スカートの風/呉善花(オソンファ)著

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

スカートの風

「スカートの風」
著者:呉善花(オ・ソンフア)韓国チェジュ島生まれ、1983年27歳時に来日
副題:日本永住をめざす韓国の女たち
1992年 三交社より単行本
1997年2月25日 角川書店より文庫化初版 ¥476+税

 

 韓国と日本の際立って異なる精神文化をここまで抉(えぐ)り取った著作には初めて接した。

 作者は日本留学を機会に、新宿の歌舞伎町に拠点を置き、ビジネスに必要な通訳、翻訳のほか、日本語と韓国語スクールを開設、さらには歌舞伎町で働く韓国人ホステス(当時、同地域に3千人)相手の人生相談などを請け負っていた。

 解説者の言葉をまず記すが、「一留学生が、李朝以来の韓国人が持ち続けてきた日本人像(侮日)を打ち破り、韓国社会の病根と日本社会の意外な素顔を綴った、衝撃のルポエッセイ」とある通りの内容となっている。

 「日本人は人並み以上の経済力や社会的な地位も、まして権力など望みもしないのに懸命に、かつ勤勉に働き、それでいながら、国内から貧困を一掃してしまった。お金持ちか権力者と結婚することを共通の夢とする韓国人女性には信じられない生き様に映った」

 権力や金力志向は、人生究極の目標として低次元に感じられる。

 「時が経過するにつれ、平々凡々たるモノやコトのなかにも幸福と充実があることが理解できるようになり、それとともに自分がもっていた夢が安っぽく思えてきた」

 作者の感性の鋭さ、思考の鮮烈さを感じる。

 「愛人や夫の浮気に関し、日本人女性は自身と夫との関係を問題の対象とするのに比べ、韓国人女性は自身と浮気相手の女との対決姿勢をとる」とのことだが、明らかに戦闘的な姿勢というほかはない。とはいえ、「韓国人女性は自己主張はするが、自立精神は未熟、他者に頼って生きることに抵抗を感じない」とも。

 「韓国社会ではいまだに女性の処女性が重んじられ、離婚などによる戸籍の汚れは致命的な問題となる。だから、離婚すれば韓国内には居づらくなり、日本に入国して偽装結婚するケースが起こる。そういう韓国人女性は当然ながら日本永住希望者である」という言葉からは、男尊女卑をベースとする韓国社会の後進性が窺えるが、「韓国女性でもそういう社会倫理を受け容れず、あえて儒教的拘束にあがらって離婚する女性が増え、そうした女性のほとんどが日本へとやって来る」という。

 儒教で凝り固まった古い倫理観は男中心の、権力者や年配者にだけは従うという、きわめて封建制の強い社会を創造してしまう。「韓国人女性の日本への入国はそういう社会への抵抗」とみることができる。とはいえ、中国の纏足(上流階級の女性に強制された足を小さくする習慣)を韓国女性に強いなかったことだけは同慶の至りというほかはない。

 他方、「冬のソナタ」以来、日本女性が韓流ブームを起こし、大挙して韓国参りをする日本の社会現象は韓国でどう見られているのだろうか。「韓国女性は日本へ、日本女性は韓国へ」という流れは皮肉な印象というしかない。

 作者は日本に来て初めて知ったことの一つとして、「韓国人男性の女遊びの放埓さ、ビジネスに女を抱くことがセットになっている不可解さ、経済の発展が社会の解放に多くの点で結びつかないところに、韓国特有の社会問題がある」と喝破するが、そうした面はかつての日本人ビジネスマンにもなかったとは言い切れない。少なくとも、先進諸国ではなく、アジア一帯に出張していた日本人にその可能性を否定できない。

 「韓国企業の雇用方式は血縁、地縁を優先する」フィリピンやインドネシアと同じレベルであり、「一方で、全羅道と慶尚道との昔からある対立がいまなお根深く続いている」という。

 「韓国では男らしくない職業の代表が歌手。身内に歌手がいたら恥ずべきことで、日本でかつて石原裕次郎の葬儀に政財界はもとより、多くの有名人が出席したことにも驚いたが、その兄が政治家などということは理解を超えていた」とすれば、東方神起が早くも解散になったこともそういう見方が影響しているのだろうか。事実は、韓国にも男性歌手がどんどん増えていくだろうし、歌手が軽蔑されるなら、韓国でなく日本にやって来るだろう。

