ジョン万次郎漂流記/井伏鱒二著

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さざなみ軍記

「さざなみ軍記・ジョン万次郎漂流記」
 井伏鱒二(1898-1993)著
 1946年に雑誌「展望」に発表
 1996年9月25日 新潮社より文庫化初版
 ¥400+税

 

 主人公のジョン万次郎は土佐の港から仲間と一緒に漁に出、運悪く嵐に遇い、無人島に流され、そこでアメリカの捕鯨船に助けられてアメリカ本土に同行される。、物事に積極的な万次郎は言葉をはじめ、アメリカ人の生活、風習などにも関心をもち、アメリカに関する知識は仲間を圧するものになる。

 「井伏鱒二の書いたジョン万次郎の生還までの話には史実を追いつつも、必ずしもフィクションを悉く排したともいえず、むしろそのために万次郎の人柄に生彩を加えることになっている」とは、解説者の言葉。

 私がジョン万次郎に興味を持っているのは、幕末の政治にどうかかわったかという点が最大のポイントだが、卑近なことを言えば、沖縄本島南部に万次郎が帰国した折りに上陸したビーチがあり、そこに「ジョン万次郎上陸の地」という看板があって、ビーチでは多くの初心者ダイバーがインストラクションを受けている図が見られ、沖縄に仕事でいた頃、しばしばそのビーチを訪れた体験に懐旧の情があるからだ。私たちはそのビーチを「ジョン万ビーチ」と呼んでいた。

 万次郎らがアメリカに到着した頃、ちょうどゴールドラッシュ時代だったということは知らなかったが、帰国後に沖縄で、薩摩で、長崎で、江戸で、同じことを何度も何度も聴取する官僚の姿勢、態度は江戸幕府の臆病さを物語っているような気がする。

 万次郎は帰国後、幕府の所有する咸臨丸(オランダから買い入れた100万馬力の蒸気船)に通訳として乗船を請われ、正使・新見豊前守、副使・村垣淡路守のほか、咸臨丸艦長・勝麟太郎、福沢諭吉ら早々たるメンバーとともに再びアメリカの地を踏む。おそらく、この時期、わが国に万次郎を凌ぐイングリッシュ・スピーカーはいなかったであろう。

 万次郎と福沢諭吉とは期せずして、ウエブスターの辞書を一冊ずつ買い求めたという下りは面白い。

 万次郎は帰国後、捕鯨船をつくり、日本近海での捕鯨を主な漁とする仕事につきたかったらしく、幕府にその旨上申するが、希望は達成されることなく、72歳で死去。

 本書には、この当時のロシアの汚い外交の実態が書かれている。

 ロシアは英国が侵略的野心を抱いていると幕府に通告し、対馬防衛のため兵力をもって援助したいと申し入れてきた。幕府はこれを拒絶したが、ロシアは軍艦を突然対馬に来航させ、船体を修繕したいとの名目で対馬に上陸、そのうえ租借地まで要求し、無断で島の樹木を伐採、沿岸を測量までした。さらに、ロシア風の家まで建設し、関所の対馬藩士を殺傷したという。やり方が太平洋戦争時のロシア軍に酷似している。

 幕府はここまできて、やむなくイギリスに頭を下げ、イギリスの干渉を得てロシアを撤退させることができ、幕府の威信も面目も地に落ちた。こうした情勢を目の当たりにした万次郎は捕鯨出漁の願いを遠慮せざるを得なかったものと思われる。

 むろん、薩摩も長州も幕府の命運の長くないことを直観したであろう。

 が、それにしても、ロシアのやり方の汚さは今も昔も終始一貫している。


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