僕のトルネード戦記/野茂英雄著

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僕のトルネード戦記

「僕のトルネード戦記」
野茂英雄(1968年大阪生まれ)著
1995年9月 集英社より単行本
1997年7月25日 同社より文庫化初版

 

 全編にわたって会話体で構成されている文章は、明らかに野茂がしゃべった内容を録音しておき、第三者が文章に置き換えたうえで、野茂自身にチェックさせ、修正、加筆を行い、上梓に至ったと見るのが妥当と推測される。

 内容は1995年に野茂が近鉄バッファローズとの交渉で、彼が提示した条件の変更、(1)選手にも代理人をつける権利、(2)10年間の拘束の上でのFA宣言をやめ、複数年契約に切り替える、が2回とも不調に終始、3回目に至っても相手にしてもらえなかったため、日本球界から足を洗い、メジャーへの移籍を試みることを宣言。

 1995年、多くの非難を浴びながら、ロスアンジェルス・ドジャースと契約を交わし、家族ともどもアメリカに渡ったときからメジャーに移籍してデビュー、1年間が終わるところまでを纏めたもの。

 後日には、野茂がトルネード投法を使い、二度のノーヒット・ノーランを達成したことも、オールスターの常連になったことも、奪三振で何度かトップに輝いたことも、彼のメジャー移籍が他の選手への導火線的役割を果たしたことも判るが、最初の1年間は近鉄にいたときより安い年俸で始まり、彼なりに覚悟を決め、結果が悪ければ、帰国しても、日本の野球界には戻れないことを覚悟しつつ、必死でメジャーにくらいついた経緯がよくわかる。

 「アメリカはチャレンジする者に、勇気ある者に、扉を閉ざしたりはしない」「日本は球団側は代理人を前面に立てるにも拘わらず、選手にはそれを認めず(外人選手は例外)、球団と選手とのコミュニケーションはゼロに近いもので、そこには一体感の希薄が恒常的にあり、野球への愛情も、野球の将来への洞察も欠落している」

 「夢の実現」と格好よく言ってはみても、そこには当然ながら生活もかかってくる。日本の一般選手が10年かかって獲得するFA宣言(自由選択)を、自分は5年で振り切り、アメリカに渡ってしまったため、マスコミからも球界からも轟々たる批判を浴びたが、それは球界の古い体質を表すもので、新しい価値観に対して拒絶反応が強くあった」。(読売の渡辺恒夫が代表する極めて日本的な島国根性)。

 「メジャーでの4試合目、7イニングを投げて14奪三振をとって降板したとき、観客からスタンディング・オーベーションを受けて感動したが、ダッグアウトに帰ると、監督がハグしてくれ「I’m proud of you!」(おまえを誇りに思う)と言ってくれたし、仲間からは「You’re great!」と言ってもらったのが嬉しく、忘れがたい。6月のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で、初完投勝利投手になったときは、仲間が「おまえと一緒に野球ができて光栄だ」と言ってくれたのも、胸が震えるほどの倖せを感じた」。

 そういえば、「トルネード投法」はアメリカ人による命名であり、初年度から野茂はオールスターに選出され、先発投手になった。それまでの奪三振の数が抜群だったからだ。

 この頃から、日本のマスコミが大挙してアメリカにやって来、野茂を追いかけはじめ、そのなかには、近鉄退団時に「野茂の球ではメジャーでは通用しない」といった否定的な記事を書いた球界誌の人間や、野球評論家も豹変して、「家族はどうしてますか」とか、「日本の球界に帰る気はありますか」など、メジャーとは全く関係のない低次元の質問にあきれかえった。

 しかも、日本のマスコミはまるで金魚の糞のように群がって行動する。だから、雑誌にしろ、新聞にしろ、TVにしろ、それぞれに個性がなく、ほとんど同じ記事、放映で埋められる。プライベートな時間ですら、選手を追いかけまわし、家族との時間にすらマイクを突き出し、他の選手と一緒のときですら、カメラのフラッシュを向ける。日本球団から去るとき、「永久追放」とか「協約破り」などとバッシングした連中が、今度はアメリカで迷惑行為を平然とやる。(日本のマスコミには良識というものがない。常に付和雷同)。

