一歩を越える勇気/栗城史多著

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ippowokoeru

「一歩を越える勇気」 栗城史多(1982年生)著
帯広告:NHKでドキュメンタリー「7サミット極限への挑戦」が放送され、大反響
2009年12月25日 サンマーク出版より単行本初版
¥1300+税

 

 作者は3年間のうちに六大陸の最高峰に単独登頂で成功し、ヒマラヤでも8,000メートルを越える3座にも無酸素で成功、今後は一度トライして失敗した世界最高峰、エヴェレストへの登頂をインターネットによる動画の配信を可能にすることに目的を集中させ、これを成功させるために要する莫大な資金集めに下界をセールスして回っている20代の若者。

 初めての海外旅行がアラスカの最高峰、マッキンレーへの登頂という体験から始まる本書には読者を牽引する力がみなぎっており、その大胆さにも驚かされるのは事実。

 ただ、なぜかは判らないが、こうしたタイプのアドベンチャーに成功した人のドキュメンタリーには、たぶん出版社や編集者による誘導もあるのか、必ず、人生訓といった言葉が添えられ、それが並でない登頂体験というノンフィクションとしての品格を殺(そ)いでいるように感じられる。

 人生訓などに言及せず、厳しい登山経験にせよ、下界でのセールスを含め、自身の言動の事実だけをありのままに淡々と語るほうが、はるかに印象的であり、感動的であり、一層の牽引力にもなると思う。それでも、作者が言いたいことは読者に伝わるし、人生訓を直接文字にしないほうが、快く受け容れられるはずだ。

 作者の文章に多発する「のだ」止めの、若干うんざりする言葉は人生教訓にかかわる箇所に頻発するわけで、変な力がそういうところに入ってしまう結果ではないかと思われる。「のだ」の連発は文章に力のない人に特有の手法。

 一つのノンフィクションとして纏め上げる上では、変に教訓的な言葉は読者をシラけさせるばかりであり、もう一度いうが、現実に起こったことを淡々と書いていくほうが、はるかに大きな感動、感激を呼ぶだろう。

 最後に、作者の言葉のなかから、「山に立ち向かおう、対峙しようという(高ぶった)気持ちをもつと、呼吸も心拍数も上がるし、疲れれば乳酸菌も上がる。自然に与えられた情況を素直に受け容れることで、厳しい状況をクリアできる」という言葉は、この作者以外の登山家からは出てこないだろうと思われるほど価値が高い。この発言は「淡々と状況に対応することのほうが過酷を乗り越えられる」ということで、見方を変えれば、訓話などに触れないほうがよけいなところに力が入らず、一書としての魅力を増し、思いの丈も読者に届くということを暗示してあまりあるのではないか。

 私自身は高校生のとき山岳部に所属し、一夏に南アルプスの木曽駒ガ岳から始まって、白馬岳、宇奈月から剣岳、立山連峰から槍、穂高という20日間にわたる計画をして出かけたことがあるが、同行した一人が途中で悲鳴をあげてしまったため、13日目に立山連邦の五色ガ原から新潟側に下山するという情けないことになった経験がある。

 当時、高等学校の山岳部でこのような過酷な部活動をしていた学校は全国的にも稀だったと思われる。こうした経験があるため、登山を書いた著作には目がいってしまう。先輩のなかにはエヴェレストはもとより、キリマンジャロその他の高山に挑んだ先輩もいる。

 最後に、希望だが、作者の才能を出版社や編集者の意向で損なうことなく、己の信ずる道をしっかり見据え、進んで欲しい。


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