レイテ戦記(上中下三巻)/大岡昇平著

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レイテ戦記
「レイテ戦記」上中下三巻  大岡昇平著
 中公文庫  1974年11月文庫化初版

 太平洋戦に関する書籍は戦後相当の数で世に出ているし、パールハーバーに始まって、ミッドウェイ、ニューギニア、ガダルカナル、トラック、パラオ、ヤップ、グヮム・サイパン、レイテ海戦、ビルマ、マレー半島、シンガポール、インドネシア、硫黄島、沖縄、本土爆撃と、ひととおりの知識はあり、それゆえに日本陸軍の突出に始まり、負け戦に終始した戦記は不愉快にすぎ、これ以上は読むまいという気持ちがあった。

 そうした戦記ものに対する忌避を覆したのは、ほかならぬ本ブログで紹介した佐高信作の「司馬遼太郎と藤沢昇平」を読んだことに端を発している。そこに「司馬作品は文学の名に値しない。それに比べたら、大岡昇平のレイテ戦記こそ世界文学というにふさわしい」、との言葉があり、それに触発され、さらには、本書の裏表紙に記された「戦記文学の金字塔」という言葉に鼓舞されたからでもあった。

 読み始めて、主語にあたる言葉に「二十二連隊が」「二十六師団が」と、それが日米いずれのことを意味するのか不分明で、ページをなんど戻したか知れないし、かつ「上、中、下の三巻にわたって当時の軍部が使っていた専門用語が頻発することに、頭痛が走り、「睡眠薬不要の本」とまで思わせたほど、私は何十回も居眠りをしてしまった。むろん、アメリカ軍の一部をアルファベットを使ったり、日米ともに人名で書かれていたりした部分については日米の取り違えはなかった。さらには、本書に登場する幾多の地名と、島の名である。これらを記憶するだけでも大変。個人的なことだが、私は多島から構成されるフィリピンやインドネシアの島や海の名には通暁しているほうであるのに、それでも辟易したとすれば、若年層の読者にはついてこれないだろう。

 上中下三巻あわせて1,428ページにおよぶ大長編である。しかも、内容はレイテ島内の1944年10月から5か月にわたる数百回におよぶ大小の戦闘についての、克明にして、詳細かつ緻密な日誌さながらの集大成。同じような風景がくりかえし描写され、戦闘場面に関しても同じような攻撃が延々と繰り返されることに、著作の動機はよく理解できたものの、どうしても従いていけないものを感じ、退屈が退屈を呼んで、なんども放り出そうとしたことを告白せざるを得ない。どこをとって「戦記文学の金字塔」というのかという、わずかに残る期待を胸に意地で読みきった。

 本書は1967年から1972年までの5年間のあいだに書き上げられたというが、その間に集められた内外の文献、資料、書物、生き残った人からの聴取、そしてそれらの整理など、膨大な時間と手間を必要としたに違いない。

 太平洋戦争全般にわたっていえることだが:

1. 英米に宣戦布告しながら、200万もの日本陸軍で最強といわれた関東軍を満州から移動し得なかったこと。(ロシア、中国への牽制のため) そのため、南太平洋の広大な地域(オーストラリアの北部にまで至る地域)にたった25万しか兵士を充当できなかったことはこの戦争を舐めきっていたとしか思えない。むろん、戦地拡大に伴い、半素人の軍人が即席され(私の父親もその一人で、これを応収兵といった)、各地域に送られはしたが、プロの兵士ではないからものの役には立っていない。この戦争を主導した陸軍がこうした杜撰に終始する国が戦争をすること自体おこがましい限り。

2・ 米国の戦力、生産力、物資、輸送手段への過小評価。(想像力の欠如) もっとも、当時、戦争反対の意思表示をすれば、軍か右翼に暗殺されるリスクがついてまわったというが、それにしても、アメリカを視察した日本人はかなりの数がいたはずで、アメリカを含めた複数の敵に勝てると思っていたとしたら、相当の「能足りん」か「阿呆」か「バカ」なのだ。

