セックス依存症だった私/K子著/押川剛構成

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「セックス依存症だった私」
著者:K子  構成:押川剛
新潮社 単行本 2005年9月初出

 構成者が「しめくくり」でいっているが、これほど読後感の悪い書籍は私も初めてである。

 はじめ、現代人が一般的な意味で、廃人となり、落伍し、結果的に「未来に希望を失う」というイメージが浮かび、それが脳裏に先行したため、読み継ぐことを断念しようと思った。語られる内容があまりに退廃的で、腐敗していたからだ。そのうえK子という女性が、いくら日本の若手が変貌しようと、日本女性の一般を代表するような女性とするにはあまりに例外的な存在だと思えたこともある。

 そのことには、私の頭に、人間の文明がここまできたなら、終焉は遠くない。人類が無意識に志向するものは狂気であって、本書はそのことを別の面で暗示しているように思えたからである。なぜなら、精神の異常状態を好み、それを愉しみ、求めるのは人間だけだからだ。

 話に耳を傾けるうちに段々に理解できたというのでもなく、私にとってまったくの未知の世界に唐突に踏み入った印象が強く、呆然自失したというのが本音。

 ドラッグが、種類は別にして、今ではこの国のどこででも簡単に入手でき、吸うことができるという事実、クラブや音楽DJをやりながら、放逸にそれを楽しめる世界。そんな世界が東京のような大都会だけでなく地方都市でも存在する事実。私にとってそういう世界は想像を絶していた。

 「ドラッグは普通人を一瞬にして才人にする。才能ある有名人にドラッグをやる人は少なくないのでないか」との言葉からは、ドラッグに依存して創造された芸術作品は必ず存在しているという疑いを棄てきれなくなる。ドラッグ依存症の人間には通り魔的な犯罪を犯す可能性が高いという客観的認識への恐怖も生ずる。

 「まじめに生きるのがダサイ」という言葉に共感する現代の、勉強をしない若者のEXCUSE。ドラッグをやることがむしろ格好いいという単純すぎるイメージから依存症者へという転落。

 K子は「コカインはこの世で最高の、はかりしれない快楽をもたらしてくれる」。「エクスタシーをやったあとのセックスくらいすばらしいセックスはない」と頓着なくいい切る。とはいえ、正直な告白であることは判る。

 ドラッグ依存者の後遺症がまた目を覆いたくなるほど悲惨。

 肉体の機能低下、免疫力の低下、生殖力の低下、記憶力の低下、理解力の低下、仕事をさばく効率の低下などなど、ボロボロという言葉が正鵠(せいこく)を得ているような症状。

 いったん破壊された脳細胞は決して元へはもどらない。破壊された脳細胞は萎縮して、サイズが猿なみに後退する。

 同じクラブにいても、ドラッグに手を出さない人もいる。構成者の言によれば、「この差は家庭環境の差」であり、「悪いことはするな」「人に迷惑はかけるな」などという大抵の親が子にいう、躾(しつけ)。そういうものがK子の家庭には欠如していたという。

 K子にはドラッグやセックスへの依存以外に、万引き、窃盗、詐欺、売春などが常習化していた。

そのうえ、FUCKINGシーンをポラロイドに写す趣味もあり、娘の恥部を映した写真を母親が見つけたとき、母親はいったんは怒ったが、それ以上のことはなかったという。普通の父親なら、相手の男のところに出かけていき、半殺しの目に遭わすという心境になるのが尋常だと構成者の押川はいうが同感。

 私がかつてリゾートホテルで宿泊部長を担務していたとき、突然二人の刑事がやってきて、「このホテルに、ヤクザが土地の女と泊まっているのだが、そいつがどうやらヤクづけらしい。現行犯で捕まえたいのだが、協力してもらえないか」といってきた。部屋に案内し、呼び鈴を押すと、簡単にドアを開けてくれたが、刑事は間をおかず踏み込んでいった。 ドアの外で待っていた私の耳に「あった。あったぞー」という声が聞こえてきたのはほんの数分後だった。

 中に入ると、女はバスルームで着替えをしていて、男はバスタオルで体を覆っていた。刑事が「これ見てごらんなさいよ」というから、覗き込むとポラロイド写真で、男が撮影したらしく男のペニスが女の割れ目にしっかり入っている映像もあれば、いろいろな体位での、ペニスのヴァギナへの挿入場面や、女がペニスをくわえている写真が十数枚あった。目前にいる男女のそうしたエロ写真にはなんとも説明のできない違和感というより表現を超えた妙な感じがあり、そのことについては同行したホテルの宿泊課長とも、以後、感想をもらしたことすらない。

 ドラッグは北朝鮮でも飢餓から常習化しているらしいし、オランダではマリファナは一定の限界のもとに自由売買できるし、ドイツではラブパレードでドラッグによる死者も出ている。ニューヨークなら、たぶん、どこででも入手できるだろうし、日本がこの状態なら北京も上海も香港も遠くない将来同じような状態になるだろう。いや、すでになっているかも知れない。その意味では、シンガポール政府の採る「麻薬持込は即死刑」という政策は、手法として理に適っている。

 テロのあったバリ島のクタ地区ではジャワ人の若い男が繁華街を行き来する観光客にエクスタシーを売っていたし、買ったところをポリスに見つかって逮捕され、熱暑と人の汗と糞の臭気であふれている拘置所に突っ込まれて泣いていた日本人男性もいた。

 「薬物に対する意識が甘く、認識が欠落していることが問題であり、ありとあらゆる行政機関が乱用者への介入に及び腰」と押川氏は嘆く。氏の結論は「第一は家庭、第二は行政」に問題の根があるという。「親が親らしく存在すること」が一番大切だと言い切る。日本の行政の得意技「対症療法」はいろんなものが国境を越えて入ってくる時代、もう通用しない。

 K子の赤裸々な告白により、私としては未知の世界を、たとえばドラッグの種類、それぞれのやり方、薬によって異なる効果のレベル、それぞれの持続時間、切れたあとの症状、また切れたあと再度UPする手法などとともに多くの専門用語を知り、専門的知識を得た。

 実は、本書の「はじめに」に出てくる押川氏の写真がタバコをくわえている写真であることに驚きを禁じえなかった。私自身が喫煙依存症で、すでにCOPD(肺気腫)一歩手前の状態だからだ。K子がはじめて押川氏に会ったとき、「あんたヤクザでしょ?」と訊いたとあるが、私もその写真から同じような想像をした。

 さいごに、本書は本来なら「ドラッグ依存症だった私」というタイトルのほうが内容を正確に表していると思うが、「セックス依存症だった私」のほうが刺激的で、人の目を惹き、販売に寄与するだろうという構成者と編集者との合議で決まったのであろう。この件についてはあえてクレームしない。


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