僕は人生についてこんなふうに考えている/浅田次郎著

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僕は

 「僕は人生についてこんなふうに考えている」

   浅田次郎著  新潮文庫

   2004年1月海竜社より単行本初出

   2006年5月 新潮社より文庫化初版

 以前、本ブログで、私はこの作家の著作はあまり読んでいないことを明言したが、知己の一人に猛烈なフアンがいるために、なんとなく気になる作家の一人であり、そのため、書店で目に触れた折にピックアップした。

 この作家が自身を露出させ、さらけ出すことに頓着しないのは自信があるからで、と同時に、自分のようには人生を考えない人間も数多存在することを重々承知のうえで説教をたれたことを明言してもいる。だから、読み手サイドとしてもこの作者の本質に迫る機会を与えられた思いであり、ついでのことだから遠慮会釈なく、本書への感想を以下披瀝する。(  )内が私の感想。

 「偶然なんて言葉は事実の免罪符。人はみな悪いことが起こると、偶然のせいにするが、偶然なんて人生を通し、幾つもありはしない」

 (私は悪いことが起こると他人のせいにはしても、偶然のせいにする人に出遭ったことはないし、作者がそう思うとしたら、僭越的な思惟、独断だと思う)。

 「人間は常に思索と行動という両輪で走っている。それを駆動させるものは「努力」というエンジン、「良識」というハンドル、右足は「勇気」というアクセルと、ときに同じ名のブレーキ。そして、左足はすべてが「分相応」に収まるようにクラッチを操作する」(このまとめ方にはなるほどと思わせるものがある)。

 「飢餓と生命のリスクさえなければ、人間はとりあえず幸福。他のどんな人の幸福と出遭っても、羨みはせず、自分の人生と彼の人生を取り替えたいとは思わない」

 (金銭的多寡に右往左往しないという意味なら、同感)。

 

 「幸せって、寂しくないってことでしょう」

 (この言葉は胸にぐさりときた。貧しくとも、気を使ってくれる人が周囲にいる、それだけで満たされた気分になれる)。

 「日本人はいまだに生きんがために生きる。敗戦の後遺症にたたられており、そればかりか、富国強兵の明治の政策に今も呪われているようが気がしてならない」

 (だったら、思い切って、アメリカの傘の下から出て、徴兵制度を始め、核武装を始めて、アジアで冠たる国づくりを再びやるべきで、他国から明らかに軽く見られている現状を積極的に打破すべきではないか)。

 (日本人が生きんがために生きる性癖を持ったのは、弥生文化が持ち込んだ稲作に根があり、その年の天候次第で、収穫が天地の差をもたらす経験がDNAとして血統のなかに根づいているからではないか.。だからこそ、日本人は互いに牽制しあいながらも個で生きることはせず、群れで生きる手法を採らざるを得なかった。仲間の信頼を失ったら、それは直接生存の可否に結果するからだ。個で生きるより協力し、合議なり衆議制を採って、逆に、他人と違うこと、異なることを恐れた。そういう習性が現代社会にまで影響を及ぼし、最近になって、旧来の生き方に満足しない層を形成しはじめた。稲作時代が長かっただけ、脱皮にも時間がかかったということではないのだろうか。ただ、このような新しい生き方が必ず幸せを運んでくるとは限らない)。

 「飽食終日、心を用ふるところ無きは難きなるかな。バクエキ(賭博)なるもの有らずや。之を為すは猶巳(や)むに賢(まさ)れりという論語がある。孔子は、ぼんやりしているくらいならバクチがあるではないか。何もしないよりましだとはっきりいっている」(こんな漢文に出遭ったのは初めて、高校時代の漢文には出てこない)。

 「労働が善行、遊びが悪行とする日本人独特の意識」も、稲作文化の名残ではないか? 最近の若者にはあまりこういう意識はない)。

 「幸福に天井はない代わりに、不幸にも底はない」

 「女は過ぎ去った恋を忘れ、男はこだわる」

 (それどころか、女は昨夜の性の悦楽を追った己の卑猥な言動を朝になったら、すっかり忘れた顔をする生物。生理的な習性の相違か)。

 「結婚するということは、どんなことがあっても、この人についていこうと心に決めること。愛したり愛されたりは恋人同士のすること。結婚は相手を信じて、黙ってついていくこと」(配偶者である限り、相手の痛みを解ってあげるのが最低の責任であり、愛情であり、伴侶しての義務。とはいえ、結婚後、生殖期間が過ぎたら、家庭での愛の営みに手を抜き、外にセックス相手を探すのが男の習性。バレれば、夫婦生活に破綻をきたす。悲しいとき、抱きしめて欲しいのは大人になっても心理的には同じ。ただ、男という動物は同じ相手と何年も飽きずにベッドをともには出来ない生物、結婚制度というシステムのもつ矛盾を見逃すわけにはいかない。とはいえ、逆もある。配偶者以外の女性を知ったために、浮気をしたために、自分の妻の良さが見えてくることもしばしば起こる)。

 「忍耐、辛抱、我慢、ニュアンスはそれぞれ異なるけれど、いわゆる我慢強さは、人間の人間たる理性そのものに違いない。埋もれてしまう才能、報われぬ努力、武運つたなく敗戦の憂き目に遭う、などという現象は人生にままある。だが、我慢の利く人間は、大抵なんとかなる」 (そう願いたいものだ)

 「一生懸命努力を続けることが、これまでの成功を保証してくれるわけではない」(まったく同感)。

 「本を書くうえで人を泣かせるのは才能などではない。どんな辛い思いをしたか、どんな涙を流したかを記憶できれば、泣かせることは簡単。しかし、人を笑わせるのは神からもらった天性、そして涙を知れば知るほど、笑いは深くなる」(確かに)

