ペルシア帝国/ピエール・ブリアン著

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ペルシア帝国

「ペルシア帝国」 ピエール・ブリアン著
監修者:小川英雄  訳者:柴田都志子
1996年5月20日 創元社より「双書57」として初版 ¥1500+税

 
 ペルシャ帝国はキュロス2世(紀元前6世紀)により現イランを中心として興り、次のダレイオス1世がバビロンを攻略し支配下に置いてから僅か2世紀のあいだに地上最大、未曾有の領土(西はバルカン半島から東はインドのインダス河渓谷まで)を支配した。民族的にはインド・ヨーロッパ語族の系統。

 秦の始皇帝が中国大陸を支配下においたのは紀元前3世紀であり、インドでマウリヤ朝の3代目王・アショーカが全土を統一したのも紀元前3世紀、文明が興ったタイミングではなく、領土的な広さと支配する力という点に絞れば、時期的にペルシャ帝国を凌ぐ文明はない。

 ダレイオスを継いだクセルクセスはトルコを攻略、支配下に置いた後、マケドニア、ギリシャに侵略するも、アテナイを中心とするギリシャ軍の抵抗に遭遇、撤退を余儀なくされる。これが「マラトンの戦い」と称され、アテナイ軍にとってペルシャ戦争に単独で勝った最初で最後の勝利だったため、民族の誇りが過剰に燃えあがったか、伝えられる資料には過大な賛美から、事実の歪曲、虚構まで含まれた。

 ペルシャ帝国は紀元前3世紀、ダレイオス3世の時代にマケドニアのアレクサンダー大王による東征で滅亡するが、およそ300年のあいだ、広大な土地に同じ通貨、度量衡、公的会計制度、税制などを初めて実現し、世界に示したことの意味は大きい。

 ただ、著者によれば、ペルシャ帝国は平和の継続により、王も兵士らも軟弱になり、奢侈に耽り、王が女装までするようになったという。さらに、後の史家であるアリストテレスは「アジアの民は専制君主制を受け容れ、みずから奴隷と化し、そういう存在に抵抗感をもたない傾向が強い。だから、アジアの諸国民はどんな政治体制にも到達することができずにいる」との痛烈な批判を残した。

(日本の戦後に酷似している。平和が続けば、女社会になり、男は軟弱になってオカマが増える。日本の現在を見るかぎり、未来への展望は決して明るくはない)。

 ペルシャ帝国や各時代の王についての文献、史料は、当事者本人による自画自賛、自己を正当化する記録のほかは、ギリシャやローマの史家による記述以外にはない。

 血統や血筋については、どの王も例外なく執拗であり、拘泥する言句が多いが、17世紀初頭の日本でも徳川家康が祖先を「源」と虚偽の家系図を作成したことからも、イギリスでは今でも貴族階級者が存在し、かれらの所有する遺産的な城砦や館に対し相続税を払わずにすむ例なども、基本的な思考は同じ線上にあるように思われる。


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