ローマ世界の終焉/塩野七生著

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「ローマ世界の終焉」  塩野七生(1937年生)著
新潮社 単行本  2006年12月初版

 

 本ブログで、誰かの書評に、むかし「トロイのヘレン」という映画を見たことがきっかけで、世界史に興味を持ったという話があったが、私も同様で、ことにその映画の主演女優のロッサナ・ボデスタに魅了された記憶がある。

 この作者の作品に触れるのは2005年5月5日に書評した「ローマ人の物語」以来のことだが、本書読了までに時間がかかったのは、本が分厚いという理由だけでなく、塩野さんの作品に接する機会はひょっとするとこれが最後かも知れないとの想いがあり、じっくり読み込んだからだが、資料や文献の多くが失われた条件のもとで、ローマ帝国の終焉についてこれだけ言及できる能力、心構え、姿勢、筆力、さすがというほかはない。

 ローマ帝国は紀元前3世紀に起こった国で、紀元5世紀に滅亡したにせよ、750年間という長期にわたって、日本が未だ縄文、弥生の石器時代に興隆した歴史的事実は驚嘆と畏敬に値する。たぶん、それを可能にしたのは、まずローマ帝国に優れた人材が輩出したこと、周辺の多くの民族(ことにギリシャ人とカルタゴ人)を支配下に置き治世した手法が傑出していたことが挙げられるだろう。しかも、水道の架橋、道路の四方八方への敷設、各種インフラの整備などを含め、こうした人々と国が、その当時、存在した歴史は、ほとんど奇蹟に近い。

 著者は「西ローマ帝国が滅亡した(作者は『却掠(ごうりゃく)』という言葉を使っている)時点で、東ローマ帝国はコンスタンティノーブル(現イスタンブール)を拠点になお存在していたが、アテネ、スパルタ、カルタゴなどと同様、都市国家で始まったローマ自体が他民族の支配下に置かれた時点で、ローマを拠点とするローマ帝国は滅亡したと考えるのが当たり前だ」との説は妥当な理屈だ。

 滅亡に直接、間接に関係した東アジアの「フン」という名の民族が異常に獰猛、凶暴であり、定住せず、食材は掠奪により、馬に依存した生活者であり、人馬一体となった攻撃力を恐怖するあまり、ゲルマンをはじめ、スヴェビ、ヴァンダル、アラニ、ブルグンド、フランク、アヴァリア、東西ゴートなど各民族が西へ南へと逃亡し、ひいてはローマ領土にまで侵害を開始したとある。

 この「フン」という民族の正体が把握できず、ロシア、スロヴェニア、フィンランド、アルメニア、ひょっとしたらゲルマンの一部などかと想像していたが、本ブログで既に書評を終えている「新・民族の世界地図」(2007年8月8日)が「フン」について触れており、4世紀半ばからローマ帝国が支配していなかった広大なエリア(ドイツの東部からウラル地方まで)を支配していたアジア系民族で、フンの使っていた言語は現在ハンガリー語となって使われているとのことだった。

 ローマ帝国が「毒をもって毒を制する」というジュリアス・カエサル方式で、蛮族に蛮族を監視させる手法をもって長期にわたる平和を享受したが、それは自国の自国民による強力な防衛能力があったから可能だったのであり、蛮族を長年使いすぎたために、ローマ人自身に戦場での働きを忌避する傾向が出、自国を自国民を自らの手で守るという気概を喪失したために、帝国の瓦解が始まったとあるが、なにやら日本の戦後を見ているような思いに捉われる。

 それにしても、ローマ帝国の歴史に一貫して流れる宗教と、同じ宗教からの派生との相克、葛藤は、一神教であるがゆえに、異教徒に対する以上の憎悪が相互に燃えあがり、無残で陰湿な結果をもたらした事実は、大航海時代を経、西欧各国が植民地奪取に明け暮れた時代の宣教師による宣撫と、それに続く異教徒殺戮や掠奪の歴史を通観すればするほど、宗教のおぞましさを感じざるを得ず、宗教こそが人類間の殺し合いを惹起、誘発した元凶としか思えないばかりか、歴史という舞台がときに滑稽にすら映る。

 とはいえ、宗教へのこだわりが教会を生み、教会が科学の進歩を阻害したこともあったが、一方で、芸術、美術、建築を刺激し、多くの価値ある遺品を残したのも事実として認めざるを得ない。

 ローマ帝国に関する長い長い物語を書き切った作者に惜しみない拍手を贈りたい。


前後の記事

«  (前の記事)

(次の記事)  »

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