動物と人間の世界認識/日高敏隆著

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動物と人間の世界認識
「動物と人間の世界認識」 日高敏隆著
ちくま学芸文庫  2003年12月単行本
2007年9月文庫化初版
 

 本書は面白く、楽しいだけでなく、学ぶ点が多い。 以下に、エキスを列記する。

1.1930年代にドイツの動物行動学研究家、ユクスキュルは、「環境世界」に代わる、「環世界」という概念を構築、提示したが、当時の学会から相手にされず、教師にすらなれずに生涯を終えた。

2.動物たちはそれぞれ別々の環世界をもっていて、それらはわれわれが見ている客観的な世界とは違い、ごく一部を切り取って見ている。もしわれわれの見ている世界が現実の世界だとすれば、モンシロチョウの見ている世界は、それとはかなり異なっている。

3.とはいえ、われわれ人間が本当に客観的な現実世界を見、客観的な世界を構築しているのかというと、それは違う。現実に、われわれには紫外線も赤外線も見ることはできない。それらがこの世界に存在することは知ってはいても、人間にも知覚の枠(限界)というものがある。

4.一方で、アゲハチョウは紫外線を感じることができ、それに従って世界を構築し、人間の見ている世界を超えた知覚世界に生きている。とはいえ、人間の見ている世界も、モンシロチョウが見ている世界も虚構ではなく、互いに現実である。

5.人間以外の動物たちも身の回りの環境をすべて本能によって即物的に捉えているわけではなく、むしろ本能があるゆえに、それによって環境のなかの幾つかを抽出し、それに意味を与えて自らの世界認識を持ち、その世界の中でのみ行動している。それら世界は決して客観的な存在ではなく、あくまで個々の動物主体により抽出、抽象された主観的なものである。

6.人間は紫外線の存在は知っているが、それがどんな色のものか全く判らない。科学的に証明もできない。理論的に存在し、頭では判ってはいるが、現実に見たり、触れたりして実感することはできない。

7.個々の動物は、人間を含め、その知覚の枠というきちっとした根拠のあるものの上に立ち、その枠内の中でしか生きることが出来ない。

8.人間は他の動物と違って、「死」というものを知っているが、かといってそれを感じたり、感覚的に認識することはできない。人間は地球が球状であることすら知らなかったときから「死」を知ったために、死を恐れ、死にたくない一心から「輪廻転生」という思想が西欧でも東洋でも生まれ、さらに生きている間の行いの善悪によって、現実には見たこともない天国や地獄を想定し、インドなどでは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上と六道輪廻を考え出しが、こうした思いはイリュージョンであり、どの文化にもほぼ同じ形で存在し、どの宗教にもほぼ共通している。死を恐れるあまり、「神」が存在してくれたらという願望が「神」を想定させもしたが、人間はそうしたイリュージョンなしには生きていけないからで、イリュージョンはどの文化にも、どの時代にも存在する。

9・猫は平面的に描かれた絵にひどく関心を示すが、不思議な世界認識というしかない。紙に描いた絵にすら、異常なほどの警戒心と関心を示し、必死で匂いを嗅ぐ。猫が外に出たり、外から入ったりできるようにトラップドアをつくってやると、猫は自由に入外出が可能になるが、故意に、少し大きめの猫の顔を絵に描き、トラップドアに張ったところ、どの猫も恐怖を感ずるらしく、トラップドアが使えなくなってしまう。猫は絵をくんくん匂いを嗅いで最終的に実物かどうか否かを識別する。平面であるからとか立体であるからとかいう判断基準はもっていず、それ以外の方法で相手を認識することはせず、それが猫の生きる世界である。

10.ダニには目がないので、待ち伏せの場所に登っていくには全身の皮膚に備わっている感覚を頼り、哺乳類の皮膚から流れてくる酪酸の匂いをキャッチして落下、触覚を用い、毛の少ない場所を探し、血を吸い、栄養を摂取し、卵をつくり、子孫を残す。ダニが存在する環境には植物があり、葉があり、風が吹き、葉ずれの音がし、場合によっては花も咲くが、そういうすべてはダニにとって何の意味ももたない。ひたすら哺乳類の匂いを待ち、落下し、吸血し、子孫を残すことだけに腐心する。人間から見たらひどくみすぼらしい世界ではあるが、このみすぼらしさに固執することで生存が保証され、そうした生存手法がかれらの世界。

