人は見た目が9割/竹内一郎著

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「人は見た目が9割」 竹内一郎 (1956年生)著
新潮新書  2005年10月初版

 
 「活字より漫画の本が圧倒的に売れている理由は、文字と絵との組み合わせのほうが受け手に理解されやすいから、伝達力が高いからだ」といきなり仰るが、それは読み手に想像力の欠落した人が増えたという頭脳の質の問題ではないのか。むしろ、日本の漫画は海外の漫画との比較において、あくまで「コミック」として優越し、世界のコミックを凌ぐ質をもつに至ったからではあろうが。

 「人が集まった会話の席では、55%が相手の顔の表情に向けられ、38%が声の質やテンポに注がれ、わずか7%が話の内容に向けられる」ことを、場のシチュエーションの説明もなく、いきなり勝ち誇ったように発言しているが、読み手としては混乱するだけ。

 見知らぬ人間同士が集まって会話する状態なら、上記のようになるのは決まっている。話の内容よりも、相手のキャラを知ろうとするのが人情というものだ。もし、集まった人々が互いに知己であれば、話の内容に70%以上の注意が払われることも必然。

 「本をたくさん読む人が必ずしも情報をたくさん摂取している人ではない」という。読書は読む年齢にもよるし、読み方にもよるが、読まない人に比べれば読む人の方があらゆる意味でましなことは言わずと知れたことだ。「本をたくさん読む人のなかに人望もなく、仕事もできず、社会の仕組みを全く理解できてないと思える人がたくさんいる」ことも一面の事実だが、文面からは、本を読まない人の方が仕事ができて、社会の仕組みを理解している人がたくさんいるかのような本末転倒ともいえる表現にもとれ、読書を好む人への意図的な悪意すら感ずる。

 故意に屈折した理屈や屁理屈を並べて、「あんたの言うことの意味はわかるが、あんたに言われたくない」という言葉はそっくり作者であるあなたにお返ししたい。「調子に乗った物言いをすると、バカまる出しに見えますよ」と。

 1956年生まれの横浜国大卒の博士のくせに、何を焦って、客観性を欠いた発言をするのか、独断、専横の言葉が並ぶ本作品、19ページまで読んだところで、悪いけれどもゴミ箱に放り込んでしまった。これだけ不当に配慮の欠けた書に接したのは生まれて初めて。


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