ローマから日本が見える/塩野七生著

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ローマから日本が見える
「ローマから日本が見える」 塩野七生(1937年生/イタリア在住)著
副題:国家はいかに興り、いかに滅ぶのか
2005年6月、集英社より単行本にて出版
2008年9月 同社より文庫化初版 ¥648

 
 作者は「ローマ人の物語・15巻」を書いた、イタリア通の人として有名。

 ローマ建国は紀元前753年で、ロムルスという、トロイの王族を先祖にもつイタリア中部の都市国家、アルバロンガ王族の子孫、ローマという名はロムルスに由来する。以後、艱難辛苦の過程を経つつも、領土を拡大し、地方民族を手なづけ、王政から、共和制、帝政と政治体制を変容させながら、1千年間もの長期にわたってローマ帝国は存続した。

 それがなぜ可能だったのかという観点から、ローマ帝国が歩んだ道程をリーダーらの名を挙げて説明し、最終章で、ローマと日本を比較しながらバブル以降、一向に改善しない日本の政治を考えてみるという内容。

 なかから、面白いと思った点だけを列挙してみる:

1.カエサルは他民族に対し、「寛容」という言葉で施政方針を表現した。現代に至るまで、ローマ人が示した寛容を凌ぐ政治を行った国は史上例がない。しかも、宗教や哲学のいずれにも依拠せず、世襲もなく、地中海世界の覇者の地位を失うことなく国家は存続した。世襲は必ず、国を滅ぼす元凶となる。(たぶん、北朝鮮はこの道を辿るだろうし、アメリカのブッシュ政権も必ずしもうまくいっていない。また、日本の世襲政治家に庶民感覚を理解できる人物も皆無)。

2.どのような改革であれ、必ず既得権者の反対、抵抗を呼ぶ。反対者を説得する時間を、賛成者を増やすことに回すほうが賢明。抵抗勢力のない改革などあり得ない。

3.ローマ帝国の共和制の時代の版図は、アフリカはエジプト、アレクサンドリア、トリポリ、カルタゴ、チュニジア、アルジェリア北部、欧州はマケドニア、スイス、ガリア(フランス)、スペイン、アルモニカ(オランダ)、ベルギカ(ベルギー)、ポルトガル、東はアラビアの一部、クロアチアの一部に広がり、帝政時代にはさらに、アルメニア、ドイツの西部(マインツ、ボン、ケルンの入るライン河沿いまで)、ブリタニア(イギリス)、モエシア(ブルガリア)、セルビア、モンテネグロ、ギリシャ、ダキア(ルーマニア)、クロアチア全土、フリシ(アムステルダム)にまで拡大。

4.初期の王位は血統、家系、出身地、財産に関係なく選出された。能力主義が貫かれたが、現実主義によらなければ、国の存続にかかわるとの判断が国民にも為政者にもあった。

5.「人類はこれまでありとあらゆる統治形態を考証したが、支配者の存在しない形態だけは考え出せなかった」とは、19世紀の経済学者、パレートの指摘。

6.共和制の時代、ローマはあらゆる人間に対し機会均等索を打ち出し、人材の確保に意を用いた。学歴、官職経験の有無、社会的地位などは選出の条件とはならなかった。これは世界的にも稀有の着想、人間の能力を階級や階層で見ないという姿勢は世界に事例がない。

7.敗軍の将を裁かなかった手法はローマ独自の考え方による。日本は、本人が切腹して果てるケースが多く、アメリカでは「信賞必罰」に徹した。ローマにだけ、失敗者に捲土重来の機会を与え、恥を雪(そそ)ぐという哲学があったという意味では、頭脳の柔軟性を感じさせる。(現代のイタリア人からは到底考えられない資質)。

8.道路網の拡充は、遠距離にある同盟国に万が一のことが起こったり、同盟国の外に位置する蛮族が侵入してきた場合に、逸早く現場に到達するために敷設された。(江戸幕府とは逆の考え。幕府は敵からの侵入を遅延させる目的で、道路幅はリヤカーの幅、河には、大井川のように、しばしば架橋させなかった。つまりは、日本人らしい受身での思考に依拠している)。

