ニコライ二世と、その治世/加納格著

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「ニコライ二世と、その治世」
加納格(1948年生)著
副題:戦争・革命・破局
2009年10月20日 東洋書店よりユーラシア・ブックレット143として初版
¥600+税

 

 ニコライ二世はロシア・ロマノフ王朝最後の皇帝であり、レーニン、トロツキーらによる革命に際し、シベリアのアクエカチェリンブルグで家族、従者とともに銃殺され、享年50歳の命を奪われた。とはいえ、一家の運命、末路については様々な説が流布されてきた。(上記表紙の写真はニコライ二世の家族)。

 その当時の欧州各国の王家は互いに親族関係にあり、王室による外交にも強い発言権と権利とが存在した。

 1904年、日露開戦となったとき、ニコライ治世はすでに公選議会制度を導入していた。一方で、ストライキが全土を覆い、社会各層による運動が高まっていた。

 1905年、日露戦争による敗北とその後に続いた革命とはロシアの国際的地位の低下を招き、「怪僧・ラスプーチン」が皇室政治に登場し政治的介入を強めるというロシア史上それまでになかった珍奇なことが起こった。 

 中央アジア人の反乱原因は動員命令であり、ロシア当局による土地収奪と現地行政の横暴にある。

 労働者反乱が兵士反乱に転化し、ラスプーチンは暗殺され、6万人以上が革命側に移り、首都は食料不足でパニックに陥った。燃料原料の流通途絶で軍需産業は停止、住民は無政府状態に。

 間もなく革命軍側による臨時政府が成立したが、一方で、外国への亡命を期待していたニコライ二世一家は十数丁の銃で一斉射撃と銃剣を受けて落命。

 一家全員の遺骸は今もなお確認されていない。


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