モロッコ流謫(るたく)/四方田犬彦著

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モロッコ流謫

「モロッコ流謫(るたく)」 
 四方田犬彦(1953年生/映画史家)著

帯広告:マチス、バロウズ、ジュネ、ボウルズ、天才たちはなぜモロッコにたどりついたか? その魔術的な魅力に迫る悦楽の紀行エッセイ
1989年~1999年まで各種雑誌に掲載されたものを収録
2000年3月5日 新潮社より単行本初版  ¥1900+税

 本書は第16回講談社エッセイ賞、第11回伊藤整文学賞を受賞している。

 作者は本書をまとめるにあたり、10年余をかけ、何度も現地を訪れ、バスを使って都市、オアシス、山、砂漠にも足跡を残し、現地に滞在している文学者とも対談を重ね、結果的に、本書がモロッコに関する文献として高い評価を得た。

 モロッコはかつて数々の映画の舞台となったり、背景に使われたりしたため、それらの映像はもとより、日本では「カスバの夜に咲く女の・・・」などという歌にもなっており、両親や叔父が口ずさんだメロディーまでが私の脳裏に記憶として残っている。

 ジブラルタル海峡を隔てた向い側に2千メートル級の山脈を背負った土地が砂漠地帯と北部とを分け、砂漠を含む土地がモロッコの領土の大部分であり、そこにカサブランカ、マラケシュ、カスバという耳に馴染んだ土地が存在することも知っていたし、紀元前にはカルタゴが君臨した土地であり、ハンニバルという名将に率いられたカルタゴもローマ帝国によって滅亡への道をたどったことも知っていたため、ヨーロッパ人がこの国に異国情緒を感じたように、私も確たる根拠もなくエキゾチックな妄想を描いていた。

 ちなみに、カスバとは「要塞」との意味であることを本書によって学んだ。

 映画だけでなく、本書によって、数々の作家たちもモロッコやアルジェリアを舞台に小説やエッセイを書いていることを知った。

 私の勝手に描いた妄想が本書に触れてみたいという欲求につながり、目を通すことになったのだが、登場する作家らのほとんどは私の知識にない群像で、辛うじて哲学者のカミュくらいしか親しみを感ずる作家は登場しなかった。

 本書はアメリカの作家で半世紀をモロッコで過ごしたという、ポール・ボウルズの作品を中心にエッセイがまとめられているが、この人物についても、私の知識の枠外にあった。

 モロッコの先住民はベルベル人であり、オスマントルコが強大になった時代、地中海沿岸諸国がアラブ民族に征服され、以後、宗教もイスラム教一色となったが、12世紀にはモロッコがスペイン、ポルトガルの一部を領有したことがあるとの歴史には一驚を喫した。もっとも、その後、大航海時代から植民地争奪戦の時代に入ると、スペインの植民地となり、その後はフランスの保護国ともなり、独立後は同じ北アフリカのチュニジア、アルジェリアとともに、フランス語をしゃべる国民が大半を占めるようになっている。

 帯広告の裏表紙に「ヨーロッパの果て、アフリカの始まり。モロッコは驚異と謎そのもの。著者自身の濃密な体験と五感の記憶が独特のイスラム文化や歴史への深い洞察を誘い、地中海の余白の肖像を描く」とある通り、内容は私が期待していたものに比べ、文学性が際立って高い。というより、当方のレベルが低いというべきか、葛藤がベースとなり、意地になってこの分厚い単行本を飛ばさずに、じっくりと最後まで読んでしまったために予想外に時間を費やしてしまった。つまり、作者が本書に立ち向かった動機と、私が本書に期待した動機とのあいだにあまりに大きなギャップがあって、読解することに苦労が伴い、かつ疲労したというのが正直な感想。

 そのうえ、期待したようなエキゾチックなものはさして感ずることなく読了してしまい、一度は訪れてみたいデスティネーションだったが、その範疇からもずり落ちてしまったのは残念というしかない。


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