シベリア出兵90年と金塊疑惑/白鳥正明著

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「シベリア出兵90年と金塊疑惑」 白鳥正明(1927年生)著
2009年10月20日 東洋書店 ユーラシアブックレット「No141」初版
副題:ロシア金塊の行方    ¥600+税

 

 1918年(大正7年)から1922年にかけて、ロシアでレーニン、トロッキーらに主導されて革命の嵐が吹き荒れていたとき、日本は英、米、仏、中国と共同して、軍隊をロシア領内に出兵、日本軍は最大の兵士団をイルクーツクまで進出させ、ロシア極東南部を占領、ロシア国内の反革命軍を武器供与などで支援しつつ、かれらがロシア国立銀行から盗んでてきた金塊を奪取したとの疑惑がもたれた。

 (このような歴史があったことを私は知らなかったが)、政府が「日本の恥部」との自覚からこの件について長く隠蔽、秘匿し、識者による研究が発表されたのは、ようやく1970年に至ってからだったという。

 当時、ウラジオストックが入出国の港だったため、そこには「からゆきさん」も銀行も日本人居留民(3、050人)と無届けの日本人も2,500人いた。

 革命以前、第一次世界大戦時に、日本が輸出した兵器は小銃97万丁、小銃弾2億84万発、火砲832門、同弾薬740万発、総額1億8893万円だったが、その95%はロシア向けだった。ただ、どのような方法で、どのように引き渡されたかは、ロシア、日本両国ともに記録が残っていず不分明。ロシア側に兵器が渡ったか否かについてすら明らかではないし、革命が成功裏に終わったため、兵器供与の代金が支払われなかった可能性も否定できず、ここに金塊、金貨を元反革命分子から強奪してまかなったのではないかという疑惑が生まれた。むろん、代金の請求は日本のみならず、供与に協力したアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、中国も等しく行なったし、支払いに関して憂慮をともにした。

 1916年には、イギリスの要請により、ロシア金塊を日本の巡洋艦がカナダに運んだという史実があるが、これもイギリスが供与した武器の支払いに充当されたものとの判断がある。

 それぞれの国が反革命軍が持ち逃げしてきた金貨、金塊などを分配し、それぞれ本国に送りはしたが、分配された金は代金には遠くおよばない額だったという資料も存在する。

 日本人として耳をふさぎたくなるのは、当時、ロシア領に入った日本兵士の指揮の乱れで、かれらはロシア人の家屋に押し入り脅迫、窃盗、強姦、略奪をくりかえし、ときに、無銭飲食を行い、逃亡する兵士までいて、日本人が主唱した「武士道」にせよ「大和魂」にせよ、いずれもその欠片すらなかった事実である。

 本件については確実なことは未だに不分明で、関心のある人間(ロシア人を含め)がそれぞれ研究の成果(?)を発表しているが、誤解や憶測が含まれ、百パーセント信頼に耐えるものは皆無。

 過去、日本軍がロシアの反革命軍に協力した史実があったことを知ったことで、本書に触れた価値があったとは思うが、「第一次大戦中に、日本は未曾有の景気に見舞われた」という史実に対する評価はどうなるのかという疑問が新たに浮上した。

 なぜなら、当時の日本は日英同盟に従い、英国の要請で東南アジアに存在したドイツ植民地(パラオ、ヤップ、トラック、青島など)をすべて支配下におき、そこにいたドイツ兵を悉く捕虜とし、ドイツと敵対する欧州各国に武器、艦船などを売りまくって、未曾有の好景気に沸いたという歴史があり、捕虜にしたドイツ人は欧州のレベルを考慮しつつ大切に扱い、ドイツ人捕虜から交響楽、器械体操、ケーキ(バームクーヘン)などを教えてもらったという歴史もあるからだ。


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