人間の証明/森村誠一著

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

人間の証明

「人間の証明」 森村誠一(1933年生)著
1976年 角川書店より単行本として初版
1977年 文庫化初版

 

 初版で100万部を突破、本人の「あとがき」によれば、国内だけでトータル770万部が売れ、ロシア語、中国語、韓国語にも翻訳され、映画化もされた。

 本書が初出版された当時、ストーリーの流れに乗って一気に読んでしまった記憶はあるが、「母さん、ぼくのあの帽子はどうしてるでしょうね」という詩の一節だけが脳裡に残り、起承転結はおろか、文体、作風などは全く忘却のかなたになっていた。

 今回、本書を読み返したくなったのは著者が働いていたホテルのフロントで二、三度顔を見かけ、言葉を交わしたことがあったことで、書店で本書が目に入ってきたとき、思わず手が出てしまった。

 当時、本書がよく売れ、人気もあって、映画化もされた理由として、内容が松本清張の「社会派ミステリー」の延長線上にあることと、そのうえに人間の哀しみを軸に置きつつ太平洋を挟んで国際的な舞台を設定して書かれた点にあるとの、解説者、横溝正史の意見には同感だったが、私は氏の他の作品は読んでいない。

 ただ、読み返してみると、初めて読んだときには気づかなかった間違った推量、真実味の欠けた部分、つくり過ぎの展開、己の思考に対する過剰な自信が感じられ、それに酔っている印象があり、本書を世に出した折の作者の才走った若さが窺える。

 たとえば;

1.タクシーのドライバーが「西条八十の詩を愛好し、学生時代は同人雑誌を刊行、後にフランスに留学してイエーツやメーテルリンクと交流し、フランス象徴詩を深化させた幻想的な詩風を樹立した」と語る場面は、いかにも作り物くさくて感心しない。

2.「アメリカが人種の坩堝であり、複合国家であるため、自動販売機が存在し、人間は人間よりも物や金を信頼するようになり、物質文明の高度の爛熟は人間の精神や温かさを遠方に置き去りにして物質だけが先走る。この物質の悪魔の跳梁に最も冒されやすいのがアメリカのような合成国家である。日本は寄せ集めの国ではない。人間が最初から国土とともにあった。そこでは、どんな物質の氾濫にも人間を支配することはない」とある。

 (これが間違った推測だったことは現今の日本と日本人の実態が余すところなく伝えるところであり、作者は日本人が戦後テレビに映るアメリカのホームドラマを見、冷蔵庫、車、洗濯機、掃除機、エアコンディショナー、食器洗浄機などのある生活に憧れつつ、持ち前の勤勉さと賢さで頑張った頃までは知っていても、そういう憧憬があっという間に実現されたことを知る前にこの本を著したとようだ。

 アメリカナイズされることが憧憬心であったことは核家族化をも惹起し、都会では隣に誰が住んでいるのかさえ知らないといった現象を生み、孤独な老人が死んでも白骨化されるまで誰にも知られなかったなどという実態にまでに至っている。

 自動販売機に関してなら、日本のほうが、むしろ、その配置手法はデタラメで、商業地区、居住地区を問わずにどこにでも置かれている。少なくとも、アメリカでは自販機を居住区に見ることはないし、アルコールやタバコが売られることもない。また、自販機の設置台数はいまや日本が世界一であり、総数は560万台、売上高は7兆円のビジネスになっている。なかには人家から離れた場所に数十台が置かれ、これが外国からの違法滞在者の格好の窃盗対象にすらなっている)。

3.「ニューヨークには『世界一』が肩を並べている。摩天楼、ウォール街、オークション、音楽、ジャーナリズム、教育施設、コングロマリット、文学、美術、演劇、ファッション、料理、娯楽、ブランドショップなどが集中している一方で、殺人、放火、強姦、窃盗、売買春、ポルノ館、ポルノショップ、幼児虐待、汚職、麻薬、詐欺などの犯罪が多発する。上限と下限との乖離が拡大しすぎた街も人も、一人の成功者に千人の敗者とのなかで苦悶している」

