テレビは見てはいけない/苫米地英人著

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「テレビは見てはいけない」 苫米地英人(1959年生/脳機能学、計算言語学、認知心理学の専門家)著
副題:脱・奴隷の生き方
帯広告:あなたの脳は知らぬ間に毒されている!/いま明かされる洗脳メディアの恐怖
2009年9月29日 PHP研究所より新書初版  ¥700+税

 

 本書のタイトルからも、帯広告からも、TVを見ることの有害な面に絞り、徹底的にTVの在り方を批判する内容かと想像し、期待もしていたのだが、そうした部分に充てられたのは前半の3分の1程度で、3分の2は自分がかかわる仕事、業務、人脈に関する説明をしながら、実は顕示欲と矜持に満ちた自慢と宣伝に終始している印象が拭えない。

 作者が優秀な人材でありマルチ型の人間であることは認めながらも、内容に対し素直に頷けない部分があることは、作者があまりにも自信に溢れていること、ときに一方的な決めつけが散見されることにもあると思われる。

 気に障ったところ、目に止まったところなどを紹介しつつ、私見を交えて以下に記す。「   」内は作者の言葉だが、多少は言葉を変えてある。以外は私の意見。

 「人間の頭脳は視覚野を通じ、外部の視覚情報とその変化を正確に把握し、判断できるように訓練されてきた。だからこそ、TVの圧倒的な影響力に冒され、毒される」

 幼児の頃から、あの低劣な番組に浸っていたら、ろくな人間に育たないことは常識で考えても理解できる。ただ、人間の視覚野はいうほど正確に対象物を見てはいない。人間の目撃情報にはしばしば誤認や錯覚が伴う。

 「視覚情報は一瞬で圧倒的なリアリティを感じさせることが可能」は事実ではあるが、映画であれドラマであれ、原作を超えるものに私は出遭ったことはない。

 「テレビは視聴者の数が他のメディアに比べ圧倒的に多く、現代における最高の洗脳装置であり、TVで姿を目にする人物に対して視聴者は自然に好意を抱くようになる」

 

 この意見は一方的な決めつけではないか。少なくとも、私にとって、TVで見る人物に好意を抱くことは稀であり、大半の人物に対して、政治家、司会者、キャスター、コメンテイター、評論家、俳優、タレントを含め、嫌悪感を抱くから、そういう人物が目に入るたびに当方の目が腐らぬようにチャンネルを変えるか、TVをオフにしてしまう。所詮、テレビは私にとって暇つぶしに見る対象でしかない。

 確かに、「TVで見ていた人が選挙に出ると当選する」けれども、民主主義の軸が多数決である以上、抵抗のしようがない。多数決を至上主義とするかぎり、愚昧な大衆が鍵を握っているわけだから、結果的に程度の低い政治家が堂々と議席を獲得する。同じことはTVの視聴率にもいえるし、それを志向するのはスポンサー企業であり、TV局が高額なコマーシャルコストを要求する以上、スポンサーの意向に沿おうとうするのも当然の姿勢。TVを見る側が良質な番組を選ぶことに徹する以外に、「国民がミスリードされ、洗脳されるリスクは恒常的にあるし、世論の形成に大きな影響力をもつ」こともあり得る。

 「スポンサーである大企業が視聴率至上主義による番組の低劣化が自らのイメージダウンに繋がり、製品までが不買対象になり、ボイコットされる傾向が生まれているため、番組の中でそれとなく巧みにコマーシャルを挿入、視聴者の目を誘導するようになっている」このようなケースをときに見かけるはするが、即座にそれが判ってしまい、かられの目論みは必ずしも有効とは思えない。

 「テレビ業界は新規参入を許さない閉鎖的な世界。公正な競争も起こらず、自浄作用も働かない。新聞業界も法律で株の売却を自由にできないように縛られている」(チャンネルごとに放映の内容、フィールドを予め決めて放映権を認めるという手法がとれないものだろうか。どのチャンネルでも同じ内容の番組で構成され、ちょっとした事件、事故が起こると、これまた競って同じ映像を流す神経が解らないし、莫大な無駄でもある。もし新規参入が可能ならば、参入を許可する条件として、すでに存在するチャンネルを含め、内容への厳密なチェック機能を前提とするのも案の一つ)。

 作者はここで唐突に、「女性が腋毛を剃るように、アンダーヘアも剃ることを流行させるように動いている」と述べているが、正面から割れ目がむき出しになる幼女のような姿の、どこに意味があるというのか、全く理解できない。まさかとは思うが、作者は幼女にしか性的興奮を覚えない変態なのか。

 「犯罪者に多く共通するのは自己評価の低さで、自暴自棄に陥り、犯罪へと繋がる。自己を肯定し、高い評価を与えることが大切」と言ったり、「ことをうまく運ぶ人は強い意志をもっているから、相談などに来ればj即座にGOを出す」というのは論理がおかしい。強い意志をもつ人間は他人に相談などするわけがない。

 「テレビを見るな」の話がいつの間にか「人生訓」の話になり、洗脳について語る内容にしても常識の域を出ていない。

 現代でこそ、企業の終身雇用も年功序列も定期昇給も崩壊しているから、多少ずれた格好をして出社しても問題はないのかも知れないが、「誰に会うにも、自分は革ジャンにネクタイなしで行く」という話からはアメリカナイズされた作者の思考のあり方が窺えるばかりで、日本社会を無視した奇人の感覚。ビジネスといえども客商売である以上、会う客に合わせた服装を考えるのが当たり前だし、常識だろう。

 「イギリスではオックスフォード、ケンブリッジなどの大学があり、エリートコースになっていて、貴族階級が存続している」ことは事実だが、この人たちが世界でも稀な「賄賂を受け取らない人たち」であることも事実である。

 「いわゆる富裕層とはいえ、アメリカと日本とではあまりに大きな差があること」は仰る通りだが、アメリカの富裕層のかなりの部分が、いきすぎた投機(デリヴァティブなど)から生まれていて、現在は反省期に入っている。アメリカ式資本主義に追従したがために、日本社会にも格差が生まれた。いま、ドルを大量にもつ国、中国、ロシアなどはドルを金塊や白金に変えている。アメリカがこれまで占めてきたポジションはいずれ大きな揺れに見舞われるだろう。

 作者は自分がかかわっている仕事について縷々説明、宣伝しているが、過剰な経済優先主義が「商業主義の奴隷」を生んでいるのであり、それこそが「人間性の喪失」という現代社会を構築してしまったのではないか。


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