3. 第一次大戦までの巨大戦艦主力主義に偏重、戦艦の類は飛行機を満載する航空母艦を護衛したり、敵兵士が拠点とする地域へ海から砲撃するしか役立たないことの認識不足。ミッドウェー海戦では航空母艦から飛び立った戦闘機が敵艦と戦闘機を殲滅した経験を持ちながら、まだ空からの攻撃の利に気づかなかったお粗末さ。

 (武蔵にしても、大和にしても、建造時、大衆やスパイの目からその姿を隠すために、無用の長物をドッグを囲ったという事実を想起すると、まるで漫画であり、滑稽というしかない)。

4. 奇襲戦法信仰が未だに横行していたこと。また、奇襲的戦法でなんらかの戦果を得ると、実態以上に褒めるという軍部の存在と、そのバカさ加減。まるで、源平合戦ではないか。

5. 日本軍全体にはびこる官僚体質のために、人間の適材適所に徹することが出来ず、柔軟性、合理性に欠けていたこと。任に堪えない上官の下で戦闘をくりかえすのは、ばばかしいという以上に、死を前提とするようなものだった。(そういう上官は後ろから撃ち殺すことが適切だった)。

6. 情報を取得することの重要さと、取得することへの正しい認識がなかったこと。また、そのための機器の開発に積極性を欠いたこと。

7. 攻撃の不徹底。パールハーバーへの攻撃は予定通り行わず、中途半端で帰還したこと。また、それによるアメリカ海軍へのダメージ計算を誤ったこと。不徹底は、主たる敵国であるアメリカ西海岸への攻撃を一度も考えていないこと。

8. 占領した土地での宣撫工作が拙劣なこと。ために、もともとゲリラ活動の多発するフィリピンで、ゲリラ活動家を味方にするどころか、アメリカ軍の再上陸時からゲリラをアメリカ側に協力させてしまったこと。

9. 宣撫政策の拙劣さは、フィリピンのみならず、東南アジア、南太平洋のいたるところで見られた。白人への劣等意識が黄色人種への過剰な優越意識となり、「大東亜東栄圏の樹立」を語って、アジア諸国を見方につけようとの魂胆から始まったはずが、必要以上の威嚇、罵倒、強姦、強盗、斬首などを行わせ、宣撫工作の一片すらそこにはなく、途上国の反感を買っては勝てる戦も勝てるわけがない。

 慰安婦問題で揺れたのは韓国婦人からの訴えに始まっているが、日本軍が慰安婦を調達したのはなにも韓国だけはなく、戦地のほとんどの地域でやった。にも拘わらず、たとえばインドネシアなどからこの問題であらためての慰謝料の請求はない。韓国人のいじましさというか、恨み辛みが身にしみた民族の反応というしかない。GHQだって、日本占領後、何度、日本女性を強姦したか。ロシア兵が満州に残った日本女性をどのくらい強姦、殺戮したか。

10.政治的な外交の幼稚。英米に宣戦布告するまえに、外交による話し合いに執拗さというか、ねばる姿勢が全くない。(こういうのは「外交」という範疇にも入らない。この点では,ユダヤ人に学ぶことが多い)。

11.旧式な精神主義。「大和魂」「根性」「皇国」「大儀」などという言葉を好んで使い、「双眼鏡がなければ、肉眼を良くしろ」とか、「靴のサイズが合わなければ足をサイズに合わせろ」だとか、そういう不合理、ロジカルでない精神がありすぎ、そうした精神が「特攻」を生み、「斬り込み隊」を生み、「人間魚雷」を生み、人命を軽んずる「一億玉砕」などという無責任手段への偏向をも生む。