 作者によれば、「芸能人を蔑(さげす)む風潮はキーセンの歴史が影響している」と。キーセンにも二つあり、上流階級用のキーセンと、売春を義務づけられたキーセン。そうした風潮があるとして、ではなぜいま、多くの韓国人男優、女優が銀幕に、あるいはドラマに出演しているのだろうか。

 日本だって、かつては全国を回る劇団や歌手のグループは「河原乞食」と呼ばれ、蔑視の対象だったが、この半世紀余の時間の経過のなかで立場はがらりと変わった。

 「韓国社会は教育熱が高く、教育者の収入も悪くない」というが、韓国の教師らはアンダーテーブルを平然と受け取るという。お金大好き社会ともいえるし、教師らにすらプライドがないともいえる。逆に、日本の教育制度でおかしいのは教師に人材を求めるなら、収入面で恵まれた条件を提供すべきなのに、公務員並みに扱っている点だ。

 「日本人は議論しないし、しても下手。アメリカ人と韓国人は互いに理解しあうのが早いが、日本人は何を考えているのか解らない。自己主張しないからだ。ビジネストークの際ですら、いろいろ意見はあるでしょうが、私はこう思いますなどと、はじめから戦闘モードに入っていず、自分の考えを押し通そうとはしないことが不思議に感じた」

 これは優柔不断にも感じられるが、議論は全体にとってより良い結論を導き、抽出するための過程であって、勝負の場ではない。自分の意見が絶対に正しいと思い込むことのリスクを配慮するか否かの差である。議論の場が闘争の場であるのなら、アメリカ人や韓国人のように激しく自己主張すればいいだけのことで、むしろことは単純、目的意識の違いであろう。

 アメリカは他民族国家であり、「1を理解してもらうために10しゃべらざるを得ない」という事情はよく解るが、韓国人の声高の激しいやりとりは理解の埒外だ。喚く必要のないところで喚いているという印象。

 単純に議論に負けまいとする目的だけで公共の場で大声を出す韓国人を前に、私はなんど辟易したか知れない。レベルが低い、品がない、感情のコントロールができない、自己抑制のできない幼児性しか感じられない。これが正直な感想だった。

 日本語の難しさは、作者が指摘する通り、受身形、使役動詞の使い方にある。また、多くの外国人が形容詞、たとえば「緑の草原」が正しいと覚えると、「青の空」とか「黒の鳥」などと言って、なんでもかんでも「の」をつければいいと短絡し、「青い空」「黒い鳥」という使い方が解らずに悲鳴を上げる。そのうえに数々の、即興にも耐えるオノマトペがごまんと存在するし、動詞をダブルで使って言葉に強勢を与える言葉、例えば「歩きまわる」「引き寄せる」「引っ張りまわす」などなどもあり、日本語は意外に難しい。オトマトペは韓国語でも幾らでもつくれるから、言語の質はお互いに相似の部分が多いはずだが。

 とはいえ、言葉の難しい国にフィリピンやインドネシアの女性を連れてきて、介護の仕事をさせるべく、日本語を数年のうちに覚えさせようとする官僚らの頭の具合が解らない。

 作者は「~させていただきます」が解らなかったというが、私自身はこういう使い方をしたことがただの一度もない。

 「韓国料理はビビンバに代表されるように、色々な素材を上に載せて混ぜるタイプが多いが、これは歴史的に外敵からの侵略戦争に脅かされてきた事情が生んだ食文化」であり、できるだけ時間をかけずに腹を満たそうとの目的がある。一方、「日本食は素材そのものの持つウマミを堪能する食文化ではないか」というが同感。

 「混ぜることで食事にかける時間を短くしようとの意思があり、歴史が韓国人を性急にさせたといっていい。韓国人がせっかちで、ソウルなどの大都市を歩いている韓国人はまるで小走り状態だといわれる。交通事故発生率は韓国が世界でトップなのもその延長線上にある。タクシーは市街地ですら80-100キロで飛ばす」

