北京の檻/鈴木正信&香取俊介著

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「北京の檻」 鈴木正信/香取俊介共著
副題:幽閉五年二か月
文藝春秋刊 2006年9月初版

 

 米国大統領ニクソンに続き、田中角栄首相が北京に赴いて、日中国交回復を成立させたのが1972年だった。

 日本の各商社が、1960年代前般、すでに香港(当時はまだイギリスの支配下にあった)にダミー会社を置き、中国との貿易に従事していたこと、対象となった輸入品が松ヤ二や穀物だったことを本書によって知った。

 本書の主人公、鈴木正信氏は、一般人およそ140万人がマッカーサーの調停で1945年に帰国していたのとは異なり、中国に残留して医療関係の仕事をしていた。ちなみに、残留したのは約3万人で、技術者ばかりだった。満州に日本人が造った鉄道を操作することが中国人にはできなかったことが最大の理由だったらしい。

 3万人の残留者が、氏を含め、帰国したのは1953年前後、氏は満州で生まれ育ち、言語に不自由しない能力を評価され、商社に入社、香港のダミー会社に配属され、中国との貿易業務に従事。

 中国では毛沢東首席による扇動で、文化大革命が吹き荒れだしたのが1966年、氏は仕事のため訪れていた北京に滞在中(1968年2月)、公安局委員会に逮捕され、北京の監獄に幽閉され、長期にわたって尋問を受ける。

 このノンフィクションは1973年4月に釈放されるまでの、収監されていた5年2か月の体験を主軸に、満州で育ったときのことに加え、1953年に帰国するまでの残留経験を交えて展開する。

 実は、本書にあるように、氏が逮捕された年の前後には、かなりの数の日本人商社マンが不意に蒸発するという事件が起きていた。商社のなかにはその事実に危惧を覚え、中国への入国をためらって商談の機会を放棄した商社もあった。にも拘わらず、日本政府も外務省も、北朝鮮による拉致事件と同様、即座に救済策を採る姿勢をみせなかった。

 言わせてもらうなら、日本という国が戦後、軍事放棄をして以来、そういう姿勢に徹してきたし、煮え切らない態度こそがこの国の著しい特徴のようになった。

 現在ですら、世界中に大使館、領事館を配置しながら、日本人(ビジターであれ、居住者であれ)を守ろうとする義務感が希薄だという話はしばしば耳にする。軍事力のない国、腕力のない国としては、高飛車な、たとえばアメリカのような姿勢を採ることは不可能だからである。また、抗議してみたところで、相手にされない。外務省管轄の大使館、領事館が細心の心構えで迎えるのは本国からのVIP(ことに政治家)の接待と観光案内。

 中国で生まれ育ち、日本に居住する身となったことで複眼で社会事象を見ることができるようになったというが、1953年にはじめて日本の土を踏んだとき、パチンコの好きな日本人を見て、「島国だから自分だけの世界をつくる。中国人は少なくとも4人でマージャンをする」といった趣旨の発言には首をかしげたくなった。社会現象の見方が一方的で、本質を見ていない。日本人にだってマージャンに凝っている人はごまんといる。もっといえば、中国人のなかには二人が相対する囲碁の強者がごまんと存在する。

 確かに、パチンコはどの国にもっていっても流行らないけれども、この機器を造ったのも、パチンコ店のオーナーのほとんども韓国人であり、また、ラスベガスのカジノに行けば、ディーラーが相手になってくれるルーレットやバカラは別にして、ほとんどは「機器一台VS客一人」であり、パチンコと同じスタイルであって、そういう見方を「複眼による可視」とは言い過ぎ。

 だいたい、商社というものは、外務省よりも土地の動きに敏感であり、情報取得も迅速であることが生命線であり、氏が逮捕された当時、北京にあったイギリスの代理大使事務所が焼き討ちに遭ったり、商社マンが何人も中国で蒸発していることを知悉しながら、現在でも「人権」という観念のない、「法治国家以前の前近代的な国」に入国したこと自体、「商社の面目はどうしたんだ?」と言いたくなる。

 一般論だが、発展途上国の、独裁体制に近い治世を行っている国なら、どの国であれ、外国人への監視は厳しく、報道関係者であれば許可を取る義務のみならず、監視員同行は常識である。インドネシア、スマトラで津波が起こったときの報道でも、同じ処置がなされたはずだ。

 自身の、あるいは自身が所属していたダミー会社の、軽率をこそ攻めるべきで、北京で遭遇した不運を声高に吹聴することに対しては、正直いって、北京の監獄、独房の実態を教えてもらった実感はあるが、同情の気分に陥ることはなかった。むしろ、たかの知れた対象物を輸入したいという商社のいじましさが印象に強い。

 日中国交が回復するまえといえば、日本軍が残した残虐、残忍の爪跡が中国人の脳裡に消しがたくあった時代でもあり、人の庭に入って仕事をするのが業務の中心をなす商社のエキスパートが、こうした羽目に陥ったとすれば、恥ではあっても、世間に開陳すべき内容ではない。厳しい言い方になるが、アプローチの仕方に常識のずれを感ずる。

 むしろ、日中国交回復後、ODA(長期・低利・ローン)を中国の再建に使っただけでなく、病院、ダム、高速道路、パンダの育成補助、敦煌の石窟の修復など首相が変わるたびに無償で資金提供し続け、そのことを日中両国民が知らないことのほうが問題ではなかろうか。国民の血税を使いながら、気づいたら、かの国は核保有国となり、100万を越す軍人が育成され、潜水艦を日本の領海に遊弋(ゆうよく)させ、領海ぎりぎりにガス田採取のためのタワーを建てていたという事実からは、著者が言う通り、日本の政治家と官僚の阿呆さ加減が透けて見えるが、基本的にはそういう政治家を選んでいる日本国民の問題だ。

 ただ、「中国ではゴルフと酒とマージャンで商談が決まる」というが、日本だって大差のない体質をもっているし、「賄賂が横行する」という体質も両国どころか、ほとんどのモンゴロイドの国にも、ラテン系の国にも、共通した悪習である。しかも、中国がゴルフ場をつくったのは、日中が国交を回復してしばらくしてからのこと、北京に赴任した日本人サラリーマンにとって日曜は過ごし方に困ったほどである。

 とはいえ、15億に達する民を治める術(すべ)というものが一党独裁以外にあるのかどうか、誰にも余談はできない。中国に民主主義と自由主義を与えたら、かれらが昔からいう「百家争鳴」に陥り、「迷論」や「卓説」が自己主張を孕んで横行、無責任に偏った言動に終始、収拾がつかなくなることは見えている。

 著者の「北京オリンピックまでは体制は維持されるであろう。しかし、その後に何が起こっても不思議はない」との言葉は胸に刻んでおく。「なんでもあり」の国であり、歴史的にも、「倒した側が善、倒された側が悪」という国、恵まれぬ国民ほど何かが起こることを期待している。とにかく、中国人は「Revolution」(革命)という言葉が好きらしいから。


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