ブスのくせに/姫野カオルコ著

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ブスのくせに

「ブスのくせに」 姫野カオルコ(1958年生)著
集英社文庫   2007年1月文庫化初版

 

 この種のエッセイに遭遇したのは初経験で、いまどきのガキ作家ども(とはいえ本書の初版時点で作者は49歳だが)の遠慮会釈のない表現に、唖然たる気分に陥った。

 それでも、せっかくプライドをかなぐり棄てて(本人は棄てていないかも知れないが)、思い切った言葉を使い、表現にそれなりに力を入れているのだから、すべの項目に対してというわけにはいかないが、引っかかりを感じた項目に、私見をぶつけてみたいと思う。こういうスタイルの書評は初めてだが、ま、どうなるか、やってみよう。

 1.「赤毛のアン」の話は冒頭に出てくるが、西欧社会の頭髪への評価が赤毛が最下位に置かれた長い歴史的背景があるからで、ルノアールの「にんじん」にも、同じような社会的評価への反発があったように記憶している。そのあたりを理解していないと、西欧における「赤毛」のイメージを把握し損なってしまう。

 むろん、ナンバーワンはブロンドであるが、黒髪がかなり高い位置に評価されていたのは事実で、現代日本女性が鼻ぺちゃのくせに髪だけブロンドや茶に染めても、塗りがはげてきたときの醜さには言葉がない。しかも、その染めたブロンドの髪で堂々と外国を旅行をする図々しさにも言葉がない。海外で目にする日本人女性の染めた髪は「醜い」の一言である。

 ことに、発展途上国では、現地の人々が唖然、茫然の態で、髪を染めた日本女性を眺めている光景にしばしば遭遇する。持ち前の黒髪に対する劣等感としか受けとってもらえず、日本人への偏見を増幅している。一事が万事というが、日本の若者は日本の伝統、習慣、風習などについて、たとえ言葉が可能でも、それを外国人に説明できない。棄てることはあっても、守ることをしなかった戦後の日本人の浅はかさといっていい。私は「カラスの濡れ羽色」のほうが好きである。

2.作者はオリビア・ハッセーをしきりに美人だといって褒めているが、その女に思い切り惚れこんだ布施明が惨めだった。

3.三田明を当時最もハンサムだと評価していたという作者の言に異論はない。それがけちな、ひどい整形をして、ツラが突っ張ってしまい、目が吊りあがって、世界一阿呆な男に成り果てたという印象だった。

4.男のペニスのサイズを気にする話:

 私個人はいつも自分のペニスは小さいと思って生きてきたが、世界を舞台に仕事をしてきたわりあいには、どこで女を抱いても支障を感じたことはただの一度もない。日本人に所詮は大した巨根などはいない。アメリカの兵隊のでかさに比べたら、それこそ月とスッポンの差だ。ことに黒人のペニスとの比較においては、はじめから勝負にならない。「日本の女(主にスチュワーデス)とやるときは、ペニスの根元にタオルを巻いてやらないと、相手のヴァギナが壊れる」と言っていたトラヴェルエイジェントの男までがいた。日本人の男同士のペニスのサイズ比較は所詮は五十歩百歩である。

 「ペニスのサイズが自分自身はもとより相手の女性への快感の度合いに関係している」と考えること自体が間違っていると私は思っている。むしろ、女の膣の収縮の具合のほうがペニスのサイズよりも有効であり、快感を得る上で重要な役割を果たしているのではないか。ペニスのサイズが快感に決定的な影響を及ぼすというような単純なことは人間世界では起こらない。人間味のある、情緒と雰囲気のもと、ほんとに愛しあっている者同士が、それなりのスキルとテクニックを駆使して行なう限り、二人の性生活は最高であるはずだ。

5.女性性器を表現する卑猥な日本語の四文字言葉を、この作家は19歳になってはじめて知ったという。知恵遅れといっていいい。だからこそ、そういう卑猥きわまりない言葉をそれと感じることが出来ず、本書に何十回も書き、編集者に対してはその何倍も口走って編集者を辟易させたことだろう。

 むかしは、どんな子も外でそういう卑猥語を耳にし、どうやら一般的には使われていない変な意味を含んだ言葉のようだと感ずるが、きちんとした意味を掴めない。そこで、あるとき、思いきって、母親に「おxxこって何?」と訊いたとたん、口のはたをいやというほど捻られ、その言葉のもつ卑猥な魔性的性格をはっきり自覚する。

 とはいえ、それらの言葉はそれぞれの土地にそれぞれの方言に変化しつつ存在し、使われているから、自分が子供時代を過ごした土地の言葉でないとピンとこないし、エキサイトもしない。