 「生け花が理解するうえで最大の難関だった。韓国では色彩に乏しい村落で鮮やかで派手な色をした花をことのほか好む傾向があるのに対し、日本の生け花で使われる花は曖昧な中間色の花が多い。その意味が清楚な存在への愛おしさ、静と動のバランスがかすかに崩れた構成の美、生の花の由来を忘れさせてくれる、もう一つの自然世界、たおやかさ、しなやかさ、すずしさ、侘しさ、慎ましさ、など古雅の味だと忖度(そんたく)できるまで長い時間がかかった」

 庭園にせよ、生け花にせよ、日本人は西欧的な左右対称なシンメトリーで幾何学的な模様を嫌う性癖がある。さらに、日本は四季に恵まれ、季節ごとに異なる花々が咲き乱れるし、色の鮮やかな花の種類も少なくない。鮮やかな花を生け花にするのではあまりに平凡だという感じ方があるだろう。とはいえ、かくいう私は皇居のお堀の斜面に咲くマンジュシャゲの派手な紅がことのほか好きである。日本人の創った俳句に「ぺんぺん草」、別名「なずな」があるが、日本人はこうした野草がつける花からも作句への刺激を受けるという性癖があり、このあたりを理解しないと、日本人と花との関係は判らない。

 本書は上梓して以来、何度も増刷したほど予想外に売れたという。しかし、韓国では非常に評判の悪い本だというのも頷ける。

 冒頭に「侮日」という言葉を記したが、これは「日本人と日本に対する侮辱」という意味で、日韓併呑の歴史と、日本人がかつて見せた対韓国人蔑視の姿勢が韓国人の神経を逆撫でしたことを暗示している。

 さらに、日清戦争に勝利し、日露戦争に勝利し、第一次大戦時には日英同盟に従って、アジアに存在したドイツの植民地(パラオ、ヤップ、トラックなど)を悉く侵略、領土化したことで陸軍を先頭に驕り高ぶり、日本人一般までが中国人を「チャンコロ」と蔑視、朝鮮人を人間並みに扱わなかったという過剰な傲慢があった。ために、現在なお、韓国人、中国人の対日感情は決して良くはない。

 そういう実態を押して、韓国、中国からの観光客を歓迎し、少しでもお金を落としてもらおうという政策はいじましいというべきか、ここまできたかというべきか、立場が逆転しつつあることに忸怩(じくじ)たるものを覚えざるを得ない。

 歴史に関して無知な若い人が大挙して韓国参りをするこのごろの傾向を見ると、せめて日本が戦前に韓国に対し何をやったかを具体的に知っていて欲しいと思う。

 


前後の記事

2 Responses to “スカートの風/呉善花(オソンファ)著”

  1. withyuko より:

     私も以前、この本を読みました。
    日本と韓国では”美”の感覚って飛鳥時代からもう違っていたみたいですね。(仏像なども渡来人が伝えたとおりでなく日本人は日本独自のものを作ったとか。。。)
     お隣の国なのに、日本は島国だけど、朝鮮半島は中国と陸続きで絶えず冊封状態に置かれたりしていたので、日本人のように”和をもって尊しとなす”なんて言ってられない様にせっかちで好戦的になったのでしょうね。
     男尊女卑というのは儒教の考えなんでしょうか?でも韓国の女性は結婚しても姓は夫の姓を名乗らなくてイイみたいですね。
     私達日本のオバサンはドラマを見て韓国人男性は優しくていいなあと思ってしまいますが、実際には(韓国には姦通罪もあるのに)不倫も多いそうですし、女性は若いときしか価値がないという考えみたいで日本のほうが女性は生きやすいですね。

  2. hustler より:

    コメントありがとう。
    朝鮮半島は中国の影響を島国の日本より強く受けざるを得なかったと思いますね。だから、儒教もそのまま形を変えずに根づいているのでしょう。中国からはもちろん、時期的にはロシアからもいじめが継続的にあったため、精神がいじけ、つい構えてしまうのが癖になったのではないでしょうか。結婚後の姓別称は中国風ですね。
    それにしても、韓国の女性は強いですね。同じ著者のほかの本もいずれ読んでみようと思っています。

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