 「自分にとって最大の仕事はチームの勝利に貢献することであって、目標は奪三振の数を増やすことでも、完全試合を達成することでもない」という野茂の言葉が嘘でないことは、初年度の8月にあわやノーヒット・ノーラン達成かと思われた7回に安打を打たれたものの、肩を落とす素振りすらなく、その回以降も、彼の投球に乱れはなく、勝利を得た姿勢からも裏書きされることで、その折り、監督もピッチング・コーチも、野茂の個人的な成績に固執しない「精神的タフネス」に驚嘆したという。

 野茂は「フォーク」で有名な投手だが、彼がフォークを練習しはじめたのは、社会人野球に入って1年目の夏、監督に投法の基礎を教わり、毎日30-40球、フォークばかり投げたが、一球も落ちなかった。実現したのは、翌年のことで、しかも試合中に突然、ストンと落ちて本人も周囲もびっくり。

 「自分の投球フォームにフォークが合っていた。メジャーに来てからは、フォークに磨きがかかり、落差も大きくなった。これはメジャーで使われるボールのサイズが日本のボールよりも大きいことが指の短い自分には有利に働いた。短くても、指に引っかかりがあり、フォークが投げやすくなった」

 キャッチャーのピアザが「野茂には4種類のフォークがある。スライドするのと、シュートするのと、真っ直ぐストンと落ちるのと、チェンジアップ気味のと」と証言しているが、それらの球種を意図的に投げてるわけではない。心がけていることは常に真っ直ぐに落ちるフォークだが、ちょっとした身体の切れや、投げるタイミングで、同じフォークが微妙に変化する。ストレートとフォークしか持ち球を持たない自分がメジャーでやれたことに、この癖球は貢献してくれた。ただ、フォークを生かすには、あくまでストレートがしっかりしていないとダメ。

 メジャーリーガーは野茂の投球を「Nasty Ball」と表現した。本書では「手に負えない魔球」と適切な翻訳をしている。

 通常のフォークがボールに回転をかけず、抜いて投げるため音がしないのに比べ、野茂のフォークは生き物のようにシュルシュル、キュルキュルと音を立てながら落ちてくる。明らかに、野茂のフォークは回転がかかっているという摩訶不思議なボール。

 また、常識的なフォークは高速フォークだが、野茂のフォークは明らかにスピードがガクンと落ち、これが意外なことに「Fail Safe」(フェイル・セーフ/安全装置)として働いてくれる。また、野茂の投球の特徴はストレートもフォークもリリースポイントが同じで、球種を判断するヒントをバッターに与えない。首位打者に5回も輝いたトニー・グウィン(サンディエイゴ・パドレス)に「野茂はやっかいなピッチャーだ」と言わしめている。

 野茂が本書で最も言いたかったのは、「アメリカのメジャーでは、コーチは上司ではなく、助言者。日本球界には選手の個性や意思を無視した指示、命令が多発されるが、そんな環境下で、プロ意識など芽生えるわけがない。コミュニケーションを密にすること、それがメジャー流の選手管理術。日本では、過去に実績を残した人に限って、経験主義者が多く、選手それぞれの個性を無視、原始的な手法に固執する傾向が強い」という。野茂が尊敬する日本人野球関係者では、元近鉄の仰木監督だというが、イチローも同じことを口にしている。

 読売ジャイアンツの渡辺オーナーを見る限り、選手の人事ばかりでなく、監督の首も彼の顎の向きで決まるといった王様気取りが肌に感じられる。私には日本球界をダメにしているのは読売の渡辺としてしか思えない。

 とりあえず、現時点までのところ、野茂と同格にメジャーで名を挙げたのはイチローくらいで、今後は松坂や松井がどのレベルまで登りつめるかが見ものといったところだろう。私個人は野茂を「大した男だ」と思っている。

 アメリカ人はこういう癖の強い球種と、個性的な投法を持つ選手を評価する傾向が強い。


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