 ローマは同盟国を離反させないことを第一に考えた。ローマの理想は他民族との同化にあったため、他民族の宗教、伝統、風習に関しては口出ししなかった。それは、ローマが同盟国といえども、しばしば離反することを熟知していたから。

9.道路網の敷設には経済の活性化が伴い、物資の移動が迅速化され、各地の商人を含め、多くの民族を潤した。前1世紀の共和制時代、イタリア本国の道路網が完成、帝政時代に入って、欧州路、中近東路、北アフリカ路と完成し、トータルで375本、全長8万キロとなり、砂利舗装道路や支線、私道を加えると、総延長30万キロに達した。

 ローマの膨大なエネルギーを費やした道路網は平和と富をもたらしたが、中国の万里の長城は平和も富ももたらさなかった。(世界遺産で、最も落書きの多いのも万里の長城)。

10.カルタゴ(ハンニバルという名将がいた)との戦いは前264年から前146年まで、第一次、第二次、第三次と、100年にわたる戦争だったが、カルタゴを破ったことで、ローマは初めて地中海に覇権を得た。以後、トルコ、シリア、エジプト全土、ヌミディア、アウリタリアなどを自国領土とした。

11.領土が広くなり、周辺環境が変化し、支配下の民族や人口が多くなると、同じ制度では、いわゆる制度疲労が起こる。ユリウス・カエサルは同盟国の国民にも市民権を与える法律をつくり、徴兵制度から志願兵制度に変え、職業軍人には給料を支払い、さらには他民族の豪族を元老院に招き、地方各地に殖民都市をつくり、ローマの失業者や退役軍人を8万人送り込んだ。それが他民族との結婚の機会を与えることになり、結果として地方民族の不満を抑え、融和を促進した。

 志願兵制度は司令官と兵士の結びつきを強化し、退役後の面倒をみることもあったため、軍隊の私物化が始まる危険を孕(はら)んだ。周囲の目からは、カエサルは専制君主を目指しているかに映りはじめ、ブルータスらによる暗殺に結果した。

12.カエサルが殖民都市や軍団の拠点とした土地の大半が現在も大都会として残っている。例を挙げれば、フランスのリヨン、ストラスブール、フレジョス、ドイツのケルン、ボン、マインツ、イギリスのヨーク、チェスター、バース、オーストリアのウィーン、ハンガリーのブタペスト、セルヴィア、ユーゴスラヴィアのベオグラードなどなど。

13.帝政に移行した後も、ローマ皇帝には冠もなく、戴冠式もなかった。中国の皇帝が「天が我をしてエンペラーの座を与えた」と宣言し、全く新しい国名を名乗って、旧王族の創造した建築物を悉く破壊、歴史をも改竄(かいざん)、王座にふんぞり返ったスタイルとはまるで異なっている。中国は歴史は長いものの、「千年王国」という言葉はありながら、実現したことはない。ローマには「権力はいずれ腐敗する」という考えがあり、長期にわたる政権を維持するために制度疲労を治癒するための人材が必要であるとの認識があった。

14.「パクス・ロマーナ」(ローマによる平和)の構築のための財政基盤の拡充を、相続税と消費税という新しい税を考え出すことで増大するコストの捻出を工夫した。いずれの税も、世界初の着想。

15.作者は言う「現状に対応するための改革でなくては、国家の存続は期待できない。過去と整合しない部分は切って捨てる覚悟がなければ、新しい適切な改革は不可能だ」と。ギリシャが繁栄を誇っていた時代、ローマはまだ王政から共和制に移った段階だったが、決してギリシャの真似はしなかった。身の丈に合った、ローマの実情に合った体制を冷静に考えた。カエサルにせよ、カエサルを継いだアウグストゥスにせよ、過去からの伝統を引き継ぎつつ、それを環境の変化に合ったものに対応できるよう再構築したに過ぎない。にも拘わらず、周囲にはカエサルの真意が理解できなかった。