 それにしても、他の女性作家にもいるが、「オチンチンと言えるのなら、オxxコといってもいい」と短絡、作品のなかでこの卑猥語を何回も使う神経は理解を超えている。そういう作家(テレビでコメンテイターまでやっている)の作品は品性下劣であると考える年代層の読者もいるわけだから、読者を増やすより減らす効果のほうが大きいと思うのだが。また、直接的な言葉を使わずに、それを表現するのがプロの作家の技量というものではないか。

6.男の子の脱毛の話:毛の薄い日本の男の子が必死になって脱毛するという姿が想像できない。だって、どう頑張っても、日本人は白人の毛深さに勝てないし、同じ国内でも、アイヌと沖縄の人間には勝てない。日本では、一般論として、中国地方の日本海側の人間が毛が薄いといわれ、韓国人がやはり毛が薄い事実から海を渡っての影響ではないかと思われる。

7.しかし、禿げの話になると、様相にちょっとした変化が起こる。西欧の男は毛深いくせに、やたら若禿げが多く、しかも、本人はもとより妻も、そのことを気にしているようには見えない。「禿げは精力の強さの象徴」ともいわれるから、禿げの旦那を持った妻のほうが楽しい夜を過ごしているのかも知れない。早い男は20代で禿げはじめ、30代なら大半が禿げを自覚している。白人女性は禿げを気にせず、口髭を好む傾向がある。

8.作者はさだまさしが好きらしいが、いまも熟年層には人気があり、コンサートは盛況と聞く。ただ、人にもよるだろうが、聞きたいと思っている「さだ節」よりも、「CDを買え、CDを買え」を連発するので、とうとう嫌気がさし、コンサート会場に足を運ぶことをやめたという人が身近にいる。

9.「巨乳が男に喜ばれる」はマザコンの域から脱することのできないガキの願望がつくった言葉で、世間の男のすべてが必ずしもでかいおっぱいが歓迎しているわけではないと思う。

 巨乳を誇りにする女性の大半はシリコンを入れている例も多いし、また、巨乳の女を仰向かせて寝かせると、胸が左右にだらりと垂れ下がってしまい、しまりがなくなる。その醜さにせっかくその気になって天を向いていたペニスが元気を失ってしまう。小柄な半月球形であっても、乳首がピンと上向いた、形を崩さない乳房をこそ賞賛する男も少なくない。男たちは、なにも、ホルスタインとファックしたいわけではないのだから。叶姉妹のボディには虫唾が走るほど嫌悪を覚える。

10.魅力的な女性:

 むかし、アメリカ男性にとってナンバーワンの女優はなんといってもイタリアの女優、ソフィア・ローレンだったし、アメリカの女優ならキム・ノヴァークだった。アメリカの男はエキサイティングな女を最高と評価した。一方、日本男性が選んだ女優は等しくオードリー・ヘッブパーンだったし、もう一人挙げれば、ロッサナ・ボテスタだった。日本の女優なら、八千草薫、十朱幸代、竹下景子、沢口靖子、黒木瞳と変遷した。山本陽子がミス着物に選ばれたとき、日本に来ていた米国エイジェントの男にポスターをみせると、「She dosen’t look like an exciting girl in bed」(彼女はベッドのなかではエキサイティングに見えない)と言って、見向きもしなかった。

11.植木等が逝去してから、各局のTVがむかしの映画や映像を流した。そのなかに、作者が容貌、容姿ともに端麗と賞賛する浜美枝が頻繁に出てくる。まるで、植木の生前の二号は浜美枝だったといわんばかりに。(邪推ですが)。足は長いし、背は高い、瞳はぱっちりしている、唇は思わず吸い付きたくなるような愛らしさ、現在アイドルとして出てきたら間違いなく一世を風靡したであろう。作者の意見に全面的に同意。当時はバターくさいのはあまり好まれなかったのだろう。

12.とはいえ、次に出てくる「岸田今日子」については、私もよくわからない。まず、あの分厚い唇が怪異というべきか、不気味というべきか、官能とはほど遠い印象を受ける。作者がどんなに褒めても、官能や色気は感じない。さらに、目つきには、唇と同様、て飛びつきたくなるような魅力を感じたことはない。

13.「読売巨人軍オーナーの渡辺恒夫には表裏がない」といって褒めているが、私にとってこの男に表裏があろうとなかろうと、どうでもいいし、興味もないが、「巨人を、そして日本の野球界をダメにしたのはこの男じゃねぇのか」とは思う。TVでツラを見るたびに、唾を吐きかけたくなる。

14.デヴィ夫人は確かにキャバレーでアルバイトをしているときに、商社の入れ知恵か、偶然の接待時かは知らないが、スカルノが惚れこんでしまい、インドネシアに連れ帰って、第四夫人にしたいと言い出した。現在、彼女は嘘八百を口にするが、その時点で、彼女は肌の茶色い途上国の大統領を毛嫌いし、「あんな男に抱かれるなんてイヤだ」とはっきり口にしている。

