「人類の起源」大論争/瀬戸口烈司著

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「人類の起源・大論争」 瀬戸口烈司(1942年生/京都大学教授、専門は哺乳類古生物学)著
講談社選書  1995年8月諸般

 

 ネアンデルタール人が西欧の洞窟で発見されたのは1856年、ダーウィンが「種の起源」を世に問うたのが1859年、クロマニョン人が発見されたのは1868年といった過程が科学者の好奇心を刺激したことは間違いないだろう。

 こうした歴史の背景のなかで、奮闘したのはオランダ人のデュポア、19世紀末に至って、インドネシアのスマトラ、ジャワでピテカントロプスの仲間、ジャワ原人を発見。ちなみに、中国の北京で「北京原人」を洞窟で発見したのはアメリカ人のツダンスキー、1926年。いずれも「ピテカン・トロプス・エレクトス」が正式名称となった。

 現在までに発見された最古の人類直径の祖先は「アウストラロピテクス」で、東大の人類学者が東アフリカで発見、440万年前のものと推定されたものの、この種とホモサピエンス属の進化の過程はまだ十分には解きほぐされていず、さらにこの種と類人猿を結ぶ化石も見つかっていない。ただ、この種の脳容量は類人猿とあまり変わらず、500ccほどなのに、すでに二足歩行していた。この事実は人類は脳より先に二足歩行する能力を獲得したことを示している。

 人類の祖先は400年万年前から150万年前までのアウストラロピテクスなどの類人猿、100万年前から30万年前までのピテカン・トロプスなどの現人類、10万年前までのネアンデルタール人と呼ばれる旧人類、数万年前のクロマニョン人の新人種という系統が現代の一応の常識となっている。

 地球で発見される化石は地球誕生の46億年前から5億年前までの長い期間を「先カンブリア時代」というが、この期間に類人猿の化石が発見されることはない。

 東アフリカのタンザニアで生物調査をしていたルイス・リーキーはジンジャニトロプスを発見、175万年前の化石であることが判明、妻のリーキーはその近くからホモ・ハゼリスを発見したが、脳容量は750ccほどもあった。

 50万年前のピテカン・トロプスに代表される原人の段階で平均900ccと二倍以上のサイズ、10万年前の旧人類、ネアンデルタール人は1300cc、現代人は1450cc、300万年の期間、人類の体格はさほど変化していないが、脳のサイズがこれほど短期におおきくなった動物の例は人類史上以外にはない。

 進化の「急進化」と「緩慢化」の概念を新たに導入したのはアメリカ自然史博物館のシンプソン、1953年に「進化の主様相」を出版した。

 熱帯森林の樹上の適応帯を占めていた人類の祖先が適当帯を超えて、平地のオープンランドの地上に進出したことにヒトの進化がある。つまり、人類に固有の二足歩行という適応形質を獲得した証拠である。その間、自然環境にも変化が生じ、被子植物が爆発的に進化、花や蜜などの栄養の高い食物を新たに提供。ここに、昆虫類が植物からの新たな適応帯提供を知り、昆虫自体も爆発的な進化を遂げ、なかんずく食虫性哺乳類も進化をとげた。食虫類の子孫が霊長類。

 歴史的に見て、進化の早い生物ほど、地球上での生存期間は短いという法則がある。

 ネアンデルタール人がアフリカ、ヨーロッパ各地から発見された事実は、当時、この種の人口は決してわずかではなかったはずで、脳の容量も1300ccもあった。これらが時代を継いだクロマニョン人に一挙にとって変わられたと考えることには無理がある。ただ、現代人とネアンデルタール人の脳の相違は前頭部にあり、現代人のは丸みを帯びているのに対し、彼らの前頭部にはふくらみが欠落している。前頭部は体性感覚と空間的な視覚情報の処理を行う部分だが、その事実をもってしても、ネアンデルタール人のあっという間に絶滅した理由を探り当てることはできない。

 「分子時計」というものがある。かつては化石を発見し、歴史を遡って、その当時を憶測、推定するという考古学的手法を用いるのが常識だったのが、「分子時計」は化石のもつ蛋白質から逆に年代を計るという画期的な工夫のもとに創作されたが、問題も多く、分子時計派と、そうでない派に分かれているのが現状。

 本書には、恐竜、魚類、鼠、猿、げっし類など多くの他の生物で各論拠を援用しているが、人類の起源を説明するために必要だったのかも知れないが、饒舌が過ぎ、そのことがポイントを曖昧にしてしまっている印象が強い。


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