ヤクザが店にやってきた/宮本照夫著

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「ヤクザが店にやってきた」
宮本照夫(1938年生)著
1995年文星出版より単行本/原題:恐怖な面々
副題:暴力団と闘い続けた飲食店経営者の怒涛の日々
2000年11月1日 朝日新聞社より文庫化初版 ¥660+税

 

 山口県出身の作者が単身上京したのが1964年(昭和39年)、オニギリと焼き鳥の店を皮切りに、東京・蒲田、川崎に次々にスナックやクラブを開業、ことごとく成功させてきたが、「ヤクザ、暴力団の来店はお断り」という経営指針のもとに数々の辛酸を舐めつつも、一歩も引くことなく、ヤクザが多いといわれる川崎を舞台に自らの経営方針を貫いたノンフィクション。

 内容から、「これは」と感じた部分を以下に抽出し、併せて私自身の経験を披瀝する。

1.ヤクザも人間だから、色んなタイプがいるし、必ずしも百人が百人とも悪人というわけではない。とはいえ、「善良なヤクザ」と言ったら、その言葉自体が矛盾になる。

2.水商売を生業としていると、人間の浅ましさがはっきり見えてくる。

3.暴力団が地域全体の共通の敵になることはまずあり得ないし、警察により警察官によっては、「暴力団撲滅キャンペーン」を表向きやっていながら、暴力団となぁなぁの関係にある場合があり、訴えても思惑通りにことが運ぶとは限らない。

 (警察が暴力団から情報を得るということがしばしばあり得るのも事実)。

 作品は文章、文体、両面とも素人の域を出ないが、いずれも実践に基づいているだけでなく、誇張や誇大な表現を控えているため、暴力団のありよう、警察の対応、従業員の姿勢、店にいた客の態度などなど、鮮明で、かえって迫力も緊迫感もあって、読者を惹きつける。

 私自身もリゾートホテルの経営に携わったことがあるが、ヤクザが「ヤクザです」と言って宿泊を依頼してくるケースなどはなく、チェックイン時にフロントマンが初めて当該客がその筋の人間であることを察知、ことが起こると一般の従業員はびびってしまい、ついよけいな割引やサービスの提供で事態を収めようと姑息な手段に訴えるから、「おれらはあんたのホテルにタカリに来たんじゃねぇ、そこらのチンピラと一緒にするな」と怒鳴られる。

 予約されていた夜の宴会(ヤクザ同士の手打ち式)に肝心の連中が現れず、キャンセルの連絡もないという事態が起こったことがある。宴会部長が「本来なら当日キャンセルですから、全額いただかなきゃいけないんですが、どうなんでしょう?」と相談してきた。私は即座に、「明日の朝、あなたがフロントのキャッシャーのところに立って、かれらがチェックアウトする時に黙って宿泊費用と宴会費用をそのまま請求書にプリントして出したらいい。その際、よけいな説明は一切口にしないことだ」と指示したところ、チェックアウト時、連中のボスは「こんなんでいいんですか?昨夜はキャンセルの連絡すらしなくって、お宅には迷惑をかけたのに」と言い、滞りなく支払いをすませたあげく、「これは迷惑料だ」と言って、フロントマンにチップを置いて去っていった。

 こうした経験を披露するときりがないのでやめておくが、親しくしている某県警の機動隊長が私に向かって、「若い警官をそろえておくから、レクチャーしに来てくれるとありがたいよ」と言われたことがあり、警官だからといって誰もがヤクザに平気で立ち向かえるものでないことは知っていた。ただ、私がホテルで対応したその筋の人はヤクザとしては高い地位にいる人間で、チンピラのようなケチな態度や姿勢を見せることはなかった。

 以前、このブログにも書いたことだが、暴力団組織の根本的な解決は、「暴力団」という言葉をマスコミが平然と使う姿勢があたかも暴力団組織の存在を認知しているかのような錯覚を世間に与えていることもあり、この言葉の使い方を改めることがまず先決だが、最善の方策はかつてアメリカのネヴァダ州でラスヴェガスからあらゆるマフィアを追放し、ラスヴェガスを家族が楽しめるデスティネーションに変容させたように、暴力団を組織すること自体を法律で禁止することである。こういう子供でも解る手段に出ないのは、政治家も警察も暴力団と癒着しているからではないのかと、私は推量している。

 そうした延長線上で思考を進めれば、「あとがき」で某弁護士が「本書を暴力追放対策の参考に」との助言は的外れというしかない。


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