11・芋虫にとって重要なのは食用となる植物であり、他の植物は全く意味をもたない。蜂などの天敵の接近を感ずれば、葉の影に隠れるか、地面に落下して身の保全を図る。

12・生きている虫を食べる鳥にとっては動いている虫以外は意味はなく、周囲には動かないものがたくさん存在するが、鳥にとっては関心の対象にはならず、鳥の世界には存在しないのと等しい。

13・アゲハチョウのオスは必ず日がよく当たっている木の梢に沿って飛ぶ。日の当たっていない梢は彼らの関心を喚起しない。アゲハチョウのメスは草原の上を飛び、ユズとかミカン科の木の葉に卵を生み、幼虫はその葉を食べて育ち、木の上でサナギになり羽化する。ユズやミカンは陽樹であり、必ず日の当たるところに育つ。オスが日の当たる梢に沿って飛ぶのはメスを獲得するため、子孫を残すためであることが解る。

14・モンシロチョウは普通はキャベツで育つが、本来はナズナ(ペンペン草)やイヌガラシなど野生のアブラナ科の草の葉を食べる。だから、モンシロチョウは草原をあっちにふらふらこっちにふらふらといった様子で飛んでいる。

15・イヌは近視で遠くは見えないが、猫はかなり遠くまで見ている。大草原にいる猫科の大型獣ははるかに遠くまで見え、草原に生きる他の動物を獲物にして生きている。しかし、チョウの動きを観察する限り、視野はナミアゲハの場合で1-1.5メートル、モンシロチョウで75センチ、シジミチョウで50センチに満たない。

16・ハリネズミは目がほとんど見えないので、嗅覚と聴覚で好物のミミズを発見して食べる。敵を感ずれば、体を丸めてしまい、身を守る。ところが、フランスのパリの郊外のようなところに棲むハリネズミは、この体を丸める行為が裏目に出て、車に跳ねられたり轢かれたりという事態を招いている。

17・鶏はヒナがピヨピヨ声を出すので面倒をみるが、一匹のヒナを透明なガラスに入れてしまい見えはするが、声は聞こえない状態にすると、全くヒナの存在を認知せず、面倒をみない。声によって認知し、食生活の面倒をみ、育てる世界で生きていることが解る。

18・七面鳥のメスの両耳を手術したところ、オスは近寄ってきて生殖を行い、卵が生まれ、ヒナが誕生するが、聴覚を奪われた七面鳥の親はヒナの面倒を一切みようとしないばかりか、突きまわして殺してしまった。(1985年の実験)。

19・古典にはしばしば架空の動物が登場する。中国の龍、鳳凰、エジプトのスフィンクス、馬に翼のついたペガサスなどなど、基本的にイリュージョンによって創作されたもの。

20・あらゆる動物は生殖と子孫を残すことに動機づけられ、それを可能にするための努力をするが、その目的と無関係の周囲環境はかられの生活とは無縁であり、存在しないも同然。そういった本能は生得的で、遺伝的なものにプログラムされた性質であり、学習効果の結果ではない。

21・チョウに限らず、多くの動物のメスは受精を確実にするため、また栄養としての、精液をなるべく多量に得るために多くのオスと何回も交尾する。ボス猿に率いられる猿の集団ですら、メス猿はボスの目が届かないところで、他のオス猿と交尾する。

22・交尾に成功したオスのチョウは、それから初めて周囲の花に目を移し、空腹を満たすために蜜を吸う行動に移る。環境世界はチョウにとって目的によって時間帯が分かれることを示している。