16.日本のバブル崩壊後の現状にたとえれば、官僚の天下りも、それが行われた当初は官民一体になって国際競争力を獲得するという目的があり、成功裏に終わっている。道路公団にせよ、日本全国に道路網を拡張する重要な意義を果たした。ところが、善意で始まったシステムがある時期を境に害悪を撒き散らす存在に変化した。この転換は経済が高度成長を遂げ、GNPが一人あたりアメリカと肩を並べるようになった時期と一致する。

(日本の官僚の天下りは必ずしも、社会に寄与する目的をもってはいなかった。官僚ら個人個人の懐を潤すのが目的だったし、今も変化はない。経済がそれを支えることができた時代はクレームがつかなかった)。

 敗戦のショックから高度成長を達するまで、優秀な官僚に支えられ、自民党独裁はプラスに機能した。右肩上がりの時代にはよく機能したと言っていい。バブル移行、混迷が続いているのは、時代の変化、環境の変容に即応したシステム構築を機敏に採れず、官僚が旧システムにぶら下がるようになって既得権に執着する点にある。

17.どんな時代にも、人材は存在する。問題は人材の発掘と、人材を適切な場に配置、プールし、活用すること。トロイの王女、カッサンドラは「このままではトロイは滅びる」と、ことあるごとに発言したが、だれも耳を傾けようとはせず、予言通り、トロイは滅亡する。以後、西欧では主張しても聞き入れてもらえないことを「カッサンドラ」と呼ぶようになった。

18.民主主義は他の政治制度に比べたら、ましな制度ではあっても、すべてを解決する万能のシステムではない。

19.国会や各省庁で練られた政策はどれもさしたる効果を挙げ得ない。日本に必要なのは、優れた指導者である。

(衆参両議会が必要だとも思わない。他国の真似などせず、一院制にしたほうが無駄な出費を抑止できる。また、地方自治体の数も、市町村の合併ではなく、県同士の合併を行ったほうがコスト節減に結果すると私は思っている)。

20.現代の欧州では、ローマ帝国をネガティブに見る人が多い。それは一神教であるキリスト教が欧米人を捉えたからで、もう一つは、第五代のネロ帝がキリスト教徒を無実の罪で殺害したことにあるため、キリスト教側のプロパガンダに使われてきた。ローマはその時代、基本的に多神教であり、他民族の宗教はそのまま認める姿勢を堅持した。

(キリスト教がヨーロッパ社会に君臨したことで、科学的な発展がかなりの年月にわたって停滞のやむなきに至ったことは事実。ガリレオ・ガリレーなどはその一例。また、かつて、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガルが宣教師を後進国に送りこみ、その後で兵士が侵入して植民地化し、略奪や殺害を行ったようなことを、ローマはしなかった。一方で、イギリスの元首相、チャーチルが、「イギリスが過去、ローマ帝国に蹂躙され、影響されたことは、むしろ幸運なことだった。イギリスの歴史はそこから始まった」との発言もある。イギリスのエリートに賄賂を受け取る人間はいないという、人類に稀な潔癖さもローマ帝国の影響かも知れない)。

21.日本人教育者は指導者としての資質は「決断力、実行力、判断力」というが、イタリアの高校の教科書には「知力、説得力、肉体上の耐久力、自己抑制能力、持続する意志」とある。日本でいう三つの資質は当たり前だからあえて触れる必要がないという。

(もう一つ、「賄賂に手をださない」潔癖さを求めたい)。

22.人類が生んだ最高のリーダーはローマのカエサルと、ギリシャのペリクレスの二人。ペリクレスはアテネが絶頂期にあるとき、嫉妬深いアテネ人を相手に民主制を守りながら、自分の考えた政策を的確に実行した手腕は並みの能力ではない。

23.人格の円満さや徳性などを日本人は求めるが、人格が高潔であることと目的を達成することとは直接には関係がない。人格に問題があっても、国民を幸福にし、目的を達成できるなら、それがその時点での良きリーダーである。結果さえ良ければ、手段は常に正当化されるのが政治である。

 本書はローマ帝国が地上の奇蹟だということを、あらためて教えてくれる。


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