フランス史10講/柴田三千雄著

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フランス史10講

「フランス史10講」 柴田三千雄(1926年生/フランス史専攻/東大名誉教授)著
2006年5月19日 初版  ¥780+税

 

 「メロヴィング朝」を読んで腑に落ちなかったり、フランス史にさらなる興味を惹かれたりという経過があって、本書の入手におよんだが、本書は欧州史を概観するうえで有用。

 ローマ帝国は北方のケルト人を蛮族とみなし、その地をガリアと名づけた。ガリア人は多くの部族に分かれ、統一国家をつくらなかった。(そのことがそもそもドイツに多くの公国が栄えた理由)

 カエサルがガリアに侵攻の末にこの地域の知事になると、ガリアの武力制圧にのりだし、全土を属州とした。以後、ケルト文明とローマ文明とが融合し、この時代のガリアは「ガロ・ローマ時代」と呼ばれる。

 4世紀後半、中央アジアの草原にいた遊牧民のフン族がウクライナに侵入、ゲルマン人の東ゴート族がそれに押されて西へ移動、これがきっかけとなりゲルマン諸部族が次々に東から西に大規模な民族移動を始め、帝国が東西に分かれた4世紀末直後、西ローマ帝国はゲルマンの侵入に対する防衛力を継続維持できずに滅亡。

 ゲルマン人とはケルト人と同じくインド・ヨーロッパ語族に属し、北のスカンディナヴィア半島からバルト海周辺に住んでいた。

 5世紀後半の欧州地図はロワール河以南からイベリア半島(現スペイン)にかけて西ゴート王国が、その東南、南東部にはブルグンド王国が、北東部にはライン河流域から移動してきたフランク族のフランク王国があった。

 フランク王国はメロヴィング朝を興し、クロヴィス王の時代、ガリアに進出、領土を拡げ、その子供たちの時代にはブルグンド王国をも支配し、6世紀前半には地中海沿岸をのぞくガリアのほぼ全域の征服に成功。

 8世紀の初め、アラビア半島から北アフリカを席巻したイスラム教徒がジブラルタル海峡を越えて西ゴート王国を滅ぼした。その折り、フランク民族を糾合して軍隊を組織、イスラム教徒を敗走させ、ここにメロヴィング朝に代わってカロリング朝が成立。

 以降、カロリング朝は(1)東フランク、(2)ロタール領、(3)西フランクと分割相続による内乱で分割統治され、こうして生まれた領有配分が地理的に現在のフランス、ドイツ、イタリア三国の原型をつくった。

 スカンディナヴィアに住むゲルマン人のヴァイキングがセーヌ川をさかのぼって内陸深くまで荒らしまわり、西フランクの国土が荒廃、一定の条件のもとに定住を認めざるを得なかった。

 10世紀末、カロリング朝に代わってカペー朝が成立。

 フランス人の起源について、フランク、ガリア、ローマを加えた三つの民族が数世紀のあいだに融合してフランスを形成したと考えるのが妥当。

 中世社会は生活規範を管理する教会、治安を担当する領主、経済活動の中心となる民衆という三つの自律的な要因で構成されており、序列化への特徴的な観念になっていく。

 11世紀は堅牢な城が主体となる時代で、領主にとって城は必須のアイテムとなり、それに伴い、騎士団が形成され、特権的、閉鎖的な世襲身分となり、12世紀末には貴族(ノブレス)階級が誕生する。

 第一回十字軍遠征は1096年、フランスとイタリアの騎士からなる大規模な軍隊、13世紀末の第七回十字軍まで200年にわたって間欠泉的に行なわれた。

 12世紀には人口が増え、商業が発達、手工業者の集落が生まれ、新たな経済活動を促した。

 カペー王国は封建家臣団を雇い、常備軍や支配権を管理し、教会や都市との緊張を孕む共生関係をもっていたのに対し、東フランク(ドイツ)では王権は選挙によって交替し、フリードリヒ2世のあと分裂したまま固定し、これがその後の仏独二国の歴史の重要な相違点となった。カペー朝時代に王権に力を尽くしたのはフィリップ2世、ルイ9世、フィリップ4世。