23・カブトムシは樹液を出す幹を探し、食欲を満たすが、同じ場所にメスがいれば、オス同士に争いが起こり、勝者がメスと交尾する。メスは交尾がすめば、即座にカブトムシの幼虫が餌とする腐葉土の匂いを求め、そこに産卵する。カブトムシは、オスは樹液とメスを求め、メスは樹液と交尾を求めて幹にやってくる。オスとメスが知っている環境世界には違いがある。

24・昆虫がある匂いを発してオスを遠くから誘引することは、すでに100年前にファーブルが発見し、「昆虫記」に述べている。

 性ホルモンの研究でノーベル賞を受けたドイツの有機化学者、アドルフ・ブーテナントはカイコのサナギを大量に集め、最終的に抽出された物質が僅かに10のマイナス14乗グラム(小数点以下14桁)という量がオスを興奮させることを知った。そして、この物質をフェロモンと呼称した。化学構造がわかってみると、このフェロモンは炭素数10-20という単純な炭化水素で、分子の形も単純だった。人間は空気中の物質を嗅覚できる細胞は数百分子の匂いがないと感じないが、昆虫はたった一分子だけでも感覚細胞を刺激され感知することができるということが判った。

 が、作者の実験によれば、昆虫のオスは遠距離から匂いを感知しているのではなく、ランダムに飛び回っているうちにメスのフェロモンを感知することを突き止めた。

25・多くの昆虫が人間には見えず感知することすらできない紫外線が見えることを発見したのはドイツの生理学者カール・フォン・フリッシュだが、人間が見ている花と昆虫が見ている花とは違った色をしているということになる。人間が視覚におさめられるのは、虹の七色でしかない。

26・モンシロチョウだけは赤が見えず、波長の長い光は暗黒と同じになってしまう。人間の目に見える最も波長の短い光はスミレ色の光で、これが紫に近い色をしているため「紫外線」と呼ばれるようになった。英語では、Ultra Violet(略してUVといい、眼鏡にもUVカットのレンズがある)。例外はアゲハチョウで、このチョウには赤が見え、好んで赤色の花の蜜を吸う。つまり、アゲハチョウの見ている世界と他の昆虫が見ている世界も色が違うということを示唆している。環境世界は生物によって様々な色に見えている。

27・人間にはなくて昆虫にはあるものに「接触化学感覚」がある。触覚のほかに前肢の先にそのような感覚をもっている。人間は嗅覚を使わないと、たとえば醤油とソースが判らないが、昆虫は触れることで判る。

28・音より振動数の高い空気振動を「超音波」というが、人間にはそれを聞く能力はない。コウモリは超音波をキャッチでき、この能力を使って周囲の様子を知る能力をもつ。海のイルカやクジラなどがやるのと同じ、エコーロケーションである。人間はその原理を発見し得たことでレーダーという機械を発明した。

29・人間を含め、生物はそれぞれが異なる世界の中で生き、環世界を見、それに対応しながら動く。それぞれが何万年、何十万年もそうやって生きてきた。環境とはそのような多くの世界が重なりあったもので、それぞれが自分たちの世界を構築しないでは生きられない。

30・人間の目は電磁波の波長が700-400ナノメーターあたりまでの部分光として感ずることが出来るが、それを外れた電磁波は知覚的に把握できない。物理学では電磁波を利用し、ラジオ、テレビ、X線などを発明してきたし、また電子の動きを知りえたことでコンピューターも発明できた。頭では判っているが知覚できないもののなかには「宇宙線」もある。また、放射線は写真のフィルムの製作を可能にし、ニュートリノもスーパーカミオカンデという装置のおかげで、その存在がつい最近判明した。

 (宇宙で銀河が占める部分は宇宙の3%、他はダークマターとダークエネルギーであることが最近になって判明したが、ニュートリノもそういう部分からやってくるものであり、今後の研究でさらに多くが理解できるようになるだろう。また、スイスで、山手線と同じサイズで地下に穴を掘り、真空管を繋ぎ、これに近いうちに粒子を光速で発射、双方を衝突させることで、宇宙のビッグバン、最初の姿が証明できるかも知れないが、日本の研究者も参加している。むろん、日本政府も金銭的支援をしている)。

