ハラスメントは連鎖する/安富歩、本條晴一郎著

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ハラスメントは連鎖する

「ハラスメントは連鎖する」 安富歩/本條晴一郎著
 光文社新書  2007年4月初版

 

 「我慢したり、気を紛らわしたり、がんばったりしつつ、陰鬱な気分に耐えれば耐えるほど、陰鬱な気分は高まる一方。何故なら、陰鬱な気分をつくりだす基本構造には手をつけず、その構造維持にエネルギーを注げば、そこから生み出される陰鬱さは増加するばかりで終焉がないからだ。また、こうした構造の拡大再生産を無限に継続することは不可能であり、やがて、構造を支えている要素のいずれかが維持不能に陥り、遠からず破綻の過程が開始する」という文章で始まる内容に、これまでに感じたことのない斬新さを感じ、読み進んだ。

 本書は上記した内容に絞って、世界の、社会の、人間間の事象を考察しようとするもので、上記した構造の背後に悪魔の存在を想定する。その悪魔の別名を「ハラスメント」という。ハラスメントは一般的に知られた言葉としては「セクシャル・ハラスメント」があるが、「いやがらせ」「不快」「悪意」「いじめ」などを意味し、世界は急速にこのハラスメントに汚染されつつあり、われわれは自身を取り戻すための戦いを進めざるを得ず、それが唯一の救済方法だと言う。

 ハラスメントは人間同士のコミュニケーションというものの本性にかかわっており、ハラスメントの可能性抜きに誰とでもコミュニケーションできるわけではない。コミュニケーションはメッセージを包含しており、聞く側にとしては相手の発するメッセージの意味を的確に把握しないと、誤解がハラスメントを生み、不快が不快を喚起する。

 相手が何らかのコンテクストの共有を事前に想定していることが実生活のなかでは一般的であり、双方が互いに途方に暮れることはない。とはいえ、多少の誤解や思い込みを前提としつつ、コミュニケーションを図る能力が人間には備わっている。

 作者の言う「あんたは私の言うことを聞いていればいいんだよ」との親から子へ、または教師から生徒へ、あるいは職場の上司から部下へ指示されるとしたら、これは明らかなハラスメントである」というならば、宗教家の発言はすべてハラスメントであり、束縛がある場合、その場からの離脱が容易な場合と難しい場合とがある。とくに、家庭、学校、職場、近隣との関係においては回避できぬ性質のもとのとなる。

 作者は過去の学者(とくにフロイトのような心理学者の言葉など)を多数引用して、ハラスメントの実態を解説、シュミレートするが、現実の人間はそれぞれに個性をもっていて、同じハラスメントが誰にも同じ反応や効果を発揮したり招来したりするわけではない。作者の理論には人間を画一化し、簡素化した、やや一方的な論説が感じられる。

 命令することがすべてハラスメントとなるならば、戦争における上司から部下への命令、指示のすべてはハラスメントであり、かといってこういう体制なくしては、兵制そのものが成り立たない。

 私はかねて、「人間に完璧を期待するな」と思っているし、「人間は嘘をつく動物であり」、「誰もが煩悩を背負い、業(ごう)を負って生きている性悪な生き物」、「清く、正しく、美しく生きたいと思っても、そのように生きられる人間は皆無だ」と思っている。ハラスメントがあるのなら、ハラスメントを跳ね返す度量が必要であり、ハラスメントに負けて生きる人間はそれだけの人間なのではないか。親が完璧な聖人君子であるかのように、支配者として君臨するとしたら、その親はただの阿呆である。

 過去の歴史のなかで人類(とくに西欧人)が犯した、植民地でのハラスメントは大量の殺人さえ含み、言語のおしつけをも含んでいる。そして、今現在でも、世界のどこかで(現在ならロシアとグルジアやチェチェンで)殺戮が行われている。人類はおためごかしで生きてはいない。平気で人を殺すことができる精神構造をもち、仕組みさえつくって、他国への侵略をやめない。21世紀に入ってもである。平和の祭典である「オリンピック」が行われている最中でさえもである。

 「社会には評価基準があり、評価する目がある。誰もが、そういう評価基準に曝され、人によっては劣等感に苛まれる。評価視点に翻弄されることはハラスメントにかかった状態の典型。学歴社会、拝金主義も社会的評価の例であり、社会的価値観につながっている」。(ただし、階級社会の上部の人間は誰からもクレームなしでアンダーテーブルを手にする)。

 「子供時代の体力測定やIQテストも評価点の一つであり、子供らはこれに一喜一憂するばかりか、優越感、劣等感を誘発しもする」という言はまったくその通りだが、こうした人間社会のあり方を根本的に改めることは不可能だろう。人間世界は所詮アンフェアな器であり、優劣を競う場であり、評価される場でもある。

 「アメリカ黒人に対する差別はいまだに続いているが、黒人は自分たちを白人よりも劣った人種であるとは思っていないから差別に対して怒りを表現する」。

 今日、アメリカに住む黒人のほうがアフリカに住む黒人より、例外はあるが、平均的にはるかに恵まれているのではないか。アメリカの黒人は混血も進んで、もともと身にしている柔軟性、音楽的センス、弾力性に白人のもつ体格と知能を得て、各種スポーツのみならず、各フィールドに傑出した力をみせている。エイズや食料、飲料に苦労することもなくだいたいは生きている。また、白人より劣っていないと考えている黒人はオバマ大統領候補をはじめ少なくはないが、平均的には劣等感を抱いているのが実情であり、現実に劣等を感じさせる黒人も存在する。ニューオリンズに台風がきても、自動車がなく逃げられないレベルの黒人には必ずや劣等意識があるだろう。

 日本で人格障害が増えているのは、ハラスメントが原因ではなく、戦後60余年続いている平和ボケであり、アメリカへの追従が招いた他力本願である。平和ボケは戦後生まれの人間を軟弱にし、アメリカへの依存心は自己の確立、構築を阻害している。

 正直いって、作者は二人とも若すぎる。人生の深み、人生の諸相、個人個人の相違などについて、過去の文献や資料を漁り、検索するだけで、一冊の本を小難しげに書きあげただけという印象がぬぐえない。


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