 戦後の賠償を支払うにあたり、学校や各種の社会的インフラの整備を請負いたいばかりに、商社があいだに介入、かなりの金を使い、デヴィにインドネシアに行くこと、茶色の肌をした男に抱かれることを納得させた。当時のデヴィは誰がどう見ても、男の目には美形の女であったが、金を積まれたため自分の嗜好や本音には目をつぶった。スカルノにとってデヴィは第四夫人だったが、どれほど可愛がったかは容易に理解できる。

 とはいえ、デヴィの日本家庭ではこれを苦にした弟が自殺をはかった。現在では禁句となっている「土人」の王様のところに嫁入りすることを肯んじたという印象だったからで、週刊誌にもそのようなニュアンスの記事が躍っていた。

 デヴィは現地入りするなり、スカルノを独占状態にし、金をせびり、スイスに自分の名で口座をつくり、万が一のために相当の金(とはいえ、日本が支払った賠償金の本当の所有者は国民だが)をスイスに送り続けさせて、貯えた。だから、スハルトがアメリカの支援を受けて、左傾していたスカルノをクーデタで駆逐したとき、娘を連れてパリに逃げた。

 金に目がくらんで、おかげで金に苦労することのない生活が保証されはしたが、以後、無垢で純だった瞳が今ではムジナのような目つきに変貌、口元にも卑しさと下品な印象が拭いがたく、TVで見たくない顔になった。

 インドネシアにおけるデヴィの評判は今でも決して良くはない。南米のアニータが東北の地方自治体を利用して男に貢がせたより、はるかにスケールの大きな国の金をデヴィは数十年前にインドネシアで大統領から貢がせていたのだ。見方を変えれば、デヴィはただの舞台を大きくしたコールガールに過ぎない。

15.「男は女のファッションがわかっていない」というクレームだが、もともと男は女のファッションで女を評価しない。なぜなら、日本の女ほど流行に敏感であるのはいいが、ほとんど同じ格好をし、半年経つと、棄てられていくファッションが幾らもあることを男は知っているからだ。とすれば、日本の男は女の中身を洞察して、あるいは裸にして抱いてみて、良し悪しを吟味、選択する以外に方法がない。とはいえ、女という動物は夜さんざんに乱れ、淫し、あられもない声をあげ、みだらな姿をさらしたくせに、朝になると、夜の時間とはまったく関係がないような精神状態になるから、この豹変ぶりも男としては手に負えない。

16.「黒木瞳よりも、オセロの中島知子のほうが狙った男を落とす能力は上」という評価は当たっているだろう。男は一般に中島には遠慮をしないが、美形の黒木には遠慮が働くという精神状態が裏面にあるし、また、黒木瞳と中島知子とが同じ男を標的とするような事態にはなり得ない。黒木瞳と中島知子の嗜好には百八十度の違いがあるような気がする。

17.「女子アナに眼鏡は厳禁」というのは、眼鏡がもつ「ガリ勉イメージ」があるからだという。とはいえ、コンタクトを使っている女子アナはわずかではないだろう。

18.菊池桃子は戦後日本男児が根本的に偶像として求めるタイプ。清純なお色気。仰る通りだが、この子がゴルフ界では目の出ないプロゴルファー(五月みどりの息子)と結婚してしまったときは、かなりの男たちががっくりきただろう。夫の稼ぎより、桃子のコマーシャル出演料の方が高額収入となっているはずだ。

19.「女が歓喜する最高の麗句、それは『きれいだ』であって、絶対に『かわいい』ではない。そのあと、『おまえとやりたい』、それこそが女の望むものだ」。わかるけれども、きれいでない女に「きれいだ」というのは嘘がバレバレで、相手を傷つけるからこそ、せめて「かわいい」と言葉を換えて相手をいい気持ちにさせようと男たちは努力している。男も女も相手がきれいだから惚れるという単純な精神構造を持ってはいないし、好き嫌いはあくまで個人の嗜好であって、はたから見たら、「なぜあんなのを好きになったのか」と思えるカップルはいくらでもいる。

 以上、「ブスのくせに」というタイトルに惹かれて読んでみたが、信じられないような内容でありながら、忘れていた数々の過去を思い出させてくれた。言いたい放題の中身ながら、なかにキラリと光る部分もあって、学ぶことはほとんどないけれども、記憶に残る部分は僅かではなかった。


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One Response to “ブスのくせに/姫野カオルコ著”

  1. hanachan-234 より:

           ハ~~~~っ!
       
       ゆっくりと、読ませていただきました。

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