31.ラジオ、テレビ、インターネットなどはイリュージョンではなく、現実的な存在だが、放映されたり、伝えられたりする内容は人の頭が操作し、放映内容を決めるかぎり、イリュージョンであり、見る側がどう考え、思うかもイリュージョンである。

32・太陽系も地球という惑星も数十億年前から変化していないが、変化したのはわれわれ人間の側の知識である。その知識がイリュージョンに転換を起こさせた。人間の構築している世界は人類誕生以来、新しい発見によって変化し続けている。人々はいつの時代もイリュージョンを信じてきたし、それなしには生きられなかった。

33・進化とはなんの目的も計画もない。生き残ることのできたものが生き残っていること、それがすべて。

34・あらゆる生物は人間を含め、それぞれの知覚の枠の中でイリュージョンをつくりあげ、状況に応じてそれを変える。それぞれ「色眼鏡」なしには、ものを見ることはできない。人間が客観的に、つまりは科学的に事象を見ることができると思うのは誤りであり、思い上がりである。昔から科学的な根拠を与えられたイリュージョンは幾らもあり、それによってわれわれの世界観、世界認識、人生観も大幅に変わってきた。その変化が世代間ですら起こることは、エジプトの古い遺跡にも発見されている。人間が動物と異なるのは、イリュージョンが変化することで、過去、事実でないことを事実だと思い込んでいたことは数多あるし、現在もあるだろう。物理的世界については真理に近づいてきたとはいえるが、客観的な環境というのは存在しない。われわれの認知する世界のどれが真実であるかを問うことに意味はない。

 以上、作者の「イリュージョン説」は、数々の生物の生存の枠を見極めた上での、学者としての意見であり、新たな提示である。

 解説者も「それぞれの生物にとって環境世界は異なり、明確に相対的なものである」と言い、「人間は人間にとっての世界こそ、最も広く最も充実し、自らは所有しない他のさまざまな感覚の補強手段を開発してきた以上、それこそが客観的な世界であり、他の動物たちの環境世界はその一部に過ぎないと思いがちだが、たとえば、われわれはイヌが所有する嗅覚や聴覚には到底及ばない。人間には、イヌの世界は明確には理解し得ない。人間が認識する世界は決して普遍的でも客観的でも絶対的でもない。

 雪の降り方に50種以上の表現をもち、「白い」という言葉に幾つもの表現をもつイヌイットにとっての世界と、せいぜい「牡丹雪」「ざらめ雪」「粉雪」「新雪」「銀世界」「豪雪」程度の言葉しか知らない日本人の世界とは断じて同じではない。人間にとっての世界はその人間が何であるかによって、どこに居住するかによっても、それぞれ異なり、相対というより複数であり、多元的である」と解説しつつも、「このイリュージョンという考え方は多くの哲学者や科学者にとって受け容れがたいもので、大胆な発想というしかない」と結んでいる。

 少なくとも、飼い主が可愛いがっているペットが、実は、飼い主とは全く別の世界に生きているのだという事実は、考えてみると、いかにも皮肉なことではある。私には作者の言わんとしていることが理解できるし、久しぶりに面白い読書をさせてもらった気持ちである。

 ただ、文明の利器がさらに優秀な利器を開発し、生活が豊かになってはきたが、その利器が二酸化炭素を大量に大気に放出し、地球上の生物の生存を危うくしているのも事実。殊に、人を殺す武器、兵器の開発は長足の進歩を遂げている。環境変化が危機的な段階にあり、それが地球上のあらゆる生物に死活問題をもたらしている。

 人類のもつ業(ごう)が環境をめちゃくちゃにしていながら、それぞれの国の事情が優先され、歯止めが効かなくなっている現状を考えれば考えるほど、これまで人類が変化に対応してきた智恵に信頼が失われつつあることを痛感する。作者は本書でここまでは言及していないものの、人類が最高の知識をもちながら、最高のバカであることも事実。


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One Response to “動物と人間の世界認識/日高敏隆著”

  1. Miroku より:

    面白そうですね! 「うんうん!」、「なるほど!」、「いや、それは!」・・・、さっそく、入手しよう!
     

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