になったが、ついでだから、ここに記す。一時期「相撲はわが国の神事であり伝統的なものであるがゆえに」という理由で、朝青龍がガッツポーズをしたことが咎められ相撲界から放り出された。相撲がスポーツでないのなら、外国に人材を求めるべきではないし、やむを得ない場合なら、伝統であることと、だからやっていいこと悪いことのあることを説明しておくべきだった。朝青龍が予め親方から説明を受けていたようには見えなかった。地方にでも、学校にでも、現実には、多くの女性が相撲で部活を行なっている。「女を土俵上にあげるな」はあまりに古すぎる。


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