 13世紀、教会の体質変化、聖職者の道徳的、知的資質の向上があり、階層的編成も整備され、社会のキリスト教化が本格的に始まりつつあった。また、セーヌ川沿いにノートルダム大聖堂の建立を完成したルイ9世の時代、その治下のパリは欧州の経済、政治、文化の中心となる三つの条件を備えていた。

 14-15世紀は飢饉、疫病(ペスト)、戦争の三つの災害が重なった。ペスト菌は中東からイタリア商船に運ばれてマルセイユに上陸、たちまち蔓延し、フランスでは1世紀のうちに住民の30-50%が命を失ったといわれる。(戦争はイギリスとの百年戦争、ジャンヌ・ダークの登場で終焉する)

 15世紀以降、税を監督する地方役人の増員によって租税の徴税がスムーズになり、このためフランス王は質量ともにヨーロッパ最強の陸軍をもつことができた。

 16世紀半ばにはカトリックとプロテスタントとの宗教戦争が始まり、35年も継続した。

 16世紀以後、ヨーロッパ地域世界は東アジア、イスラム地域世界に比べて、経済、政治、文化の面で顕著な発展をとげ、今日にいたる欧米覇権のプロセスがここに始まる。

 大航海時代はスペインとポルトガルによりスタート、17世紀からオランダ、イングランド、フランスが後に続いた。フランスは北米東海岸からカナダを中心に、17世紀からはインド、マレー半島、カリブ海へと進出。植民地争奪戦は欧州各国間に新たな対立をもたらした。

 16世紀にはイタリア戦争、17世紀には欧州各国を巻き込んだ30年戦争が始まり、この経験が外交を重視させ、「バランス・オブ・パワー」の観念を生んだ。外交官の他国常駐のしきたりも生まれた。

 17世紀後半はルイ14世による「絶対王政」の典型的な社会体制が敷かれるが、末期にはネーデルランドでの継承戦争が1667年から1668年まで、オランダとの戦争が1672年から1678年まで、ファルツ戦争が1688年から1697年まで、スペイン継承戦争が1701年から1714年までと、欧州内の戦争に明け暮れ、フランスの優位は次第に失われ、イギリス、オーストリアを含む三国の鼎立時代を迎える。

 18世紀になると、新興国ロシアやプロイセンの台頭があり、世界全体の再編成の時代を迎える。こうした世相のなかでフランス革命が起こるが、フランスに孤立して発生した事象ではなく、18世紀後半から始まる近代世界体制への転換という枠組みのなかでの変革、国家構造の転換、王政の統合力の解体という観点から捉えるべきもの。

 革命後のナポレオンの登場は一種の仇花、政権の維持は短期間で終焉する。

 1914年、第一次大戦勃発。結果として4年も続く消耗戦となり、国民総力戦の様相を呈した。この大戦におけるフランス軍の死者、行方不明者は140万人、ドイツは180万人、イギリスは90万人。国際連盟の創設に結果する。

 1917年、ロシア革命。

 1939年、第二次大戦勃発。戦後の再建はドゴールの手による。女性に初めて参政権が与えられた。

 1981年、ミッテランの登場により、新しい時代に入る。

 欧州全体の統合への機運。続いて、ソ連邦の解体と東西ドイツ統一。アメリカの単独覇権。

 EU圏の発想。


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2 Responses to “フランス史10講/柴田三千雄著”

  1. tutti より:

    おおっ!
    ちょうどこの本最近買いました。
    ただ読んでない本が多すぎて読むのは当分先になりそうですが・・・
    この本はどうでしたか?

  2. hustler より:

    コメントありがとう。
    この本を読むことで、フランス史はもとより、大雑把ながら、欧州全体の歴史に触れることができた気がします。

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