 (とあり、そのことに嘘はないが、アメリカを追いかけてきた日本との差は大きく縮まっているし、アメリカを凌ぐものもすでに存在する)。

 (犯罪は外国人の流入増加の影響もあり、世界一の検挙率を誇った日本警察もその地位を失いつつある。トヨタは米国最大のGMをすでに追い抜いてしまっている。地震多発国でありながら、東京には摩天楼に近いビルが年々増えている。汚職や売買春はアメリカを上回っている可能性すらある。ブランド志向が強く、ブランド品を買い漁るのも日本人である)。

 作者が「本書の成功は西条八十と角川書店の社長だった角川春樹氏に出遭えたことにある」と明言しているが、春樹氏自身が麻薬を国内に持ち込もうとして逮捕され、弟にその地位を譲ることになろうとは夢にも思わなかったであろう。また、「大文字、商家の妻が、匂ひ立つ」とか「父亡くて、緑したたる、大和かな」などの華麗な名句を創れる春樹氏がタイのチェンマイに必要とは思われぬオフィスを持っていたこと、それが何を意味していたかもご存知あるまい。

 幼児虐待についていえば、現在日本でもアメリカと同じ状態になっている。親による幼児虐待、場合によっては殺害まで頻発している。

4.「肺尖部に小さな病巣があって療養を余儀なくされ、やむなく妻を水商売で働くことを認めざるを得なかった夫が、妻が消えてしまったとたん、元気いっぱいといった風に追跡調査に励む行動力」といった展開にはもう少し言葉が飛鳥なのでは。「痩せて、やつれた風貌」を書くポイントが遅すぎるように思う。

5.ニューヨークの、こともあろうに、ハーレムに2年も在住してハーレムの人間や風景を撮影する日本女性が警察官のドアノックに対し、一度だけ「Who’s it?」と訊き、「警察官だ」との返事を耳にするやドアを開けてしまう下りは、どう考えても不可解。

 (ニューヨークの実情を知っている読み手なら興が削がれてしまう。ニューヨークに3か月プラス、ビジネスツアーのたびに宿泊し、合計でも半年ほどしか居住しなかった私ですら、ニューヨーカーが最も信頼を置いていないのがポリスである。ポリスはしばしばビルやマンションの管理人とグルになって窃盗、強姦をすることをニューヨークに居住する人間なら誰もが知っており、ためにドアには五つも七つもロックをして防御するのが常識である)。

6.「20年前後の歳月が流れているにも拘わらず、少年時代にちらっとだけ目にした女の顔を20年経過してなお、加齢した顔を見て、記憶が呼び覚まされる」などということがあるのだろうか。

 以上が、読み返してみて、あらためて気づいた疑問符だが、次の言葉には、はっとさせられ、作者の鋭さを感じさせられた。

 

1.「食事は豪華であればあるほど、食事本来の目的から逸脱する」

 (外国で居住しての仕事を終え、帰国した私の目にグルメや大食い競争のテレビ番組ばかりが飛び込んできたとき、悪趣味を超えて醜悪とすら思った)。

2.「人間という動物はだれでも突きつめれば、『醜悪』という元素に還元されてしまう。どんなに高邁な道徳家でも、深遠を説く人であっても、自己犠牲や人間の情を説く人であっても、心の襞(ひだ)のなかに、自己保身のソロバンを隠している」。日本の政治家、官僚、官吏、外車を乗り回して檀家をまわる寺の僧侶、企業家を含め、作者の言葉を裏書している。

 本を初めて読むときというものは、ストーリーの流れを追ってしまい、たとえ矛盾や間違いや不可解な部分があり、そのことに気づいたとしても、すぐに忘れ、次の展開に気持ちが動いてしまうものであることを、本書を読み返すことで理解した。


前後の記事

現在はコメントを受け付けておりません。

サブコンテンツ