バビロニア われらの文明の始まり/ジャン・ボッテロ著

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「バビロニア」 ジャン・ボッテロ著
副題:われらの文明の始まり
監修者:松本健  訳者:南條郁子
1996年11月20日 創元社 知の発見双書62 初版 ¥1500+税

 

 これまで中近東に興った文明や王朝、たとえば、「ペルシャ」「バビロニア」「アッシリア」「シュメール」「アッカド」などなど頭のなかに混乱を招くばかりで、台頭した時代、それぞれの支配圏、特徴などが理解できずにいたため、前回の「ペルシア」に続き、「バビロニア」を手にした。

 バビロニアが興ってから滅亡するまでの4千年近い歳月におよぶ歴史をは以下の通り。

 バビロニア王朝は紀元前6千年、チグリス・ユーフラテス川沿いのメソポタミア地方に形成され、出自不明の先住民をはじめ、シリア、アラビア砂漠からセム人の移住が始まる。

 紀元前4千年、シュメール人が到着したあと、セム人とのあいだに交流が生まれ、メソポタミア文明の基礎が築かれ、都市形成が始まる。

 前3千年、文字が発明され、前2900年ー前2330年のあいだにウル第一王朝、ラガシュ王朝などが加わり、都市国家が成立する。

 前2330年ー2100年、サルゴン大王が最初のセム人国家、アッカド王朝を築く。

 前2100-2000、ウル第三王朝の成立、アムル人の移住。

 前2000-1750、イシン王朝、ラルサ王朝、エシュヌンナ王朝、マリ王朝、アッシリア王朝などが時期を違えたり同じくしたりしつつ台頭。これには、メソポタミア北部のフルリ人と、小アジアからのヒッタイト人の移住が影響している。

 前1770年頃、バビロンの第六代目の王、ハンムラビがバビロニアを統一し、覇権を掌握、それ以後、5人の後継者が存続。

 前1600-1100、カッシート人の侵入によりバビロンの政治的な支配力は弱まるも、文化は発展。

 前1300年頃から、アッシリアがミタン二王国から独立、台頭。

 前1100-1000年、アラム人の侵入あるも、バビロンが復活。アッシリアと覇権を争い、政治的にはアッシリアに支配されながら、文化面ではなお影響力を残す。

 前1000-612年、アッシリア、バビロニアを制覇。

 前612-539年、バビロニア、アッシリアを倒し、支配権を回復。

 前539年ー330年、バビロニアはアケメネス朝、ペルシャのキュロス王により滅ぼされ、ペルシャ帝国の属州となる。前330-130年、マケドニアのアレクサンダー大王、ペルシャを征服し、全土をヘレニズム文化の影響下におく。アレクサンダーの死後は、セレウコス朝がバビロニアを支配。

 前130年、アルサケス朝、パルティア帝国にバビロニアは征服され、滅亡。

 長い年月のあいだにはしばしばバビロニアが支配力を失ったり、影が薄くなったりしながらも、文化的な面での先進性から影響力を残し続けたこと、それには文字の発明があり、絵文字や表意文字だったものからさらに様式化される過程で「楔形文字」(くさびがたもじ)と呼ばれる新しい文字を誕生させたことがあずかっていたことを本書を通して知った。

 あの「千夜一夜物語」が紡がれた土地であり、「バベルの塔」の国でもある。

 また、メソポタミア文明がチグリス・ユーフラテス川に沿い、治水と潅漑によって農耕と牧畜を盛んにし、食料の安定供給に至ったこととあわせ、洪水との闘いに明け暮れたこと、支配圏はイラン西部からシリア、小アジアまでに及んでいたこと、高校生時代から名前だけは知っていた「ネブカドネザル王」も、バビロニア王朝を担った一人の王様であったことも解った。


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