 一方では、大和魂どころか卑怯きわまりない保身のためのリポートを出す司令官すらいた。戦後、上層部にいた人間の口頭陳述にも互いに大きな相違があった。そこには大和魂どころか、武人らいしい覚悟すらない。なにが「生きて虜囚の辱めを受けずだ」と、国際裁判にかけられるまえに自死すらできなかった武官たちの小心ぶりが窺え、不快きわまりない。

12.食料補給を現地調達主義にしたことは、当時の日本人一般の貧窮から推して計れるが、ジャングルに入った兵士に何を食えというのか。結局は、蛇、蛙、トカゲ、野鳥、野ネズミなどを食って凌ぐしかなく、結果、人家を発見すれば、強盗、かっぱらいに兵士を変貌させた。戦死者ではなく餓死者、病死者が多かったのも頷ける。「悠久の大儀」などというレトリックはあっても、人命を重くみない軍部、とくに戦地には出てこない司令部にとって兵士はまるで「コマネズミ」だった。(フィリピン人を鍋に入れ、その肉を喰らったという話もある)。

13.「大東亜共栄圏」という美名を掲げながら、それが虚偽であり詐欺であることがすぐばれてしまう言動が多すぎた。

14.兵器の差。 レイダーはむろんのこと、通常の通信機ですらお粗末であり、兵器にいたっては隔絶するほどの差があった。たとえば、ゼロ式戦闘機は1000馬力で、パイロットの腕次第とはいいながら、戦争が始まったばかりの初期、空中戦で負けたことはなかったのが、戦争が始まってしばらくすると、2000馬力のグラマンが戦線に送られ、レイテ戦では2,400馬力の戦闘機までが出現する。シャ-マン型と呼ばれる大型戦車を見て、日本兵は驚愕する。同盟国のドイツですら大型戦車はもっていた。第一次大戦時にドイツがUボートを開発したことから、日本軍部がこの当時ドイツから潜水艦を学んだことは知っているが、潜水艦以外に何をドイツから学んでいたのか。

15.指示、命令系統の混乱、不徹底。大本営、総督、参謀本部、大隊長などから頻繁に出される指示、命令が一日あとには変わっているなど、変えざるを得ない場合もあるとはいえ、レイテ戦では朝令暮改が異常に多かった。 指令する部署では非能率が蔓延していたとしか思われない。これでは、フィリピンを預かった、「マレーの虎」、山下奉文も手も足も出なかっただろう。

 結果として、レイテ島で死んだ兵士は、日本兵が84,000人に対し、アメリカ兵士は4,000人であった。アメリカ兵に1の死者が出れば、日本兵は10の死者を出すのが通例だった事実に比べても、上記の数字の異常さがわかる。 (例外は硫黄島とパラオのペリリュー島の二例で、死傷者の数は1対1の割合だった)。

 作者は戦後、レイテを経験した兵士、士官などから口頭による聴取をし、日米双方に残る文献、資料類をすべて収集し、嘘やでたらめを的確に識別、排除することで、史実に最も近いレイテ戦記をまとめたのだということが想像できる。レイテ戦記以外にこういう詳細をきわめた戦記ものに出遭ったことはない。虚偽の報告という点では、日米双方にあって、たとえば2隻の駆逐艦を沈没させたのが事実なのに、3隻の駆逐艦と1隻の巡洋艦を沈没させたとか、このような意図的な虚偽報告は司令室における判断を狂わせる結果を導いたという。

 珍妙なのは、行軍中、道路にある人間の糞によって、下痢していれば日本兵、普通便であればアメリカ兵かゲリラと識別できたという。

 ただ、私は本書を虚飾のない史実をまとめた歴史書であり、レイテ島で死んでいった多くの兵士らへの鎮魂歌だとは評価しても、文学書だとはどうしても思えない。作者による他の作品に「俘虜記」「野火」などがあるが、それら作品のほうがはるかに文学書の香りがする。また戦記文学というのなら、本ブログで紹介した、硫黄島を舞台とした「散るぞ悲しき」のほうが文学の香がする。


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