光ってみえるもの、あれは/川上弘美著

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光って

  「光ってみえるもの、あれは」  川上弘美著(1958年生/48歳) 

   中央公論社単行本初出 

   2006年10月文庫化初版

 初めてお目にかかる著者、そして著作、正直いって、登場人物の男性はすべて女性に思え、女性はすべて男性に思えるという不可思議な内容に終始している。

 これは、戦後60年余平和が続いたことの結果としての現代若者風俗を表現しているのか、あるいは意図してそうした展開を考えたのか、あるいはまた作者が女性であるがゆえに、男性の根っこの部分をしっかり理解できずに、このような著作になったのか、私には不分明、判断を超えている。登場する男たちがいずれは変貌をとげるのかと期待しつつ読了したが、さいごまでそうした儚い希望は満たされず、男たちの実在感は希薄なままだった。

 「こういう腑抜けの男たちに日本の将来を任せるのか?」といった、小説そのものが意図しない方向へと、読み手としての私を引っ張ってしまったが、これは、私の身勝手な読み方というものなのかも知れない。

 最終場面が九州の西端、五島列島に移されるが、この部分が必然だったのかどうかという疑問も残った。

 作品を書くということは、作者に読ませることを目的とし、読ませることは必然的に読者の貴重な時間を奪うことを意味する。

 

 数々の賞に恵まれた作者がそのあたりへの配慮を失念しているとは思わないけれども、この著作を外国語に翻訳した場合、西欧のみならず、発展途上国の文学者や読者からどのような反応が出てくるのか、そればかり考え、推測し続けていた。

 また、高校一年性が「嘲りの礫(つぶて)を投げる」とか「男の渡世と女の渡世」とか、そういう言葉を現実に使うのだろうか。全体の流れからして、レベルの落差というか、ぎくしゃくしたものを感じさせるだけで、むしろ、作者自身が若者の会話のなかに入り込みすぎているのか、逆に解らぬまま書いたのか、いずれの印象も拭いがたい。

 時代が違うといってしまえば、それまでだが、私が高校生で同級生だったら、セイラー服を着用した男がある日突教室に現れたら、私なら人目につかぬところに連れ出して半殺しの目にあわせるだろう。かといって、私は「いじめっこ」ではないから、翌日から姿をあたりまえにして登校してくれば、それ以上手も出さないし、コメントも控える。

 批評家の丸谷才一氏は、高樹のぶ子、江国香織、川上弘美(本書の著者)らの文体を「きゃしゃでみずみずしい」上に、「西欧のモダニズム小説に学ぶことができたから」などと評しているが、私にはこの三者の作品はそれぞれ個性的で際立つものがあることは知っているが、共通項は僅少、丸谷氏の批評そそのものが理解を超えている。


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One Response to “光ってみえるもの、あれは/川上弘美著”

  1. spork より:

    「作品を書くということは、作者に読ませることを目的とし、読ませることは必然的に読者の貴重な時間を奪うことを意味する」、まさにそのとおりですね!これからも、メリハリの利いたブックレビュー、楽しみにしております!

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