サンダカンの墓/山崎朋子著

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さんだかんのはか
「サンダカンの墓」 山崎朋子著 文春文庫

 
 まえに同じ著者の「サンダカン八番娼館」について書評したが、本書はそれに続いて世に上梓された作品である。

 サンダカンは現ボルネオ島の北部、マレーシア国内の東岸にある旧都であり、かつて船しか移動手段のなかった時代に使われた港町であるとともに同島最大の人口密集地であった。

 一口でいって、本書の著者は「外国に埋もれた墓を執念をもって追う女」というイメージであり、作者の感情や憤りが先走っている印象が強く、もう少し冷徹な目で、日本対東南アジアという視点から帝国主義を標榜し、世界各地を植民地化した日本を除く国々の現地での振る舞いはどうであったかまで調べ、それと比較して欲しかったという希望は残った。

 サンダカンの墓は私自身も実見したし、サンダカンの市場で買物をしたこともあるが、案内してくれたのはマレーシア・サバ州の国立公園を管理する立場の局長さんだった。同行していた女性が「サンダカンの墓」について触れたことで局長さんが「経済大国の日本人が娼婦としてサンダカンに百年以上もまえとはいえ、現実に存在した」ことに、驚き、興奮し、ぜひその墓を見てみたいといいだしたことから、古老の華僑に聞きまわって、ようやくその場をつきとめたという経緯がある。

 正直いって、本書は当時の記録であり史実であるという点で、高く評価されるべき作品だし、今後とも残しておきたい作品である。が、その主軸はあくまで「からゆきさんの墓さがし」と「当時の日本人、ことにローカルの人々がいかに貧窮に喘いでいたか」などとともに、シンガポールだけで100人以上のからゆきさんが存在し、東南アジア全体(マニラ、バタビア(現ジャカルタ)、サンダカンなどを合わせると100万人を超えただろうという話に矛先を集中させるべきだったように思われる。

 時代背景もあったろうが、作者がどちらかといえば左翼的な見方に偏り、かつての男尊女卑やマルクス主義がいうところの「階級に対する憎悪」が執筆する勢いに火をそそいだ感が否めず、そうした色合いの濃い説明そのものは現在の日本人にはなじまないだろうし、且つ稚拙な印象を与えかねない。

 たとえば、インドネシアの経済や政治に立ち入るべきではなかったし、門外漢であればこその説明にも不足があり、他人に誤解を与えかねない内容もある。 たとえば、インドネシアには農村が多く、無学文盲も多く、工業労働者への転嫁に円滑さを欠く原因となったことは真実だが、その裏舞台には、ときの為政者が政治、官吏を華人にまかせることを拒否、外国資本から賄賂をとって仕事を任せ、賄賂に執着し、のほほんと暮らした事実もあり、その習性が長く続いたということも否定できない。

 ただ、本書は「サンダカン八番娼館」とあわせ、現今の若い女性にはぜひとも読んでもらいたいものだ。

 もう一ついわせてもらえば、「女が体を売ってひさぐ」というビジネスは人類の歴史はじまって以来、今日まで連綿と継続している事実である。 たとえば、現在のインドネシア各地に、戦前よりすさまじい金ピカの娼婦の館があちこちにいくらでもある。 オランダの「窓の女たち」もいまでは東南アジア、とくに元植民地だったインドネシアの女が増えていると伝聞する。

 戦後、日本の男どもはグループで「買春」ツアーに参加、タイ、インドネシア、フィリピンなどに行き、台湾では一夜、ニ夜の妻を選ぶグループ見合いまで設定したし、韓国ではキーセン・パティーなども用意させた。

 その後、今に至ると、介在者がだれであるにせよ、ロシア、フィリピン、タイ、中国などから日本に売春目的で入国する女も跡を断たない。

 このように貧しい国から豊かな国へと女が流れての売春行為は歴史の事実、著者がどんなに怒りを覚えても、この風俗はなくなりそうもない。 いずれ、少子化問題が手に負えなくなったら、東南アジアの女の子があれやこれやの仕事をさがし、合法的に日本にやってくるだろう。 日本にも、西欧の、外国人居住者が15-20%という時代がやってくるかも知れない。 そうなってはじめて、フランスのパリで起こっている移民者による暴動についてもコメントできるだろう。

 (NHKがパリ暴動に触れたスペシャル番組を放映したが、実質的な経験のないわが国には暴動について何かを言う資格も権利も見極める力もない。単純に外国人労働者が不況が原因で仕事から外される事実を報道するだけだったら、その報道自体に意味はない)。

 著者は「墓というものは永遠の静謐をたもたせるべきものであり、生者の軽率な手を触れさせるべきではない」といって、「墓への猛烈な執念」をみせるが、日本国内でも少子化にともなって無縁墓が続出、管理を担当する僧侶はその空き地を売って儲けているのも実情。

 本書が労作であり、その根性、執念には頭が下がるとともに鳥肌すら覚えたことをここで明記しておく。

 また、本書の初出が1973年であり、現在の東南アジアとの関係は当時とはまた異なったものがあることも事実で、現今の目から見た批判をそのままぶつけても意味はないように思える。

 日本にこういう女性が存在したこと、かつて「からゆきさん」という存在があったことなど、本書が長く読み継がれることを期待したい。それは日本人にとって忘れてはならない歴史的事実であり、恥の時代だったからだ。

 最後に、サンダカンに存在する数基の墓が、全部が全部、日本を背にして建立されていた事実だけは、心に重くのしかかった。

サンダカンの港
(写真はサンダカンの港)


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One Response to “サンダカンの墓/山崎朋子著”

  1. 野原さつき より:

    最近はこの種の、体験ドキュメント本が流行りとなって、珍しくなくなっていますが、本書が上梓された当時は「体当たりでこんなことをする人だ」ということに強い驚きを覚えました。内容的にも壮絶な話で、よくここまで聞きだしたものだと思います。作者の必死の意気込みと、誠実な人柄が登場人物に心を開かせたのでしょう。
    後世に伝えたい著作だと思います。
    欲を言えば、もう少し読みやすいように
    編集者に手を加えてもらったほうが若物にも読んでもらえると思います。

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