 「身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に愛く」「孝養という儒教の教えを日本人は忘れてはいけない」(中国儒教から教えてもらった徳目だが、韓国で歴史的に継続してきたように、日本で儒教がそのままの形で受け容れられたとは思えない。現実、父母からよけいな遺伝子をもらって生涯哭く人もいる。儒教を生んだ肝心の国、中国の毛沢東以後の状態を見ては、かの国からもらったものはできるだけ排除したくなるのが常識的。親に孝養を尽くす一方で、人の国の他人の著作権を平然と犯す心理は同じ人間としてのレベルでものを考える必要すらないと私は思っている。汚いやり方をやめようとしない民族に何かを学んだきた過去に憎悪と唾棄すら感ずる。日本には独自に形を換えた儒教のほかに朱子学からの影響と、武士道からの影響などが渾然一体となっている。それで十分、中国に負けるとは思えない。ただ。孔子が「人の創ったものを真似てはいけない」と言ったとは聞いたことがなく、それでああいう滅茶苦茶なコピー品を創造するのだろうか。それが人間としていかにレベルの低いことかという認識がかの国のトップにもないらしいことに驚愕する。むろん、今後、先進諸国は黙ってはいないだろう)。

 「日本は戦後アメリカナイズされ、孝養を忘れている。現在、盛んに介護がいわれるが、本来、子が対応すべきことだ」(戦後アメリカナイズされ、核家族化が進んだのは事実であり、ために結婚しない女性が増え、少子化に拍車がかかったのも事実だが、かつて大家族主義でやっていた時代、それが可能だったのは経済的な問題とあわせ、ひとえに嫁の忍耐に依存していた。換言すれば、嫁と姑が仲良くやっている家庭はどの時代でも奇跡的だったわけで、経済的な問題がなくなれば、嫁は忍耐することを放棄し、核家族化への道に進むのは必然だった。現在、大家族主義を貫いているのは、いずれも発展途上国であって、そこの嫁に訊いても、もし可能ならば家を別にもちたいという答えが返ってくる。介護することは口でいうほど簡単なことではない。介護者である夫や子供が相手を殺してしまうケースすらある。介護の問題が避けて通れない以上、最善の介護とはなにかを考えるべきで、いまさら儒教の教え云々は古すぎるだけでなく、発言しても効果はない)。

 「男は一生、おれは男だという気概を持つべきである」(男はそういわれなくとも、自分が男であることを生涯にわたって意識下に置いて生きる動物である。問題なのは、むしろ女であり、女が自分は女だという意識以上に、母であり、妻であることを強く意識して生きてきた。このあたりの自意識や精神までは未だ西欧化されていないが、いまや女が自分の女に覚醒する時代を迎えている。だからこそ、結婚しない、子を産まないという現象が起こっている。男だけが『おれは男だ』と、いい格好していられる時代を続けたければ、軍備をしっかしり、徴兵制度でもつくる以外にない)。

 「江戸っ子の心意気」(を云々しているが、江戸っ子の瑣末にこだわらない、所持金は一夜で使ってしまうなど、そうした姿勢は、私も3代続いた江戸っ子ではあるが、レベルの低い見栄でしかないと思っている。だから、メニュープライスも示さない寿司屋のような不合理が、偏屈をほしいままにしつつ、いまだにまかり通っている。価格を気にせずに寿司をつまむのが江戸っ子の心意気というのなら、ただの阿呆であって、世界に通用しない)。

 「悪行とは無縁に凛として生きよ」(むかしから悪人が絶えたことがないという職に教師、僧侶、警察官があるが、ほかに政治家、医師、企業家、官僚も加えるべきで、だからこそ、こうした職業者のなかに悪行とは無縁に凛として生きた人間がいたら、その人こそ神に近い人だという気がする)。

 

 「愚痴るやつは勝負事に向かない」(同感)。

 「妻妾同居」(とは、えらく古い言葉をもってきたものだ。が、これは江戸時代、武家が妾を外に囲うことが禁じられたために、やむなく妻妾同居という形となり、隣、近所の家庭もみな同じ状況だったから、だれも不思議な感じはもたなかったと聞いているし、妻と妾がほとんど同時に子を生むなどは日常茶飯事だったとも聞いている)。

 「世の中の風景や人物はみんな光と影のモノクロ」(まったく同感。人間の生は夢、幻なのかも知れない。だから、人類がいつ地上から消えても不思議ではない)。

 「土地や家なんかに愛着をもつな。たかが、クソをたれて寝るだけの場所じゃないか」(同感だが、人間は我が家をもつことで安堵や安心を得るものでもあるし、所有欲こそが経済活動を生んでもいる)

 「やさしい子、できの良い子、善良な子、いずれも生来ハイリスクを背負う」(まったくその通り。人間てのは救いがたい生き物というしかない)。

 

 「突出的な才能、能力に恵まれた人間には、同時に、長所に見合うだけの突出した欠陥がある」(人生は結構フェアーにできている)。

 「人生がどこかで平穏無事でなくなったとき、それが波乱万丈であればなおさら、変容、変貌のチャンスと捉えよ」(頑張ってみても、うまくいくときと、そうでないときがある)。

 「公平無私であるはずの天が一部の人間に優位を与えた。天は彼らに使命を与えたからだ」(天などというものはないし、神などというものもない。人生に不公平はつきもの、相応の分というものがある才能は天が与えるものではなく、先祖代々受け継がれてきた遺伝子であり、ときに突然変異的が天才を生むのだと、私は思う)。

 本書から気になった箇所、面白いと思った箇所だけを拾って上記した。悪くない本だったと思う。


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