マイノリティーの拳/林壮一著

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「マイノリティーの拳」 林壮一(1969年生/ボクシングを目指したが怪我で挫折、以後、週刊誌の記者を経て、ノンフィクション作家に)著
副題:世界チャンピオンの光と闇
帯広告:「黒い肌」の宿命と闘う男たち/彼らは人生にもがき続ける。絶頂の時も、今も。
2006年9月15日 新潮社より単行本初版 ¥1400+税

 

 本書にはかつて世界の頂点に君臨した「黒い肌」のボクサーたち、マイク・タイソン、ホセ・トーレス、アイラン・バークレイー、ティム・ウィザスプーン、ジョージ・フォアマンの5人を採り上げ、タイトルを奪取するまでの過程、チャンピオンの座を降りてからの生き様などの実態を10年にわたる取材で把握し、これを遠慮会釈なく筆に乗せた内容で、ある意味では本場であるアメリカボクシング界に特徴的な、プロモーターに関するというより、プロモーターを介せざるを得ない裏面に存在する恥部をも暴露する内容となっている。

 タイトルの「マイノリティー」とはアメリカ国内で白い肌を持たぬ人間はマイノリティーと呼ばれ、少数派という正式な解釈ではなく、真意は社会的弱者という以上に底辺をうろつくレベルの人間という意味に近い。(裏を返せば、どうでもいい人間との意味にもなる)。

 天才の上に大の字がつくようなタイソンですら、新星としてデビューを果たし、連戦連勝の末にチャンピオンに登りつめながら、レイプ事件を起こして刑務所暮らしを、出所後さらにKO数を増やし、リターンマッチで相手のホリフィールドの耳を噛みちぎって失格負けし、一年間の謹慎処分。さらに、交通事故に巻き込まれ、一般人に暴行を加えて再逮捕、3ヶ月の塀の中。

 タイソンは借金まみれになり、プロモーターのドン・キング(この世界では私腹を肥す以外に関心のない有名人)を詐欺で訴えつつ、試合も行なったが、いずれも惨敗、引退をほのめかす。

 3階級を制覇したアラン・バークレーは引退後、金に困り、貧民窟に住んでいるが、このチャンピオンも契約上のファイトマネーを額面通りには受け取っていない。

 ボクシングの世界は弱肉強食、強い者が勝者になり、多額の報酬を得るという公式は一見単純明快に映るが、実際はそうではない。たとえ、チャンピオンでも、プロモーターの売り出し方、マッチメイクの仕方、ジャッジやレフリーの選び方などによって、試合の結果は左右される。ボクサーの収入にしても、予め決まった額があっても、プロモーター次第で、ピンはねは日常化している。

 上記したプロモーターとして名の高いドン・キングなどはボクサーの生き血をすすって、自らの私腹を肥す男であったが、あるチャンピオンはゲットーから抜けきらず、最終的に弁護士に相談し、ドン・キングを訴訟して、和解金を受け取る。金額は150万ドル(1億5千万円相当)だが、家を買い、高級車を買い、放蕩三昧をして折角の収入を蕩尽に帰したのは、ほかならぬチャンピオン自身であり、そのことの尻までプロターターの責任とするのはお門違いではないかと私は思う。養うべき子供がいながら、そうした行動に出ること自体、当人のIQの低さを物語るもので、だからこそ、黒人ボクサーは搾取され、食い物にされる格好のターゲットになってしまうのではないか。

 むろん、チャンピオンの座を降りた後も、ゲットーに舞い戻ることなく、しっかりした余生を送った黒人選手もいるが、例外の部類に入る。

 私個人は黒人ボクサーに肩入れし、厳しい余生に同情する気持ちはないが、この作品が読み物として秀逸であり面白い内容であったことは事実。

 さらに、作者が10年の歳月を費やしてアメリカに滞在し、取材に時間と労力をかけた姿勢には拍手を送りたい。

 とはいえ、文中に「日本のK-1をうさんくさい格闘技団体」と、こきおろしているが、何を根拠にそう断定できるのか知りたいものだ。K-1はプロレスのような開催場所によって勝ち負けを予め決めるような(アメリカでは日本人が悪役で結局は負ける役、日本では逆というような)ショーではなく、まっとうな格闘技である。だからこそ、曙が客寄せバンダに使われたとしても、彼に勝たせはしない。おそらく、曙には人に言えない借金があったのではないか。

 それより、タイソンという男には同情するよりも、「狂気」を感じたものだ。


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